十二. 未来永劫


 国際科学研究機関の日本研究所に配属となってかけがえのなき出逢いを果たした。わずか一ヶ月後には恋人の仲となっていた私たちは、周囲からスピード恋愛などと呼ばれ度々噂にのぼった。


 七月七日に関係が発覚したことと遠距離恋愛という二つの要素から、ある者は私たちを七夕カップルと名付け。


 呼び名がカナタとユキであることから、ある者はやはり夏南汰と雪之丞の生まれ変わりに違いない! と言って目を輝かせた。



 一方でこんな意見もある。


「出逢って一ヶ月でしょ? 本当に大丈夫なのかしら。あんまり早いと危うく感じるわね……」


 まぁもちろん。肯定派ばかりではないだろう。


 性格から趣味趣向、経済力に至るまで時間をかけて吟味しなければ気が済まないと語るこの先輩に、実は出逢った当日にはキスしていたなんて言ったらどんな反応をするだろうかと考えてみたが……うん、やはりやめておこう。腰を抜かされたんじゃ責任負えない。


 ふふ、と声を潜めて苦笑いしたカナタは


「頑張ります。今はそれぞれの場所でそれぞれに成長していけるように」


 とだけ答えておいた。それこそが二人で掴んだ答えだと、続きは胸の奥へ大事にしまっておくことにしたのだ。



 あれから時が過ぎて七月下旬。



 確かに早いものだと実感する一方で、カナタはまた別の感覚を覚えていた。空港のラウンジにて硝子の遥か向こうの青空を眺めながら思いを馳せる。


 スピード恋愛と称されて然るべき、確かにそうだ。そうなのだけど……



 離着陸を繰り返す機体がこれまでの歩みと重なってくるかのよう。何度となく飛び立っては戻り、また飛び立って。そうやって長い長い時間をかけてやっぱり最終的には戻ってくる。何度だって貴方の元へ。


 見送る立場であるはずなのにこんなことを考えている自分がなんとも滑稽ですらあるのだが。



「行ってくるね、カナタ」


「待ってるね、ユキ」



 瞳を細めて微笑むと、同じように細めた彼がそっと手を伸ばし私の頰を撫でた。さらりと滑る雪肌の質感に胸がトクンと音を立てる。甘い疼きまで感じながら。



「待ってるだけじゃないでしょう? 約束したよね」


「覚えてるよ。私は私で夢を叶える為に」


「そう、いい子だね。君の成長が楽しみだ」



 ほら、やっぱり私が見送られているみたい。今まさに旅立とうとしている貴方の方が待っている、だなんて言うんだ。


 大好きなセピアの瞳は今、きりりと引き締まった形をしている。それなのに何処か切ない声色が見え隠れするものだから、私はたまらず彼の首元に手を回す。背の高い彼に合わせてちょっぴり背伸びなんかして。


 ぎゅっと抱き締めながら待っていて、と。何か変だと思いながらも自然とそう返していた。


 彼の手も優しく背中を撫でることで応えてくれた。じんわりと込み上げてきそうだけど抑えなきゃ。だってもう怖くないんだ、あの日から……と、彼の胸に額を当てながらカナタは思い出す。



 七月七日の翌日は不思議なことに一部の記憶が抜けているような気がした。自分は一体何故あんなに泣いていたのだろう。お姫様抱っこで二度目のお持ち帰りをされた経緯が未だによくわからない。


 だけど公園を散策したあの夜を境に、怯えていた心がすっと解放されのは事実だ。私たちの先祖が繰り広げるあの舞台だってもう一度くらいなら観られそうな気がするよ。



 ねぇユキ、また一緒に見届けてくれるかな。私ね、今後こそ……



 失う恐怖よりも出逢えた尊さを見つめられそうな気がするんだ。



「やれやれ。ユキさんともあろう人がとんだ甘えん坊に捕まったもんじゃのう!」


「いいじゃありませんか、陽凪さん。それにほら……お二人はこうしているだけで凄く絵になりますよ。こうであるべきだと思っていたのです。私は……ずっと」


「なんじゃ、ナツコは最初っから予感があったっちゅうことか?」


「はいはいっ! 私も二人は絶対上手くいくと思ってたんだから!」


「ナナコのはどうも信用ならんのう」


「ひどーい!!」



 何やら後ろでやんややんやと言い合っている。ちょっとばかり騒がしいこの人たちも今日は一緒に着いて来てくれた。今日もそしてこれからも、なんだかんだと見守ってくれるつもりみたいだよ。嬉しいね、ユキ。




