十. 千載一遇


 車を降りて夕暮れの公園を彼と二人で歩いた。空の色は一層深くなり幾多もの街の灯りを際立たせ、夜景と呼べる光景まで今まさに近付こうとしている。


 遠い観覧車の色を写し出して紫色っぽく染まった水面を海上バスがゆっくり流れていく。デートスポットとしても名高い場所だけに、微笑み肩を寄せ合うカップルたちと何度となくすれ違った。



「はいっ、あーん」


「おいおい、よせやい。人前じゃないかぁ」


 なんて会話を交わしながらソフトクリームを分け合うカップルを横目で見ていると


「なぁに? 今度はアイスが食べたくなっちゃった?」


 って彼が笑い出す。暑い夏の夜だからそれもいいけれど、いや、やっぱり今は違うなってカナタは小さく首を横に振った。



 あんな舞台を観たからだろうか、今日一日感じていた思いの正体がやっとわかった気がしたんだ。



 小さなことが嬉しくてたまらなかったのは、きっと幸せすぎて怖かったからだ。


 こんな波乱万丈な人生でなくたって、人はいつか死別を経験するんだ。


 時よ止まれ、なんて。きっと誰もが願ったことがあるだろうに、叶った試しなんてただの一度も無いはずだ。


 ぬくもりに包まれながら迎える朝も、安らぎに零れる息吹も、あんな愛おしい時間も……全部、いつかは過去のものになってしまうんだ。



 夏南汰と雪之丞がそうであったように。



 穂をもたげるすすきみたいにすっかり項垂れてしまったカナタの手を大きな彼の手がきゅっと握り締めた。ユキさん、と呼びながら見上げるカナタの目はまるで迷子の子どものよう。


「夏だっていうのに寒そうだね、おいで」


「ユキさ……あ」


「ほら、あったかいでしょ」


 震えるこの姿を見ていられなくなったのか、くるりと私の身体を反転させた彼が後ろから大きく包み込む。よしよしって言いながら頰や頭を撫でたりなんかしてくれるのがちょっとくすぐったい。汗ばむくらい密着している。だけどやっぱり心地良くて……


「凄くいい」


 なんて思わず呟いた。言葉にならない想いのやり場に困ってしまう。貴方は何も悪くない。全ては自身の中で起きている訳もわからない現象のせいだって、思うのに。



 そうして二人で海に面して佇む姿勢となった。カナタの震える唇から熱い吐息が零れていった。



「ねぇ、見て」


 やがて背後のユキさんが何処ぞの方向を指し示した。花が咲いてる。勿忘草と同じくらい僕が好きな花、と聞いて、やっとざわつく自分の胸の内以外に興味の対象を得たカナタも続いて高みの方向を見上げた。


