四. 延頸鶴望


 全ての生命は数奇な運命の繰り返しを経て、幾重にも連なり、枝分かれし、何度となく形を変えながら現在へと行き着いている。


 そんな生態系の神秘にいつしか心惹かれていた。もっと紐解けるのではないか、もっともっとその奥深さに触れて、いつしか……


 私なりの真実さえ見つけ出せるのではないか。



 研究員を入り口に生物学者を目指そうと思ったのはそんなことがキッカケだった。コミュニケーション能力よりも集中力に長けた面々が揃っている。孤独だって覚悟の上だ。そんなふうに考えてこの場にやってきた訳なのだが。



「カナタくんって食細いよねぇ。好きな食べ物は?」


「パンケーキが好きです」


「えぇ! かっわいい~~!!」



「はいはーい、次は私から質問! 趣味はなんですかぁ?」


「研究が好きです」


「え~、それは仕事じゃん! 他には無いの?」


「んんと……寝ることと食べること、かな」



『きゃ~~っ!! 癒し系~~!』



 昼休憩中の食堂に響き渡る女性社員たちの黄色い声。そこへ男性社員たちもなんだなんだとばかりに集まってくる。



「へぇ、君が噂の新入社員か。確かに綺麗だね、モテるでしょう?」


「つか、どうしたらそんなすべすべの肌でいられんだ? 俺の肌なんてホラ見てみ、こんな脂ぎってんの」


「ガハハ、俺らみたいなオッサンと一緒にしちゃ駄目だろ〜!」



『ワッハッハ!!』



 質問の嵐に見舞われながら私は今、実感している。今の今まで、研究員という人たちに対して実に偏見じみた感覚を持っていたのだと。



 とりわけ人見知りという訳でもないカナタもそれなり緊張感はしていたはずだ。それがどうだろうか。皆と共に過ごす時間を重ねるごとにほころび色付いていく。ふと我に返った瞬間はちょっぴりくすぐったく。



「あっ、室長だ」


「ユキさんもお昼一緒にどうですかぁ」



 遠くから目が合った……ような、気がした。それだけで、自分では止められないくらい熱を帯びて熟れていく。



「すっかり打ち解けたね。荻原くん」


「ありがとうございます」



 バレないように、ほんの一瞬ばかり頰を膨らませたりなんかした。みんなもう名前で呼んでくれてるよ? だけど貴方はそのままだから……


(ユキさん、なんて、呼べないじゃん)


 ちょっぴりもどかしく。




 いいや、何を考えているんだ。いくら優しい人だからと言ったって相手は上司なんだ。私はまだ入社二ヶ月程度の新人だし、これでいいんだ。うん、これでいい。


 研究に戻ったカナタはひたすら己に言い聞かせた。イヤイヤするみたいに疼く自身の心を無理矢理に納得へと導いた。



 研究に没頭する時間はこんな消化不良の燻りを忘れさせてくれるものだから、カナタは一層、無我夢中で微生物とのにらめっこを続けた。もとより優れている集中力を駆使して、実験からデータ解析まで寝食を忘れてのめり込む。



 もはやのんびり屋と呼ばれていたのが嘘みたいに、誰よりも早く出社して朝から晩まで。


 新緑の色が梅雨の滴りに濡れても。


「荻原くん、最近ますます痩せたんじゃない?」


 案ずる誰かの声が聴こえても。


「ちゃんと食べてる? 少しは休まないと……」


 その声が


「ねぇ、ちょっと」


 私の大好きな




 大好きな……




 ガタンッ



「荻原くん!!」



 雪の音色だと気付いていても。





 今まで受けてきた質問に答えるならば、私はパンケーキと同じくらいフレンチトーストが好きだ。趣味は洋楽を聴くことだよ。割と激しめでビリビリ痺れるくらい尖ってるのがいいな。白檀ビャクダンの香を焚いたり、カラーセラピーに癒されたり、実は綺麗なネイルを施すのも好き。手の爪はあまり伸ばせないから足の方に塗っているんだ。


 最近はますます痩せたと思うよ。研究が楽しすぎてつい忘れちゃった……



 なんてね。ごめんなさい、それは嘘です。



 本当は食べたくても食べれないんだ。何故だかたまらなく苦しくて苦しくて、大好きなパンケーキさえ飲み下すのが精一杯だった。



 なんでかな。



 あの人のことを想っていると……





 季節は六月中旬。夕立が窓をせわしなく叩く研究室内で突如倒れてしまったカナタは、何処へ運ばれたかもわからないまま、夢現ゆめうつつの狭間にて今更な回答を続けていた。


 やがてふわりと流れ込んできたそよ風のぬるさで目を覚ました。ベッドに寝そべっていてもまだくらくらする頭を傾けると、窓が少しだけ開いているのが見えた。おそらく医務室なのだろうと察しもついていた。


 倒れたのが確か午後の五時半くらい。あれから少なくとも数十分は経っているだろうに、窓の外はまだほんのりと明るかった。



 日が長くなったんだ。夏が近いんだ。全身で感じる季節感の中に、異質なそれはゆっくりと入り込んできた。



――カナタくん。



 優しい音色が響き、慈しみの冷感が私の手を包み込む。



「気付いて良かった、カナタくん。だからちゃんと休んでって言ったのに、全然聞いてくれないんだもん。僕がどれだけ心配してたかわかってるの?」


「…………っ」



 たった今、私が息を詰まらせたことにさえ気付いてない。眉を釣り上げ、口をへの字に。何処か苛立っている様子の彼が再びその響きを口にするのだ。



「ねぇ、カナタく……」



 あ……っ。



 ベッドの傍から手を握るその人が今更のようにためらい、ばつが悪そうに口をつぐんだ。反して私の中からは何か熱いものがとめどなく溢れてくる。



「ご、ごめんね。馴れ馴れしかったね。荻原くん、今日はもう帰って休みなさい」


 なんて言う雪の君の


「それでいいですよ」


 冷たい手を強く握り返したカナタが微笑む。垂れ下がった目をまぁるく見開いて固まっているその人へ。



「なんかよくわからないけれど今、凄く嬉しかった。ありがとう……ユキさん」



 …………




「……カナタくん、君って子は」


「ちゃんと帰りますから。栄養のあるものを沢山食べて、ゆっくり眠ります」


「うん、いい子だね」



 大きな手で頭を撫でられるとくすぐったくて思わず身をよじる。もういっそのこと、ゴロゴロ喉を鳴らして擦り寄る猫にでもなってしまいたい気分だ。やや調子に乗ったカナタから一つの我儘が零れ出る。陽を反射する雪景色に目が眩んだみたいに、じんわり滲んだ瞳を細めて。



「ユキさんと一緒に帰りたいな」



「もう、本当に君は……いい子なんだか悪い子なんだか」



 紅の夕日に二人包まれると、私の中に眠り続けていた眩い夏が咲いた気がした。




 その日の帰り道、夜空のもと



 雪の君の隣でぽかぽかあったまった心地のカナタがぽつりと呟いた。


「学習能力が無くてすみません」


「なぁに? 前にも倒れたことがあるの?」



 前にも……




 …………あったっけ?



「いえ、こう……夢中になるとよく突っ走っちゃうことが……」



 とっさに誤魔化してはみたものの、驚いた顔で見下ろすユキさん以上に実は私の方が驚いていたんじゃないかと思う。


 近頃私の周り……いいや、私自身、だよね。なんだか不思議なことばかりが続いてる。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



――早く私を紐解いて……お願い――



――この花と共に生きてきた理由と譲れない想いを……――



――いつか君に見せてあげるんだから――


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