4. 扉
時は再び現在に戻る。あの春一番に吹かれた日から更に経つこと二週間。ついに境をまたいでしまった皐月の上旬らしい新緑を見上げながら、かすかなため息を登らせ入道雲に紛らわす。
気がかりを残したままだ。もう一度訪れよう。そしてただ一つ、どれだけ小さくてもいいから迎えに行こうと思っていたあの“青色”の見頃はじきに終わってしまうのだろう。
今日はいつになく苛立ちが落ち着かない。誰かにでも何かにでもなく、対象は極めて近いもの。農学部に立ち寄る
とは言えだ。何も悪いことばかりではない。夏に近付くに連れて日は確実に長くなる。更にゴールデン何とやらという期間に入ったことで学生たちの姿はほんのわずか。事前に入室許可をもらっている研究室には好きな時間に入れるし、かつてより遅くまで続けることもできる。
悪くない。これはこれで実に素晴らしいと言えるのだから。
たまには気分転換にと近場の喫茶店で昼食を済ませたナツメは、規則的な高音を響かせながらがらりとした大学構内に戻った。全く誰も居ないという訳ではない。それでもこのゴールデン何とやらの間には、見慣れた彼にさえ会っていないのだ。
それ故、今日も限りなく、無心に、勤しめそうだ、などと考えていた訳だが。
「磐座せんせーい!」
居たのか。ナツメはユニフォームにポニーテール姿の女子が向かった先を横目で伺う。テニスサークルが部員たちが勤しむグラウンド前のベンチにその人の姿は確かに在った。
(磐座、か)
出会った当初こそ気になって仕方がなかった響きだが、日を追うごとにやはり違うのではと思えてくる。あの締まりのない笑み……私の知る凜とした方とはあまりに遠い。それよりか近頃は。
「あっ、ユキちゃん先生だぁ」
こちらの方が気になってしまう。もう一人駆け寄ってきた同じくユニフォーム姿の女子を先程と同じようにして迎えている。同じような笑顔。
彼はきっと気にならないのだ。そういう人なのだ。何と呼ばれようが同じように優しく笑う。同じように……
あんな顔を、するんだ。
そこからは結構足早に進んだと思う。もしかしたら走っていたかも知れない。
距離を縮められているなんて気付きもしなかった。きっと、自身の足音がうるさ過ぎたせいだろう。
――秋瀬!
肩を掴まれて、やっと、振り返る。
「まだ、あし、治って、な……」
短い息遣いと共に声まで途切れ途切れな彼は、片手を膝に置き、顔を伏せ、それでももう片方の手は未だ私にかけたままだ。
「そんな靴履いてきちゃ駄目だろう!しかも走るなんて!」
どうやら怒っているようだ。口調だけ強くなっても、相変わらず泣き顔みたいなのに。威厳なんて無いくせに。
「包帯も湿布も、もう必要ありません。痛くもないです」
「そういう問題じゃ……」
「そうですか。そこまで仰るなら」
肩にかけられた手に触れるとぴくりと跳ね上がる感触を受けた。それでも掴んだ。もう片方空いた後ろ手でドアノブを捻り、ゆっくりと。
「大丈夫かどうか診てくれますか? ……先生」
内側へ導いた。
抗われることも咎められることもなかった。ただ一瞬困ったように笑って
「悪い子だ」
と言った彼に後でささやかな仕返しをした。
「
「え、檸檬!?」
研究室内のソファに並んで珈琲を嗜む、
どうぞ悩んでいて下さい、そのまま。疑問を放っておけない貴方は、当分ここから出られはしない。
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