十一. 比翼連理


 遠い時代の幽体世界アストラルから伝わってくる、ぬさの音色とワダツミ様の声は彼の耳にも届いたのだろう。


 一夜の中のほんの十数分という限られた時間であるからこそ私たちは動揺することを諦め、ただこの身に起こっている現象と目の前の相手だけを確かめようと努めていた。



「しかし参ったね。ついさっき自分自身に散々なことを言われてしまった。滅茶苦茶でどうしようもない先祖だとかって」


 前世の前世、秋瀬夏南汰の声で言うと、対する春日雪之丞が困ったような笑みを浮かべた。懐かしく優しい顔をしながら私を鋭く貫いてくる。


「実際君は破天荒だったもの。その上鈍感で、僕や夏呼さんの気持ちにもまるで気付かない。手に入れるなんて夢のまた夢だった。自由過ぎて触れることさえかなわない。まさに滅茶苦茶だね」


「ユキ?」



「ナツメには言えなかったけれど、やっぱり伝えておくべきだと思う。僕はね、ある意味誰よりも君を憎んでいたよ」


「…………っ」


 優しい顔を保っている彼だけど、その拳は震えるくらい固く握られていると気が付いた。私は思わず凍りついてしまった。


 待ち焦がれた再会だというのに、こんなことって。



「そうか……そうじゃな」


 胸が痛くてたまらなかったけれど、夏南汰はやがて自身を奮い立たせるべくかぶりを振った。


 実際、自分がしてきたのはそういうことだ。相手の気持ちに気付かないまま先立ってしまうなんて最大の裏切りと言ってもいい。責められて然るべきなのだと観念して詫びの言葉を絞り出す。


「すまない、ユキ。辛い思いをさせてしまった」


 ナツメの記憶も鮮明に思い出す。私を失う恐怖に駆られた彼が二度も自分を殺めてしまったことを。そしてそんな彼を救いたい一心で、私自身の寿命を削ったことを。


「寂しい思いもさせてしまったな。私……ナツメは三十七までしか生きられなかった。私の居なくなった幽体世界アストラルにて君はただ一人で生きていかねばならなくなったのだな」


 対する彼が、幽体世界に生きていた頃の波長を取り戻す。


 夜風に踊るセピア色の長い髪。同色の瞳に泣き黒子。それは磐座冬樹と春日雪音の間に存在していた“雪那セツナ”という名の青年だ。


 私は雪那を知っている。ナツメの死後、魂のみとなった後もずっと見守っていた。独りで寂しい思いをさせた分、次こそは一緒に生まれ変わりたくて待ち続けた。



 だけど余計なお世話だったのかも知れないと今、思い知られている。


 哀しく陰った彼の瞳を目の当たりにして。



「本当だよ。酷いよ、ナツメ。運命の相手が誰だかわかっているのに、記憶を取り戻す頃にはもう生きてすらいないだなんて……あんまりだ。君のことも随分憎んでしまった」


「無理もないと思う。すまなかった」



 確かな眼差しを向けて詫びたつもりだったけれど、実際は口にするなりはらりと熱い雫が頰を伝った。最愛の者から憎いと二度も言われてしまったのだ。



「この憎しみがあるばかりに僕はいつだって君を上手く愛せなかった」


 三度目。さすがにこたえる。



――嫌いになれたらどんなに楽か……!――



 遠い昭和の世でいつの日か君が言った。無知な私の髪を搔き乱し、首筋を舐め上げ、耳朶を噛んで。そうやって滅茶苦茶に犯しながら、本当は誰よりも君自身が深く傷付いていた。私が壊れる寸前で身を引いた。


 寸前で。



 不穏な予感が脳裏をよぎって青ざめた私の唇が震え出す。たまらず彼に尋ねた。



「本当にそれで全部か? まだ……あるんじゃないのか? だって君は優しいから、いつだってそうだったな。全部話しているようでそうじゃない。加減している。私を壊すところまでは言わないし触れない。自分自身が苦しんでまで……」


 ああ、そうだ。彼を縛り付けて不自由にしているのは他でもない私だ。今伝えるべきは愛の言葉よりむしろこちらなのではないか。



「私と共に居るのは疲れるだろう。もう楽になりたいだろう、ユキ。いいぞ、カナタがどんなに悲しもうとそれは君の人生なのだから振り返る必要は無い。ツインレイ同士が必ず一緒に居なければいけないという決まりも無い。君の好きなように……選んで……っ……」



