四. 花鳥風月
久しぶりの訪問をあんなに楽しみにしていたユキは自室に招かれてなお、なかなか固い姿勢を崩さない。十数分程前まで赤かったかと思った顔色は今や青みを帯びてさえいる。まるで林檎の成長過程を遡って見ている気分だ。
「ユキ、紅茶だ」
「……ありがとう」
「菓子もあるぞ」
「……うん」
何とやりづらいことか。
いつまでもこのままというのはあまりにも肩が凝る。ただでさえ肩身の狭い家だ。せめて友人と過ごす時間くらい……。
横広のソファの上、彼の隣に腰を下ろした夏南汰はついに切り出した。
「樹さんは、な」
いつになく緊張する。仕切り直さんと鼻をこすって再び。
「とても素敵なレディだが……」
「うん、そうだね。凄く素敵だった。あんな美しい女性は見たことがないよ」
「幼い頃からの」
「いや、いいんだ。考えてみれば良いではないか。真似事などでは到底かなわない上から下まで抜かりのない装い、きっとお嬢様なのだろう? 君の家柄ともよく合っている」
「ユキ」
普段は大して喋りもしないくせに今日は一体どうした。やけに一方的にまくし立てる彼を呼んで制した夏南汰はぐっ、と間近に顔を寄せて見上げる。合わせて身を引くユキの素振りに不安を隠せず。
「あれは、私も初めてだ。それも頰だ。挨拶代わりに交わしている国もあると聞く」
両の瞳に精一杯の力を込めて伝えていく。
「憧れてはいるよ。私は彼女をよく知っている。その上で、一人の女性として尊重しているのだ」
「一人の……女性……」
おずおずとためらう様子でこそあるがやっと視線を合わせてくれたユキに思わず安堵の息がこぼれた。そうだ。力強く頷いた夏南汰は“一人の女性”なる理由を彼に惜しみなく話した。
麗しき淑女・樹はまさに新時代の象徴とも言える女性。溢れる色香を隠すどころか全面に押し出して我がものにしている。躊躇さえせずに。
一方で中身ときたら男も顔負けの勇敢さと言える。新しい世界、新しい自分との出会いを求めて前に進むことをやめはしない。
「ユキ、君の読みは的を得ている。彼女は確かに令嬢だよ。この近所の屋敷に住んでいる」
潤んだ垂れ目に向かってさらに告げてやる。
「いくつもの縁談が持ちかけられたが片っ端から断っているそうだよ。あの美貌で見事に女学校を卒業したんだ。籠の中の鳥など御免だと、な」
「本当……に?」
「ああ、もったいない。それでいて実に愉快な話だ」
話しているうちに何だか可笑しくなってきた夏南汰はついに声を上げて笑い出す。
どれくらい経った頃か、ぽかんと口を半開きにして固まっているユキに気付いた。何だその反応は? ただ単純に興味深くて、だけど一抹ばかりのあの感覚が蘇ってしまって。
「なぁ、ユキ」
また上目遣いで覗き込む。
「久々の来客だ。楽しみにしていたのは……私もなんだ」
「秋、瀬……」
「笑ってくれ、ユキ」
どれだけ互いを見ていたのだろうか。何とも表し難い不思議な時間に思えた。
やがて不思議な顔をしたユキが。
「秋瀬、もしかして眉毛描いてる?」
「あぁ、良いであろう? 今は便利な筆が……いや、ペンシルと言ったか。近年レディたちが好んで使っているようだが、私はこれを是非男子もだな」
ぷっ。
ぷっ? 今のは何の音かと目を見開いたときだった。
「うわっ!? 何をするんだ!」
突如押し付けきたハンケチーフでゴシゴシと眉をこすられて、つい、意図せず悲鳴にも似た仰天の声を上げた。眉墨を取り払われた夏南汰は開けた視界へ真っ先に映り込んだ光景に更に目を見張った。
「この方がいいよ」
「何をしてくれるんだ、ユキ! 私はっ、この細い眉が心底嫌……」
ううん、と緩やかにかぶりを振る。
久々に目にするユキの満面の笑みに囚われてしまう。
「可愛いよ、秋瀬は」
何だかとんでもないことを……そう思ったのはどうやら私ばかりではなかったようだ。今度は正しい経緯。熟れゆく林檎のようになったユキが慌てふためいた様子で。
「あ、その、ごめん。今のは忘れて」
「言われなくても忘れるよ」
覚えていたくもないからな。
憮然として言ってのけた私の、自身の熟れ具合がどれ程だったのかも、出来れば、一生! 知りたくはない!
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