泥棒のすゝめ 番外編

春を待つ



しんしんと降る白。牡丹雪が羽毛のように次々と舞い降りる。踏む人も掻く人もいない雪はふっくらと積もって、ただ春を待っていた。鳥の羽ばたき、枝から滑り落ちる雪、すべてを眩い光が吸いとっていく。白に閉ざされた森には、風音ひとつ聞こえない。


「さみぃ」

戸の隙間から顔を出す冷たい空気に青年は身震いした。少女が口に手を当てて、大袈裟に驚く仕草をしてみせる。

「寒いって感覚はあるのね」

「おいハニー。浮遊霊なめんなよ」

ハニーと呼んだからといって睦まじい仲ではない。コードネームのようなものだ。同じく青年にはシュガーという呼び名が付いていた。

「ほんと、寒い、割と本気で、寒い」

首にぐるぐると巻き付けたマフラーに顔を埋めるもう一人の青年。自らをキツネと名乗ってはいるものの、誰も本性は見たことがない。幽霊か妖怪かさえはっきりしない謎だらけの存在。常日頃から化けている姿も世界のどこかにいる犯罪者である。

今日の姿は一見して絵に描いた好青年だが、実際のところ結婚詐欺師なのだという。






√シュガー


死んだのは随分と前のことだった気がする。行き過ぎた女遊びが祟って刺し殺されたらしい俺の思念は、なぜか未だに五感が残ったままだ。隣の少女も前髪で隠したその額に目がある、三つ目という妖怪であった。

俺は立て付けの悪い戸を恨めしく見て、部屋の真ん中の囲炉裏に近寄った。時折パチパチとはぜる火だけが暖かく、家と外を隔てている。

「なんでこんな寒いんだろ」

「人が地球イジメぬいてるからなんじゃね」

「シュガー、きみ自分が人間だったこと忘れたの」

「今は浮遊霊だから」

「都合いいわね」

ハニーが囲炉裏から遠ざけるように俺の手を払いのける。負けじと手に力を込めたのは失敗だったか、無惨にも両手は囲炉裏の中に飛び込んだ。

「バッカ!!おれの能力なかったらどうするんだよ!」

「火傷するでしょ」

「結果論の話じゃねぇ!!」

焼けた炭に突っ込んだ両手は空間に触れることなく床へと通り抜けている。もちろん幽霊だからこそできる技だ。





√ハニー


シュガーが一方的に騒いでいると、廊下に繋がる襖が音をたてた。

「こんにちわ。依頼者、連れてきましたよ」

部屋に入ってきた少年――新島夕希は先日キツネに助けられ、ここに入り浸るようになった人間だった。

「雪女さんです!」

「あ、こ、こんにちわ」

新島夕希の後ろから顔を出した女性は現代の人間と変わらない服を着ていた。底冷えするような冷気がなければ、私にだってただの人にしか見えないだろう。


「私は今、人間として働いているんです。けれど最近、妖怪の力が抑えられなくなってしまって」

彼女は小さく言って、目を伏せる。雪女は男を騙し、命を奪う妖怪として有名だ。必要以上に人と親しくすれば人から生気を奪い、自分の力はそれだけ強くなる。生き物が呼吸するように、人が笑うように、それは当たり前のこと。