 全て納得していたはずの帰り道でほんの少し涙を流した。そんなカナタの肩を強く引き寄せたのは実に頼もしい上腕二頭筋だ。


「しかし参ったのう。ユキさんから直々におめぇを頼むって言われちまった。危なっかしいおめぇを支えてやってくれってな」


 まだ少し恐れながら見上げるカナタ。見下ろしたその人は何故だか照れくさそうに鼻をこすった。何故だか不器用な笑みなんか浮かべて。



「なぁに、俺も男じゃ。尊敬する先輩に頼まれたからには責任持っておめぇの兄貴になってやる。心細くなったら励ましてやるけんのう」


「陽凪さん……」



「のう、カナタ」



 わしわし頭を撫で回されながらその低い声色に耳を傾けると、自然と受け入れられる懐かしさがすっと流れ込んで安らぎを覚えた。涙を拭ったばかりのカナタもいつの間にか笑っていた。



「じゃあヒナ兄って呼んでいい?」


 首を傾げて尋ねてみると


「お、おう。好きにせぇ」


 って言う陽凪さん。口元をもごもごさせてなんだかちょっと嬉しそうに見えるよ。頼られるのが結構好きなのかな。


「あはは、兄弟にしては似てないよねーっ!」


 ごもっともだね、ナナコさん。こんなまさかこんな逞しい人が兄貴になってくれるなんて私も思わなかったよ。


「本当。まるで美男子と野獣です」


「ナツコ、おめぇなぁ!!」


 この二人はなんだかんだと仲がいいみたい。もっと素直になればいいのに、なんて思いながらまた笑う。心細さも遠のいていく、それは賑やかで温かな帰路だった。




 その夜、帰宅して着替えを終えたばかりのカナタが部屋の国際電話を起動させる。ベッド近くの窓際にもたれ、冷たいミネラルウォーターを流し込みながら接続を待っていると、やがてブゥンという音と共にモニターが目の前に現れた。



 まず連絡を取ったのはユキだ。


 こっちは深夜であるのに対して彼の居るあちらは朝だった。実感が増していく。遠く離れれば時間も大きく違うのだと、ちょっと感じる切ない想い。これを振り払うのはやはり難しいものだとカナタは苦笑した。


 だけど最後はちゃんと笑顔で締め括った。我ながら成長したねと自分を褒めてやりたい気分だ。


 モニターに映る彼の微笑みと新鮮な自信はカナタを確かに強くさせてくれた。



 通話を終えた頃にちょうどお湯が沸いた。ミルク多めの珈琲を淹れたカナタは次の連絡先を指定する。



――Hier Kirsten(はい、キルスティンです)



 再び現れたモニターを見てカナタは思わず吹き出した。ボサボサの赤毛に寝ぼけ眼、掛け違えたパジャマのボタン。雑な性格は相変わらずのようだと。



「ごめんごめん、もう起きてるかと思ったんだけど……」


『カナタ!? 本部研修以来じゃねーか。ひっさしぶりだなぁ!』



「久しぶり。ミコトはあのまま本部で働いてるんでしょ? ちょっとお願いがあってさ」


『なんだよ?』



 ぶっきらぼうな口調ながらもちゃんと話は聞いてくれる。朗らかで豪快な性格の青年・ミコトとは留学時代に知り合った。


 カナタのホームステイ先の息子で同じ夢を持っていたことから意気投合。一緒に勉強を教え合ったりしてついに国際科学研究機関への就職を果たした。今となっては同期の仲である。



