五. 冬夏青青
夏本番。うだる暑さに干し上がりそうな全身はそろそろ冷水を嗜みたいところだろうか。
しかし火照った身体を更に熱い湯船に沈める。肩まで浸かって百数え、汗を流しきったところで風呂上がりの冷たい牛乳を一気に! これもまた捨てがたい。
早朝の乾布摩擦を終えた夏南汰は長く長く息を吐く。身支度の為に引き返した廊下の途中、裸の肩に引っかけた手拭いが何度も落っこちそうになった。
脱衣場の籠に手拭いを入れた。いつもは大して見もしない大きな姿見の前で今朝は何故だか立ち尽くしてしまった。
漆黒を伝って鎖骨まで伝い落ちる雫。汗で湿っている為か一層長く感じられる黒髪。細い胴はただそこに膨らみが無いというだけで……
これではまるで。
下の衣類も取っ払った夏南汰はそのまま浴室を目指した。辺りを振動させるくらい乱暴に戸を閉めてしまった。
夏が終わり、秋を迎え、冬の寒さを乗り切ってまた春が来る。三月のその頃には十八を迎えるというのに声質だって少年の頃とさほど変わりないように思える。変声期? あったことはあったが、な。
そもそも“少年”だったのかどうかさえ怪しいものだ。事実はこうして目の前にある。無いものが無くてあるものが有る。だがそれだけだ。かつての私にとっての真実が“あった”かどうか、となると……
ふるふると顔を振って仕切り直しをする。この仕草を母はよく、仔犬のようだと言っていた。
夏休みはかねてより興味を持っていたある勉学に励むつもりだ。それから“準備”もせねばならない頃。
しかし
ソファへ仰向けに身を投げ出した夏南汰は目を閉じてみる。少しだけ、あと少しだけ……そう繰り返すのが羊を数えるあれに似ていたのか、次第に微睡んでくる瞼の裏は褐色から白みがかった霧のような色合いへ。
そして更に移り変わる。
突き抜ける青空にはらりはらりと紅葉が混じり出し、全て地に落ち着いたその頃にはしんしんと舞い降りてくる天使たち。そこには何故か人影がある。雪景色の中で振り返る、儚げな微笑の。
(ユキ?)
うっすら瞼を開いた。夏南汰は可笑しくなって笑った。思い出したことがあった。
ああ、そんな名前だから君は勝手にその景色の中へ閉じ込められるけれど、本当は夏生まれだった、な。もうすぐだったはずだ。
「私としたことが」
夏南汰は一気に身体を起こした。迷いのない足取りで鞄片手に部屋を後にした。
下駄を履いて外に踏み出す。口煩い兄に見つかる前にと半ば駆け足で門を潜った。
晴天が迎えてくれた。
勉学か、まぁ一日くらいはいいだろう。言い訳じみた何かを己に言い聞かせる前から身体はすでに躍動している。
君はまたあんな顔を見せてくれるのだろうか。
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