 覚悟の元で伝えているのにその声はどうしようもなく裏返った。絶えず零れてくる涙も嗚咽も実に情けない。心底自分に嫌気がさしていた、そんなとき。



――だけど愛おしかった。



 彼が言う。先程よりも更に深く、この胸の傷を押し分けて入り込んでくる。


「ううん、今だってそう。自由だからこそ君らしくて眩しくて放っておけなくて、何度でも抱き締めたくなる。誰よりも愛おしい君だよ」


 染みてくる。包容力に満ちたその声は癒しの音色に他ならないはずだけど、だけど、もう遅い。



 限界まで思い詰めた私はついにせきを切って叫んだ。二つの青色から幾つもの星屑を散らして。


「雪之丞は……っ! 私のせいで死んでしまった。冬樹さんは、まだ助かったかも知れないのに私の為に幽体世界に残った。雪那は……やっぱり私のせいで逆恨みを受けた。ナツメの寿命を奪ったなどと言われて蔑まれ、危うく殺されかけたこともあっただろう! 何故そんな目に遭ってまで私を求める。何故愛おしいなどと言えるんだ? 守る価値もないはずだよ、こんな私……」


 …………っ!



 ひったくるように抱き締められてなお、駄々っ子みたく嫌々を続けた。もう優しくしないで、私に触れないで、貴方の為にと願いながら。


「黙って。価値があるかどうかなんて僕が決めればいいでしょう」


「嫌だよ、ユキさんを……雪音さんまで巻き込んだら嫌だ! 不幸になんかしたくない!」


「不幸って何。何故君が決めるの」


「だって……」



「まだわからないの? 楽なのと、好きなのは、違うんだ」



 憮然としていた、彼の声。


 訴えれば訴える程、思い通りにならないもどかしさ。そこへ彼が更なる皮肉な想いを突き付ける。




「君に出逢えただけで幸せだと言ったら?」


「ユキ」



「笑って、カナタ」




 顔を上げて見開いた今の私。荻原カナタの青い瞳が満たされていく。温かな陽だまりのようなセピアの瞳に見つめられ。


「時間はかかってしまったけれど、もうわかったんだ。僕が守りたかったのはこれだよ」


 冷たく長い指で無理矢理に頰を持ち上げられて、その形を作らされ。


「君は確かに鈍感だけど、滅茶苦茶だけどね、とても素直ないい子じゃない。旅に出たこともそう、寿命を縮める申請だって、どれもこれも僕の為にしてくれたことでしょう。なのに君はそれを主張しないんだ。わかってるよ、僕だって本当はわかってる! ただの自分勝手とは違うってこと。そうでなきゃここまで愛おしく思うはずがない。君が思うほど僕は単純じゃない! 馬鹿にしないで」


 怒気を含みながらも笑っている。涙を流しながら笑っている彼の表情を受けて澄んでいく。



「ごめんね、僕の方こそ沢山辛い思いをさせて。あと、これも言わなきゃ」


 慈しみの音色が鎮めてくれる。



「ありがとう……夏南汰もナツメも、そしてカナタも、こんなに僕を愛してくれて」



 数多の光をいっぱいに飲み込んだ晴れの海のようなカナタの瞳が、ついに、凪を迎えたのだ。



 もうすっかり濡れてしまった彼の頰へ手を宛てがった。触れたそこが徐々に熱を帯びていく。



「きついことを言ってしまったけれど、僕も自分の命を粗末にしたことを反省しているんだ。今世の春日雪音はね、君の人生を幸せで満たしたいと思うからこそ君よりも長生きするくらいのつもりで生きているよ。寂しがり屋な君の傍に出来るだけ長く居てあげなくちゃ」


「本当に?」


「うん。君は性別の枠を超えた存在……それこそが魅力なんだけど、僕はやっぱり男らしく守る側で居たいな。それが僕の望みであり自信に繋がるんだ。君を守れるだけの強い精神力と霊力を得る為に、雪那の頃ワダツミ様に随分鍛えてもらった。わかる? 僕にも譲れないものがあるんだ。この立場だけは絶対誰にも譲ってあげない」



 瞳を伏せた彼が私の手を上から包んで更に強く自分の頰へ押し付けた。じんわりと体温を確かめるようにした後、再び開く。


 柔らかい陽だまりだった瞳が真夏の陽射しをものにしていた。強く眩しく輝いて。



「許してくれるかな? こんな我儘」



 こんなことを言ってるけれど、ユキさん、それって我儘なの? 思った以上に頑固だったのはよくわかったけどね。



 そう、ユキさんという呼び名が自然と浮かんで理解した。奇跡の夜が終わろうとしている。私たちはまたこの記憶を手放して春日雪音と荻原カナタに戻るのだ。


 もはやお互いの頰をまさぐるようにしていた。今という時を名残惜しみながら、精一杯の想いを交わしていくのだ。



「現代だからこその苦難もあるはずだ。昔と違っていろんな愛の形が受け入れられるようになってきたけれど、そうやって多様化すればする程、付き合い方がわからなくなっていく人も多いよ。異なるものへの理解なんて皆が皆共有出来るはずもない。今、世の中全体で模索している最中だ。負けずに引っ張っていくからついてきてね」