「近いうちに私の上司がそっちの生物課へ配属になるんだ。春日雪音さん。仲良くしてあげてほしいな」


『あぁ〜、そういえば来るって聞いたな。優しい顔してやり手のジェントルマンだって噂だけど。へぇ、お前んとこの上司だったのか』


「うん……明るいミコトならすぐに打ち解けてくれるだろうし」



 しばらくの間があった。何か気付かれてしまった気配にカナタの頰が赤くなる。



『カナタ、お前……その為にわざわざ電話してきたのか?』


「う、うん、その……雪音さんは……」



『すげぇなお前! こんな上司思いな部下は見たことがねぇよ! 泣かせやがってこの〜!!』



 おいおいとわざとらしく号泣する仕草を見せつけられてぽかんとした。前言撤回。私はミコトの鈍感さを見くびっていたようだ。


 だけど彼には是非とも知っていてほしい。最初に口にした理由は“仲良くしてほしい”……確かにそれもあるけれど。



 本当の目的はきっとこっちだったんだと気付いたカナタが口を開く。




「私の大切な人だよ」




 言い切る頃には顔面を占めていた熱も程よく落ち着いていた。はた、と動きを止めて目を大きく見開くミコト。そんな彼もやがて。


「そうか、お前……ついに見つけたんだな。運命の相手を」


 こくりと私が頷くと、良かったなと言って心底喜んでくれた。目を細めて頬杖をつき、こちらへ身を乗り出してくる。ミコトは続けてこんなことも。



「なぁ、知ってるか? カナタ。あと少しで世界に同性婚が浸透する。俺もずっと想う人が居て……っていう話はしたな。もっと自由に選べる時代を迎える為にサークルに参加して活動してきたことも。現実的な視点で考えてもよ、配偶者だと証明できなければ困ることだって沢山あんだろ。紛れもないパートナーなのに力になれないことだって起こりうる。そんなの……辛いからな」


 そう、ミコトに知ってもらいたかった理由はこれだ。彼の抱える想いなら留学生時代に聞いていた。今でも覚えてる。


 だけど結婚願望はおろか、恋なるものさえよくわからなかった私にちゃんと理解出来ていたのかどうかとなると……


「うん、ミコトは学生の頃から頑張ってたもんね。私も男の人を好きになって初めてわかった。今までのはただの知識に過ぎなかったと思う」


 やっぱりこうなんだ。わかろうとする意識だけは捨てずにおいて本当に良かったと思った。我が身のこととなったときにこうも違うものなのかと今まさに実感している。他人事だと思っていたらきっと困惑に支配されていたに違いないだろうと。


 だからこそ私はミコトにこう告げた。迷うことなく。



「関係ないよ。本当に……人間同士の想い合いなんだもん。みんな同じさ」



 大切な人とは繋がっていたいものだ。その想いが共に同じならなおのこと。


 切なる願いは遥か昔から、きっとそれほど変わってはいないのだろう。




 夏のあけぼのは早く訪れる。


 彼は傍に居ない。それでも目指すべきところは確かにあるだろうと私を目覚めさせてくれるのも早かった。私はやはりこの季節が好きだ。



 そうして迎えた翌日。


 もういくらか薬品の匂いが染み付いてきた、様になってきた、愛着ある白衣を羽織ってカナタは夢の実現を目指して研究に励む。彼に対してだけではない、自分自身を誇れるようになる為にもこれは必要なこと! と半ば我武者羅になっていたところへ。



「程々に身体を休めることも大事だよ、荻原くん」


「磐座所長!」



 これは珍しい。普段はあまり顔を見せることもない人物の訪れにカナタは目を見張る。自分の名を覚えていてくれたのはやはり姪が真っ先に目をつけた人材だからだろうか。


 所長の磐座悟。武術でもやっているのかと思う程のがっしりとした体格に最初こそ恐縮していたとのの近付いてみたらなんのことはない、実にフレンドリーで話しやすい人だった。それでいて何処か達観した雰囲気を醸し出しているその人が、どういう訳かまるで孫でも見るような目で私を見つめるのだ。



「よく遊び、よく学ぶ。それは何も子どもに限ったことではないよ。ベストを尽くす為にもね、大人にこそ必要なことさ」


「はい」


「決して悔いは残さぬようにね。応援しているよ、カナタくん」


「はいっ、ありがとうございます!」



 最後は何故か名前で呼ばれた、気がするのだが?