 目を凝らしてみる。しかしながら植え込みから伸びる樹木に花らしきものが在るようには見えない。


「どれ?」


 小さく首を傾げたそこへ


「もうちょっと近付いてみようか。夏の花がちゃんと咲いてるんだよ」


 促す彼の声が届いてようやく身体を離した。



 樹木に近付くとほんの小さなそれを確かめることが出来た。街灯のおかげでライムグリーンだとわかる。花……というよりかは芽のように見えるのだが。


ナツメだよ。小さくて決して派手ではないけれど芯が硬そうで、健気に咲く姿がなんとも可愛いんだ。染まらない清らかさを感じるというか」


「やめてくれ、恥ずかしい」



「……え?」


「あ、いや」



 まぁるく見開いたユキさんの目に見つめられて我に返った。なんか変なことを言ったか?いや、言ったなと。


 言い表せぬ違和感にカナタは戸惑っていた。しかし対する彼はごく自然に微笑みで返すのだ。



「昨夜話してくれたね、心の中から声が聞こえるって。安心して。それなら僕もよくあることだから」


 打ち明けられても特に驚くことは無かった。だってそれならば“勿忘草の君”と呼ばれた瞬間になんとなく感じ取っていたからだ。



 しかし続く彼の言葉がカナタを目を見開かせることとなる。


「僕はね、シャーマン一族って呼ばれる磐座家の血を引いているんだ」


「え!」


 そう、まさかこんな事実が秘められていようとは。



「だってユキさんは春日家の人だよね? え、じゃあナツコさんたちは? あれ??」


「ああ、柏原さんは遠縁だけど一応親戚だよ。三つの家系が繋がったことで磐座家の霊能力が分散されたらしくてね、だから僕にも運命を見極める霊感が……って、あ、ごめん。気味が悪いかな、こういう話」



 ううん、と首を横に振ると彼は安堵の息を零した。むしろ興味深いと身を乗り出すカナタに彼は続けて話してくれる。


「でもカナタ、君のはなんだろうね。僕らと似ているようでまた違う、きっと不思議な力を持った魂なんじゃないかな」


 そして状況は緩やかに変化していく。


「うん。私は性別とか世界とか、いろんな境を超える能力を持っているって聞いたことがあるよ、あの人・・・から」


 いや、遡っていく。


「あの人ね。きっと春日と柏原が磐座家の能力を継いだのも意味があってのことなんだよ。磐座家は協力者を必要としてたし、運命の相手を探す僕らにとっても頼もしい力となる。そうだね、きっと……」



――これもワダツミ様の計らい――



 クスクスと笑っていた彼もどうやら気付いたようだ。


 物質世界ここに存在するはずのないこと。自分が今、何を口にしたのか。




 共に見つめ合ったまま動きを止めた。




「ユキさん……? 今……ワダツミ様、って」



「カナ、タ……? 君は……君、は」




『…………っ!!』



 動き出したのはあまりに突然だった。



 頭上に生まれた幾千もの星々がみるみるうちに流れ星となっていく。幾つもの筋が弧をえがいて空の形を示すように。



「ユキさ……!」


「カナタ!!」



 ただならぬ異変を感じて守り合うべく互いに身体を寄せた。無我夢中でユキさんの胸に縋り付く。しかし逆流する時は待ってくれない。


 紫がかった雲の群れが生き物のように蠢いていく。絶えず途切れず何処までも続いて、急激に酸素が薄れたような感覚に悶える私たちを容赦もなく飲み込んでいくのだ。



 そうして遡る時間がついに私たちの波長を蘇らせた、こんなことが起こるだなんて。





――君は……



 呆然と立ち尽くす。白い光を纏った彼が真っ直ぐこちらを見つめている。



「君は……ナツメだね?」



 震える彼の声が扉を開く。同じまばゆさに包まれた私もそれに続いて。


「冬樹さん、ですね」


 懐かしい名を口にする。これは紛れもなく私の前世、“ナツメ”の声に他ならない。



 しゃん、しゃん、と。とてつもなく遠い場所から厳かなる音が聴こえた。厳かなる儀式を彷彿とさせる、ぬさの音。


 波長が更に前まで遡って、何が起きているのかを理解していく。



「ナツメの前は秋瀬……秋瀬夏南汰だね」


「そうじゃよ、ユキ。君は春日雪之丞だった。懐かしいのう」



 てんと星幽の間に立つと自称したあの人の姿と声が聞こえてくる。



――再会した片割れ同士が一つになって自らの軌跡を見届けられたとき、全てが遡る奇跡の夜が訪れるだろう――



――持ってせいぜい十五分程度だがな。其方たちの転生は実に複雑じゃ。一度じっくり話し合う機会を持つと良いじゃろう――



「ご先祖様どころか」


「私たちだった」


「驚いたね」



 わずか十五分ばかり記憶を取り戻す奇跡の夜。どうやらこれもワダツミ様が仕込んでいたことらしい。



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次回、各キャラクターの『輪廻転生』と『血縁』についての解説を挟みます。

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