5. 発芽
日が経つごとに薄れていくのは、たっぷりの水で溶かして
反して濃ゆくなっていくものもある。晴天の青みと新緑が織り成す目が痛いくらいのコントラスト、サークル通いに慣れた者たちの弾けた笑い声。とりわけ運動の
いい加減慣れなくてはな。あちらもこちらも取り組みたいことに励んでいるのは同じ。彼らに罪は無いのだから。
きっともう会えないのだろうと思った。迎えに行こう。一度はそう考えたあの色、にも。
しかし今やさほど寂しいということもない。人の心などそんなもの。私もまた薄れていくのだ。
あの日の苛立ちだってよくよく考えてみれば、女性が定期的に迎える“アレ”があったからではなかろうか。この身体でもちゃんと起こるのか、と驚きもしたが、特に初めてという訳でもなかった。
そう、全てはやがて薄れ、移り変わる。そして……また別の存在が、濃く、深く。
強く。
「あーきせさん!」
講義を終えて荷物をまとめている最中に突如届いた。ハミングかと思ったそれが自身の名を象っていると気付いたナツメはだいぶ遅れて顔を上げる。
「どうしたの? 随分ぼーっとしていたね」
「ああ、君は……」
確か。
「
「わっ、嬉しい! 覚えててくれたんだぁ? みんな最初は“ハギワラ、ハギワラ”って言うからさ。“ハギワラちゃう~! オギワラや~!”って突っ込む準備だってしてたんだけど? さっすが秋瀬女史は抜かりが無いよねぇ! ミステリアスでキレイで掴みどころが無い上に、突っ込みどころも無いっていう? こりゃ参ったぁ~! あはは~~っ!!」
うむ、安心した。やはり間違いはなかったか。こちらが一言発すればその二十倍以上を容易に返してくる驚異の滑舌とボキャブラリー。同級生の男子、荻原。実に滑稽だ。悪い意味ではないぞ。それがまた面白いのだからな。
この際なので言っておこう。人付き合いが嫌い。私はしばしばこのような誤解をされるのだが、決してそのようなことはない。少々表に出にくいが故に起こる現象なのだろうが。
「ねぇねぇ、秋瀬さんって合コンとか興味ないの?」
こうして懐かれるのだって嫌かと問われたら嫌な訳でもない。
「新しく企画してるんだ。たまには参加してみない? 楽しいよ~!」
ただ内容によってはちょっとばかり。
「たいぎいねぇ……」
「え? 何て?」
「いや、何でも」
うっかり漏らしてしまったことを反省しつつ再び教材をまとめ始めると、しばし小さく唸っていた荻原が勝手に、あぁ、わかった! などと合点のいった声を上げた。それから彼は耳元まで身を屈めて。
「他の女の子が嫌がるんだ? 秋瀬さん、美人だから」
そんなのは知らぬ。
「ねぇ、それじゃあせめて、さ。メアド交換しない?」
メアド?
何やら
(それは……!)
興味深いと思っていたのだ。ここに来て、初めて目にしたときから。
「携帯写真機!」
「そうそう! 一家に一台、携帯写真機……って、ちゃうわーー!!」
ぽかんとしているナツメの前、やたら大音量で声を上げたばかりの荻原が腹を抱えて笑い出す。なんでやねーん、とか時折交えてくるそのイントネーションには若干の違和感がある。しかしそれ以上に驚きを隠せない事態が容赦もなく続くことに。
「電話とか、メール! たまにはしようよって話」
「電話機能が搭載されているのか? 無線ではなく!」
「もぉ、秋瀬さんったら……何気にギャグセン高いよね」
「ギャグ? セン??」
聞けば聞く程興味深い。触れてみて良いだろうか。いや、必ず元に戻してみせる。願わくば解体を……などと申し出たい気持ちに疼いていたときだ。
「あーあ、やっぱりかわされちゃったかぁ」
全興味の対象、電話機能付き写真機が無情にも遠のいていく。背を向けた荻原の声色に気付いたのは遅れてだった。彼もまたしばらく後に振り向いて。
「ナツメちゃんって呼んでもいいかな?」
「あぁ、好きにしたまえ」
「やった! じゃあ俺も
「了解した」
まだ初夏だというのに早くも日焼けしたような浅黒の肌に、相反する真っ白な歯が眩しかった。鼻の下をこすり、ちょっとばかり色付いているようにも見える。そんなに嬉しいか、荻原圭吾。
私にはすべきことがある。ゴウコンとやらには付き合えないが、良い息抜きになった、と束の間の満足に小さな息がこぼれた。
そして彼の後ろ姿を見送る途中で、見えた。
バサバサッ
「あっ……!」
薄暗い入り口の向こうでまたあたふたやっている。全く……見ていられない。
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