一ノ章

一. 破天荒解


 初夏の陽射し、そして新緑の芽吹きは、若者たちの胸の高揚を更に高めて躍動へと導く。


 開花した麗しき花の行く先を鼻の下伸ばして見送る者。花を携え胸を張り、ちょび髭の隙間から得意げな笑みを見せ付ける者。


 くるん、とステッキを構え直す紳士。ごく自然に三角の肘へ手を添える淑女。逢い引きへと戻っていくお似合いな二人の背中を前に



「ちっ、くしょぉ~」



 などと恨めしげに太眉を寄せている者。




 満ちた息吹、迫る夏。



「彩るモダンボーイにモダンガール。実に素晴らしい」



 そう、この季節はまさに現代いまに相応しい。世は大正十二年。



 高等学校からの帰路。人々が行き交う道中ど真ん中で秋瀬あきせ夏南汰かなたは高らかに言ってのける。



「誰を想うもまた自由! キッスもすればいいのだよ」



 地鳴りのような野太い騒めきはそこかしこから。学生服の友人たちは猿の如く赤らんだ顔で鼻息まで荒くしている。



「そりゃあよ! さっきの男みてぇに金持ちそうでツラも良けりゃあ俺だって……!」


 名も知らぬモダンボーイに見下ろされたことをまだ根に持っている様子。彼は綱島つなしまという。



「あ、秋瀬ぇ~、そ、そのチッスと言うのは……」


 荒過ぎる鼻息のせいで言葉を聞き取るのさえ一苦労。こっちは高泉たかいずみだ。



「チッスじゃない。キッスだ」


「おぉ……! そのキッスというのはやはり……せっっぷんのことかぁぁ?」


「そうだ、せっっっぷんだ!」


「うぉぉぉ! せっっっっぷんっ!!」



 すでに何度か聞こえていたような気はするが、ついに耐えかねたのだろう。制する声は真上から、精一杯と思しき声量で降り注いだ。



「君たちは恥ずかしくないのか! こんな道の真ん中で!」



 色素の薄い緩やかな癖毛に白い肌。いや、顔だけは今、赤と言えるが。


 潤んだ垂れ目がちの瞳に、なかなか震えの治らない薄い唇。この者は『ユキ』だ。



 ああ、これでは恐らく語弊があるな。本名は春日かすが雪之丞ゆきのじょう。れっきとした男子だ。このように頼りなげでこそあるが、身長だって我々の中では最も高い。



「その、秋瀬殿はもうキッスとやらをしたのだろうかぁ~?」



「えっ!?」



 興奮冷めやらぬ高泉は間違いなく私に尋ねた。しかしこのように妙なところで妙な声を上げる、これもユキの面白い癖だ。



「んん~、どうだろうか……のう?」


「そ、その様子は、やはり!」


「ただ率直に言うならば」


「ならば!」



 あえて溜め込んでみる。しばしの含み笑いの後、上目遣いで見上げた夏南汰は告げる。




「抜けられなくなりそうだ。中毒性が凄まじくて、な」




「…………!!」





 きっとこの日最高潮のどよめきの中、喉にものが詰まったみたいに微動だにしない。何だか反応がずれている。



 変わっている。ユキは実に、面白い男だ。

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