「うん、二人一緒なら怖くないよ」


「仲間も居るよ。ヤナギさんも夏南呼ななこさんもブランチさんも僕らのすぐ傍に。出会ってないだけで実際はもっと居るかも知れないね」


「みんなにも恩を返していかなきゃね」


「なら、うんと幸せならなきゃね。君も言ってたじゃない。今の僕らが今のお互いを必要としたんだ。想いを伝え合ったあの日も、一つになった瞬間も、そこに居たのは紛れもない今の二人だったでしょう。また新しく始めるんだ。過去は縛られるものではなく教訓にするものだよ」


 随分と頼もしくなった広い肩へ倒れ込むようにして額を寄せた。二つの鼓動が重なっていく。


 私の奥深くにまで流れ込んで揺さぶる、それは遠い遠い昔から存在していたようにさえ思える彼の強い意志。


「カナタも覚えておいてね。こうは言ったけれど、生きている以上、誰にだって終わりが来るんだ。それでも愛は続くよ。寂しいけれど、悲しいことばかりじゃないと知っていった。君の居ない世界でさえ君の気配を感じていた。何よりも尊いのは絆だと知った。無理に後を追ったり自分を犠牲にするのは違うって痛い程わかったでしょう、僕ら。だから……ね、一生懸命生きよう。どちらが先に逝っても一緒に生きられて良かったと思いたいじゃない」


 そう、例え記憶は残らなくとも想いは残る。残るんだ。だから……



「一緒になろう。僕と人生を共にする伴侶になって下さい」



 再び現在いまに目覚めた頃にまた、きっと、この言葉を聞かせてくれると信じているよ。




 私も……私も、



 君に出逢えたことが何より幸せなのだから。





「ユキ……!!」





 記憶の渦が完全に遠のいたその時に、力の限り叫んだ君の名が、残った。




「ユキ、か。いいね……それ」


「えっ、あ……っ、ごめんなさい。なんで私、呼び捨てに……」



「ううん、いいんだよ。だって僕はもっともっと君に近付きたいと願ってる」



 ついさっき訪れた奇跡を忘れ、一体何が起きたのだと戸惑うカナタ。そこへ彼が緩やかにひざまずいた。


――――!


 力なく垂れていた手を取って、花弁のように柔らかい口づけを落としたなら


「カナタ」


 しっかりとこの目を見つめてあの言葉を聞かせてくれる。






「……うん、うん、宜しくね。私もうんと強くなるから。頑張って貴方の支えになるよ」




 もう信じていいんだよね……ユキ。



 私たちは二人で一つだ。私は貴方のもう一つの翼。この先どんな困難があろうとも、二人で飛んでいけるのだと。




 頰を濡らし泣きじゃくって動くことも出来ない私を彼が導いてくれた。お姫様のように身体の前に抱きかかえて歩いてくれた。満天の星空の下で皆が目を見開いている、その道のりは



「もう大丈夫だってばぁ! ユキぃ……っ!」



 かなり恥ずかしかったけれど。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



「もぉ恥ずかしいから降ろしてよぉ……」


「泣き止んだらね」



「無理言わないで! ユキの意地悪!」



「ふふ、冗談だよ。沢山泣いていい、いくらでも……」




――そう、いくらでも。スッキリするまで吐き出してごらん――



――そして沢山泣かせてしまった分――



――これからは僕が君だけの優しい夜になり続けるよ――



――離れていても寂しくないように――



☆✴︎☆✴︎☆



 新たな名が登場しました。前回紹介させて頂きました『輪廻転生』の空欄がこれで一つ埋まります。


 ✴︎春日雪之丞→磐座冬樹→雪那→春日雪音


 こうなるのですね。ちなみに今回の話の一番上にありますイラストがアストラル時代の二人。雪那が前世の記憶を取り戻す頃、ナツメはすでに亡くなって魂のみとなっていた。だけど見えない存在になってなお、ずっと彼の傍に寄り添っていたという描写です。


 今回二人の交わした会話によると、雪那は随分苦労したり、寂しい思いをしたり、ときには危険な状況にまで直面したようですね。


 そしてワダツミに魂と霊力を鍛えてもらっていたとのこと。



 “思い出す頃にはすでに最愛の人がこの世に居ない”



 こんな状況の中でも彼は懸命に生きました。数多くのことを学んで今の雪音へと続いております。


 一体何をして生きていた人なのか?


 一体何が孤独な彼の希望となったのか?



 そちらは本編完結後の番外編(こちらとは別に連載で投稿する予定です)にて紹介させて頂こうと考えております。



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