六. 切磋琢磨
歳を重ねた者ほど時の流れが早いなどと口にしたがる。樹齢百年を超えるという校舎裏の縄文杉を見上げていた。
この者にとってもやはりそうなのだろうか? もの言わぬ高みへ想いを馳せていたところへ流れ込んでくる。秋の訪れを感じさせる、乾いた哀愁の香り……
「くしゅっ!!」
うむ、しかしこの時期の空気はどうも身体に合わない気がする。毎年のこととは言え、何か良い対処法はないものか。
「何だぁ、秋瀬。風邪こじらせたか」
休み時間、教室に戻ってようやっと腰かけたところへぬっと巨大な影が覆ってくる。何を嬉しそうにしているんだ、高泉。
「ならばユキ子先生に診てもらえばよかろう」
続いて綱島もやってくる。両腕両脚を横へ横へ広げる歩き方は己を大きく見せる仕草そのもの。つん、と突き上げ見下ろすその角度は何処ぞの記事で見た外国人のようだ。これで顎が割れていればいい具合なのだがな。
「嫌じゃ。こんくらいすぐに治るけん」
実に情けない鼻声には久しく使っていない生まれの方言まで混じり出す。余裕が無ければ無意識の少年が顔を出す、とでも言った現象なのか。
そしてついに遅れてやって来た。皆が憧れる
『ユキ子せんせーい!!』
「……やめないか」
まぁそんな都合のいい展開はない。私が呼び始めたあだ名のせいで、こうして度々からかわれてしまう不憫な男。ユキ、悪気はなかったのだよ。
うだる夏が過ぎて唸る秋。三年生の我々は卒業間近だ。ある者は大学を目指して勉学に勤しみ、ある者は就職先を血眼になって探している。
そしてまたある者は。
「春日はお医者様になるんだろ。立派なもんだ」
家業を継いだりなどする。
うむ、どうやら話が良からぬ方向へ進んでいるようだ。内容ではなく私にとって都合が悪い。
本を小脇に抱えた夏南汰は音を立てぬようにして立ち上がる。何のことはない、これを返しに行くと言えば良いだけのこと。そう目論んで口を開きかけたが
「そういえば秋瀬、結局どうすんだ?」
時すでに遅し。
「実家出るって話」
「……えっ」
真っ先に目が合ったのはユキだ。それから真っ先にそらしたのは私。一瞬で強張った頰、身体。綱島ぁ〜、なんて彼を責めるのは筋違いというものだ。わかっている。
秋瀬……?
か細く呼ぶ声が誰のものかもわかっている。見なくとも。
本を返すから、とそこでやっと口に出来た。無理矢理な笑顔を見せつけた後はもうほとんど駆け足で図書室を目指した。呼ぶ声が次第に迫ってくる感じがしたが振り返りはしない。そうして辿り着いた場所の戸を開いて早々に逃げ込もうとしたときだ。
「秋瀬!」
肩越しに、掴む大きな手を見た。
そうだ、こんなに細くたって彼は何もかも私より大きいのだ。距離を縮める歩幅も引き寄せる力も敵いはしない。
揺らぐ水面のような茶の瞳を見た。
「そんな顔をするな、ユキ」
力を失いつつある大きな手を今度はこちらへ導いていく。
戸を閉めて、向かい合う。そこには誰も居なかった。二人だけ。古びた書物の匂いに包まれているだけ。いたたまれないこの沈黙はいつまで続くだろうか。
いつかは、と思っていたのだ。しかし今はまだ知られたくはなかった。彼もそして私も、まだ覚悟など出来ていない。
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