「記憶を食べてもらえるという話を聞きました。手遅れになる前に――あの男の記憶を、どうか食べていただけませんか」

何かを覚悟した力強い瞳が、悲しげに微笑んだ。





√キツネ


――私は騙そうと、遊びで近付いただけでした。でも相手は本気にしてしまって、もう面倒なんです。これ以上、力が強まってしまうと私は人間社会にいられない――


尤もな理由を付けて、雪女は1つの依頼をしていった。

「私に関すること全部をあの人から奪って、か」

「シュガー?」

「いや……どうにかできないもんかと思って」

シュガーが眉を潜めるのもわからなくはなかった。明らかに雪女は嘘を吐いている。嘘さえ本当になってしまえと願っている。覚悟ができているのと未練があるのとは別だ。

雪女のそんな決断はシュガーにとって納得のいかないものなんだろう。

「無理やり強気に笑ったりして、痛々しいぐらいでしたよね」

夕希くんがシュガーに賛同するように言う。もともと妖怪嫌いの夕希くんでさえ、依頼を受けることを戸惑っていた。

「キツネの……何だっけ?あくじき?で雪女の能力だけ喰えねーのかよ」

「それは彼女の存在を消すのと同意義だよ」

悪食。この世のすべてを喰らう能力。

きっと雪女の力を食べることは不可能じゃない。けれど雪女としての彼女を食べて、果たして何が残るのか。雪女はあくまで妖怪であり、人間になる方法などありはしない。

「僕は受けるよ、依頼」

ただ、彼女の覚悟を無駄にしたくなかった。





√雪女


騙そうとした、それは本当だった。いかにも人の良さそうな笑顔と、疑うことを知らない綺麗な瞳。心を許したらすぐにでも正体を明かして絶望させてやろうと思っていた。


『一目見たときからずっと、君のことが好きだ』

本が好きで、私が働く図書館に通いつめていた青年。ほんの少し話しただけで、いとも容易く罠にかかった。

純粋さは命取りね、嘲笑いとも気付かず彼は私の手を取った。


『ごめん雪乃、最近会えなくて』

「そんなのいいから、無理しちゃだめだよ」

彼が待ち合わせ場所に来ないことが増えた。仕事が忙しいと口では言っていたけど、顔色が悪いのは隠しようがない。

おもしろくなってきた、喉の奥で笑ってやった。


『ごめん、しばらく、会えないと思う。ちょっと入院して、あ、でも大丈夫!すぐ良くなるから』

「そんなの、私から会いに行けばいいだけじゃない」

体調不良で通院していたことを知った。それからは私が彼の病室に通いつめた。ああ、哀れな男。

彼の顔色はどんどん悪くなって、その度に私は甲斐甲斐しく世話を焼いた。


『いい彼女さんですね、とっても幸せそう』


潮時がもう、わからなくなった。






澄んだ夜だった。大きく欠けた月がくっきり浮かびあがる空。深い青にうっすらとベールをかける雲が漂っていた。


「はじめまして、夏目総司くん。僕はキツネです」

時計の針が12時を回ろうとしている、薄暗い夜中の病室。そこに突如として現れたキツネに目を丸くした男が尋ねる。

「あの、どちら様でしょうか」

「雪乃さんの依頼で来ました」

「雪乃……?無事なんですか……!?最近姿を見なくて、連絡もつかないんです!」

ベットから体を起こし、キツネの服を掴んだ総司。弱々しい体からは想像もつかない力が手に込められていた。今にも崩れ落ちてしまいそうな総司をベットに寝かせて、キツネは静かに語る。

「君はこのままだと冬を越すことはできない。だから――雪乃さんに関すること全てを忘れてもらう」

キツネが総司の心臓に触れる。色とりどりの金平糖がひとつ、ふたつと溢れていって、最後に真っ白な粒がキツネの手のひらに転がった。

「どういう、ことですか」

「詳しくは言えないな……僕には、ね」

キツネがふと窓際に視線を向ける。床からパキ、と何かが割れる音がした。まるで湯の中に氷を入れたときのような。

「私がいるって、気付いてたの」

「ただの勘だよ」

総司は幻かと思い瞬きをするが、何もない場所から雪乃が現れたことは疑いようのない事実だった。途端にぐんと下がった部屋の温度に身震いする。空調が効いたはずの病室で、総司の息は白かった。

「はは、雪乃、驚かせるなよ。心配してたんだぞ」

「……頭おかしいんじゃない」

総司の笑顔と真逆に、雪乃は顔を歪めた。雪乃が人間ではないことくらい、さすがにもう気付いたはずだ。

「あなたが死にかけてるのは、私のせいよ」

「ああ……だから病名がわからなかったのか」

「意味わかってる?私に殺されかけてるの!」

ヒステリックな叫び声がビリビリと鼓膜に響く。キツネは黙ってそれを聞いていた。

「俺が勝手に死にかけてるだけだろ」

「……私のこと、忘れてよ」

「嫌だって言ったら?」

「無理にでも忘れさせる」

「そういう強気なとこも好きだな」

「ふざけないで」

雪乃が総司の横たわるベットにそっと近付いた。朧月みたいに穏やかな笑顔が相変わらずあって、自らの冷たさを思い知る。総司と雪乃の生きる世界は違う。突き付けられた現実はずっと昔から知っていたはずの、当たり前のことだった。

「でも、仕方ないな、雪乃がそうしたいなら」

「……本当に、馬鹿なひと」

総司が伸ばした右手が、雪乃の頬に触れる。よく触れていたその手は、今はもう熱いくらいだった。


キツネが手のひらに乗った金平糖を、一気に噛み砕く。感情豊かな人の記憶ほど甘美なものはない。甘酸っぱい、幸せの味がした。


「泣かないで、雪乃」

総司が触れた頬が、ゆるりゆるりと溶けていく。

「見間違いよ。泣いてなんかない」

頬を伝った雫が、音を立てて床に落ちていく。


「――春が。

春が馬鹿みたいに暖かいから、雪がとけてるの」






√夏目総司


「おはようございます夏目さん。今日は顔色いいですね」

「そうですか? 実は俺も調子いい気がしてるんです」

窓の外はいつもより寒そうだった。大粒の雪が音もなくはらはら舞い降りて、赤レンガの道を隠していく。

「あ、夏目さんまさか雪見たさに窓開けました?」

「開けませんよ、こんな寒いのに」

「じゃあどうして床が濡れるんですかー。絶対安静とまでは言いませんけど、風邪引いちゃいますよ」

「え!? 信じてくださいよ!」

床に散らばる水滴は、確かに雪が降り込んだあとみたいだった。でもおかしい。もちろん自分で窓は開けてないし、昨日は見舞いに訪れた人もいなかった。


「夜も、雪は降ってなかったのに」


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泥棒のすゝめ 番外編 @tohma_twin

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