 一抹の疑問もそう長くは残らなかった。不思議なことにごく自然と受け入れたカナタが研究室を後にする。



 気分転換に訪れたのは大好きな彼と出逢ったあの菜園だった。晴れの陽射しが眩しい。そう、あの日もこんなだったと思い出す。



 うーんと一つ伸びをしたならそっと唇に触れてみる。私という存在の中で、彼と初めて触れ合った場所。


 それから青い花の咲く肩と胸元へその手が降りていく。涙が溢れる程の愛を受けた場所。



「ユキ……」



 口にしたならふっと柔らかな笑みが零れた。今、カナタの手は自身の上を辿りながらも彼の想いに触れている。出逢ってからの数々を……いや、それ以上へと遡っていくような深い想いを噛み締めて、おのずとしなる身体の奥から熱い吐息を零すのだ。



 最後にそっと手で押さえてみた、自身の胸ポケットの下には君がくれた勿忘草が。


 思い出すと今でも温かい。身も心も全て許した君の中でも、私の花が色褪せずに咲き続けてくれることを信じているよ。




「カナタさーん!」


「一緒にお昼食べましょう!」



 遠くから呼びかける柏原姉妹の声に振り向いた。大きく手を振って返したその時、カナタの澄んだ青い目にそれが映った。



「わぁ……綺麗」




 晴れやかな夏空に走るった真っ白な飛行機雲が遠く遠くへ続いていく。まるで希望の架け橋のように見えて。


 人目もはばからずそこへ手を伸ばす。そして心に刻み付ける。




 切なくなんかないさ、天の恋人よ。


 君と私の尊い季節よ。



 もう怯えないで、勿忘草よ。


 君と私の揺るぎない絆よ。



 だって青空は教えてくれる。同じ空で繋がっていると、君に繋がっているのだと。



 二人で掴み取った“真実の愛”は信じる気持ちで育つのだともう知っているよ。これ以上の栄養はないさ。



 季節はずれでもいい。それでも勿忘草は咲き誇った。



 光に満ち溢れて示してくれた、この真夏を私は忘れない。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 また何人かの輪廻転生が見えてきました。今回は新しく登場した順に紹介させて頂きますね。


 ✴︎柏原迅→アズライト・ベクルックス→磐座悟


 彼はさりげない登場でした。これはもしかすると海外での論文発表会から始まっていた縁。カナタに対して何か感じ取っていたのはナツコだけではなかったのかも知れません。若者たちをイキイキと育て上げたいという想いは今もなお生き続けている様子。


 ✴︎磐座命→?→ミコト


 実は極めて珍しいと言われる現象がここで起きております。カナタと同様に性別が転じた魂。かつて身体が女性であった彼はついに男性への転生を果たしました。


 しかしカナタとの会話の中に現れていましたね。性同一性障害とは違うけれど、今世の彼が想う相手も同性です。どうやらこの人は、多種多様な愛の在り方を発信し開拓していく役割を持っているようなのですよ。


 明るく前向きな姿勢もやはり健在! かつて悲しい関わりとなってしまった雪音(元・雪之丞)とも、これからは同じ職場で協力し合っていくこととなります。良い関係が築けるといいですね。


 ✴︎秋瀬陽南汰→ブランチ→陽凪


 この人はわかりやすかったかと思います。今世の彼は雪音が信頼を置いている後輩です。カナタに甘えられたらなんだか嬉しそう。どちらか片方ではなく双方に笑顔をもたらす役割を買って出たのかも知れませんね。不器用でも二人のことを一生懸命考えていたこの真摯な魂に、雪音とカナタの魂も心を開いたのではないでしょうか。


 ちなみに作中には出てきませんが、陽凪のフルネームは『夏川なつかわ陽凪ひな』です。つまり……



 陽凪「おう、ナツコ。もしおめぇが俺んとこに嫁いだら夏川ナツコになるんじゃな! ぶち暑そうな名前になるのう! わっはっは」


 ナツコ「その可能性は1ミリたりとも考えておりませんのでご安心下さい」



 さぁ、こんな調子の二人ですが……どうなるのでしょうね。



☆✴︎☆✴︎☆



――心はいつも貴方と共に――


――願いはいつも君の為に――



――貴方を愛するように自分を愛そう――


――誇れる自分で君を愛したいから――



――未来はきっと私たちへ微笑むと……信じ続けよう――



 離れた地に居てもお互いを信じて、自分を信じて。相手を愛することは自分を愛することであると学んでいった二人です。


 今回の話が五ノ章最終話となります。次回、エピローグにて本編完結。ここに登場する全ての人物たちにとっては長い長い歩みでございました。


 ここまでお付き合い頂きました読者様に感謝を込めて、全力で導き出したラストをお届けさせて頂きますね。


 ひとまずはこれにて。


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