三. 輪廻転生
再会のとき。それは連絡を貰うまでもなかった。
「今日から出勤の新入社員って、やっぱり君だったんだ」
「あわ、わ……っ」
あんなことがあったすぐ後だ。何故か無性に会いたくてたまらない人だったけれど、欲を言うならもう少し時間が欲しかった。
まさか同じ部署だったなんて。
しかも上司……!
もはや恥じらいの熱は完全に冷めたと言っていいだろう。赤くなる? とんでもない、それどころか熟れゆく林檎を逆再生するかの如く、カナタは青ざめていく一方だった。
ここは横浜市内に位置する『国際総合科学研究機関』の日本研究所だ。かねてより海外との交流が深い家庭で育ち、私自身もドイツの血を引いている。入社1ヶ月目は海外の本部に居たのだが、言語の壁もそれほど感じることもなく無事研修期間を終えた。
そうしてこの度、母国の研究所に配属となった訳だが……
「しょうがない。正確に言うとあの柵は研究所の所有する菜園の敷地だからね、一応入館パスは通ってきてる訳だし、さっきのことは水に流してあげるよ」
「は、はい」
「ただし、今度やったら許さないからね」
「……ごめんなさい」
厳しい顔で腕組みをする“雪の君”を前に震え上がった後は、耐え切れずに身体を小さくする。早くも前途多難だ。
そうして研究室の入り口に突っ立っていると、対する上司の立つ位置を中心としてぞろぞろと人が集まってくる。生物学研究を主とするこの部署には、見たところ女性が多いようだ。
その中の一人、アッシュブラウンのウェーブヘアをポニーテールに結った女性が上司に問いかけた。何故かほんのり頰を染め、チラチラとこちらを伺いながら。
「お知り合いですか? ユキさん」
「ユキ?」
驚いて思わず返してしまったのは私の方だ。なんだか聴き覚えがある。そして他でもない自分が口にした覚えが、ある。何処でだったのか……はっきりとは思い出せないが。
青い目をまぁるく見開いたカナタに気付いたのだろう。ポニーテールの女性よりやや歳下と思しき黒髪ロングの女性が呆れ気味にため息をついて。
「なんだまだじゃないですか。よくわからないですけど自己紹介くらいしましょうよ。ぼーっとしてないでしっかりして下さい、室長!」
「あっ、うん、ごめん」
室長と呼ばれたその人がヘコヘコと小さく頭を下げたりなんかする。クスクスとこそかしこから聞こえる含み笑いの声。これだけでこの研究室における上司部下の関係性が見えてくるようだ。
とは言え、見たところこの室長は二十代半ばくらいに思える。この年齢でこの役職とはかなりのやり手と考えていいんじゃないだろうか。
改めて姿勢を正した室長が名乗った。私の動揺を鎮めるかの如く、垂れ下がった瞼を柔らかく細めて。
「初めまして。室長の
(雪音さん……それでユキさんか)
「女性っぽいお名前ですけど男の人なんですよ」
「もぉ〜お姉ちゃんったら、言わなくたって見ればわかるでしょ。ユキさんはこんなに背も高いんだし、少なくとも女の人と間違われる顔じゃないわ」
確かに確かに! と笑い混じりの相槌が周りから降ってくる。お姉ちゃんと呼ばれたポニーテールの女性は多分“天然”などと呼ばれているんじゃないだろうか、と予想していたところへ……
「それより貴方よ!」
明朗な声をした黒髪の女性が目を輝かせる。
「こう言っちゃ失礼かも知れないけど、正直声を聞いてびっくりしたわ。だっててっきり女の子が来たんだと思ったんだもの」
ほんとね! すっごく綺麗な顔をしてるから……
よく間違われるでしょう?
うんうん、と全力で頷く周りの人たちもどうやら同意見のようだ。
やがてポニーテールの女性の元へ歩み寄った黒髪の彼女がぱっと花開くように微笑んで名乗る。
「私は
「もう……っ、やめて頂戴、ナナコ。ご迷惑でしょう」
「十七歳と
「やめなさいって」
ほーっと密かにため息を零しながらカナタは思考する。
活発な性格と見られる妹のナナコさん、十七歳ということはおそらく飛び級で大学まで進んだのか、あるいはアルバイトなのか。同じく飛び級と留学でここまで辿り着いた私だが、これ程若い研究者はほとんど目にしたことがない。いずれにしてもかなり頭のキレる人なのではないかと予想できる。
私と同い年である姉のナツコさんは恥ずかしがり屋な性格のようだ。男に慣れていないのかも知れないな。もじもじと身をよじる仕草が思春期の少女のようでなんとも愛らしい。
と、ここまで考えていたところでようやく気が付いた。
貴方は?
まるでそう問いかけるかのような柏原姉妹の眼差しにはっとなって。
「申し遅れました。海外での研修を終えてこの度生物課へ配属となりました、荻原カナタと申します」
宜しくお願い致しますっ!
力の限り頭を下げたとき、周囲が騒めく気配を感じた。
(なんだ?)
恐る恐る顔を上げたカナタは確かに感じ取った。騒めいているというよりこれは……色めき立っている?
「カナタさんっていうの? わぁ、凄い凄い! ユキさんっ、運命の人の登場ですよ!」
肩を揺さぶられるなりかぁっと赤く染まった室長の顔を見て、カナタは更に首を捻る。一体何が起きたのだと。
小さく飛び跳ねながら隣とこちらを交互に見ていたナナコさんが語ってくれた。
『真夏の雪に逢いに行こう』
「え?」
「有名な舞台なんだけど、カナタさんは知らない?」
いや、知らないどころか……
「ユキさんはね、あの物語に出てくる春日雪之丞と同じ家系の子孫なの。だから思わず興奮しちゃった。昔は友情の物語として語り継がれてたんだけど、十年くらい前に秋瀬家から真実が公表されたの。男性同士でもあの二人は精一杯に恋をしていた。なんで私がこんなに詳しいかって? だって秋瀬家と仲良しな柏原家はもっともーっと前から知ってたんだからね! カナタとユキって言ったら今や運命の二人の代名詞なのよ。まるで時を超えて巡り合ったみたいだな〜なんて!」
こんなことって。
「もう、ナナコ。あまり荻原さんを困らせちゃいけないわ。あの物語に出てるくるカナタさんは秋瀬夏南汰さんでしょう?」
「えへへ、そうだけど〜」
たしなめてくれてありがとう、ナツコさん。だけど、だけどね。
これは言った方がいいのだろうか。
姓こそ“荻原”だが、私の先祖には“秋瀬”がいる。ただの偶然ではない。あの有名な舞台の真相を公表したのは確かに私の親族だと知っている。
言わなきゃわからないことだけど、そうなんだ。
私は秋瀬夏南汰の血を引いているのだと。
やがて顔を洗うときみたいにゴシゴシと頰を擦った室長……いや、ユキさんが困り顔でこちらを見た。林檎を彷彿とさせる彼の赤みも私の高鳴りも、共に激しさを増していく。
「いや、あまり気にしなくていいからね?」
そんなことを言われたって。たまらずうつむいたカナタは一つの確信を覚えた。
――ごごご、ごめん!! 悪かった、僕が近付き過ぎた。わざとじゃないんだ!――
わざとじゃなくたって。まだはっきりと覚えているよ。
冷たい温度、それでも柔らかい感触の中には確かにぬくもりがあった。身体の真ん中を走る神経をここまで実感したのは初めてだった。私たちはあんなことまでしてしまったんだよ、ユキさん。
気にしないなんて……無理だ……っ!!
――運命はもう、繋がってしまったのだから――
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