第18話 こどくな微笑み
炎の上で踊る女のように情熱的なステップを。
容赦なく連なる音の玉は激しくぶつかり合う。最も熱い情愛は我こそに宿るとどの音も力強くはねる。
彼らを踊り狂わせるために選ばれた真新しいギターは、ときに抵抗を示しながらも荒々しく弾き手に手籠めにされていた。
もはや他者に鳴かされることは許さない、お前はおれのもの。
なんてことはない。情愛の歌を奏でるなら、最も荒ぶる感情を叫ぶのは弾き手であるということだ。
「ダンテくん。話がある」
「あとじゃダメ?」
目の端で蓮池をとらえ、端的に返し、演奏に戻る。
同じ音階でも抑える指の腹の位置や、強弱、呼吸の深さ、浅さ、長さ、吐き方、背骨の曲がり方、肩の力の入れよう、足の向き、全身をおおう心持ち――どれひとつが違っても音の色が変わる気がする。
感覚は、いとまをやるとあっという間に逃げてしまう。
できないときは諦めていいから、いける、と思ったときには何が何でも捕まえなければいけない。
五分ほどして一番しっくりくる音色になって、改めて呼びかけてきた蓮池に顔を向けた。
「待たせてごめん。それでなに?」
呼びかけられた意見を求められることは少なくない。
ダンテは異物だ。
ミュージカルの音楽担当の一人としていくらか過ごしても変わることはなかった。
やり方も求めるものも異なりすぎている。
他とは活動の仕方が違う。今やっていたのもソロパートで、ダンテが演奏するのも実質ほぼすべてがソロだった。
一緒に活動するうちに留まる気になるのではというリーダー:黒崎の期待はダンテからも、他のメンバーからも裏切られていた。
グループのなかにいる他者。ダンテの立場を言い表すならそうなる。
だからこそ冷静な第三者にも成れ、純粋な一人の観客として感想を述べることも多かった。
――こいつはあんまり好きじゃないから、どういったものか。
演奏技術や評判に差がありすぎるからダンテをソロにしようといったのは彼だ。
客寄せパンダに使われている自覚はある。
一部の人間の興味しかひけない可愛いものだから許容しているが、あまり蓮池のことは好きではない。
「できる範囲でなら」
「よかった、なら問題ないね。ソロを中心にやってもらっていて悪いなあとは思うんだけれど、やはり目立ってしまうからさ」
「つまり? 要点をいって欲しい」
「他の精彩を欠くような演奏はやめてもらえるかな」
「……君、馬鹿なのか?」
何でもないと言われたことがダンテの堪忍袋の緒を断つ。
勢い余って振った腕が椅子にぶつかって大きな音を立てる。
和気あいあいとした空気にひびが入り、視線が集まるのがわかった。
――つまり、これは、あれだよな。もっと下手に弾けということか?
ダンテに注目が集まりがちで他が劣って見えるから、同じくらいに手を抜けと。そういうふざけたことをいっている。
苛烈な言い方を仕掛けたのを、歯を食いしばって耐えた。
明確に声音を低くして、腹の底で油に火をつきそうなダンテに、蓮池は不満げに眉を寄せた。
「馬鹿とはなんだい、失礼な。しょうがないだろ、あんまり好き放題やられると他の負担になるんだ。評価のチャンスは全員に平等に与えられるべきだろう」
「おれはおれにできる限りの演奏をする。手を抜けだって? お前たちのためにか? ぬかすなよ、それでも音楽家か」
「情熱的なことは結構だ。しかし郷に入ったなら郷に従ってもらわないと」
あくまで偽善ぶるのがまた気に入らない。
いってもわからないさまに、はらわたが煮えくりかえる。今度は言葉より先に手が出た。
高級そうな上着の胸倉をつかむ。
「そんな郷なら消えてしまえ!」
蓮池は無言でダンテを見下す。そうしたいのはダンテの方だ。
掴んだ手元をどうすべきか迷う。
一言発した瞬間、互いに拳が飛び出かねない。
どうしても許容できないのだ。
その腕が掴まれ、無理矢理降ろされる。
「二人とも、落ち着いてください、あの……」
黒崎だ。いつも通り勢いで突っ込んだだけでそれ以上言葉は出てこない。
ダンテもこのような会話は不毛である。わざと乱暴に指を離す。
蓮池も同意見だったのか舌打ち一つ残して、襟を正してから他のメンバーのところに行ってしまった。
黒崎もいつか別れの日が来ることを惜しむ気配がないのを察したようで、肩を落とす。
「すみません……」
「なにも悪いことばかりじゃないさ。いざ身を置いてみてわかったこともある」
なにも黒崎や他のメンバーまで嫌っているわけではない。
実力差に打ちひしがれ、嫉妬し、憎みかけたことは自分だって何度もある。
――正直、自分がそんなに上達したのなら嬉しいし。《オーリム》にいる間は全然実感わかなかったからなぁ。
お互い様というやつだ。
励まそうと色々口を動かす。まだ音で伝え合っていた時期の名残があるのか、どう呼びかけたものか首をひねる。
「ミュージカルの歌も踊りもあれもこれも、兎に角楽しませようっていう感じ、嫌いじゃない。音楽を聴いていると自然とからだの奥底がうずくような感覚になることがあるが、ダイナミックな動きと合わさると目も身体も持って行かれるみたいだ。ここまで面白いんだと驚いた」
歌、言葉にもまたメロディがある。聴覚を震わす快楽にメッセージが乗って、もっと聞きたくなるほどに酩酊してしまう。
ただ単に意味を伝えるものでなく、よりしたたかに感情が伝わってくる気がするのだ。
「こういうのって、ほら、表現じゃないか。感情が伝わるのは込められた量じゃなくて、想いを表すってことでさ。しっとり聞くのもいいけれど、こういうのもいい」
「楽しんで貰えて嬉しいよ。時々感情が先走っちゃうのは困りものだけれど……」
空気を変えようとしたのを察して、話題に乗ってくれる。
ひどい音を立ててしまった椅子を持ち上げ、優しく元の位置に戻す。
「うん。時々ちからがこもりすぎてタイミングがずれたりうるさくなったりしてるから。でもそのなかにきみやおれの大事なものがあるはずだよ。お互い楽しんで挑んでいけるといいね」
助言は難しい。自分が本当にそれをいっていい立場なのかわからない。
他人の存在は一人で進むよりはるかに刺激的で、美しく磨いてくれることがある。
しかし二本の足を動かすのは自分なのだ。
ダンテが彼にかけられる言葉はそれ以上なかった。
「えーっと、で、そういえば調整したんだっけ」
「ああ、そうなんだ。音楽に合わせて皆で踊るところで、主人公が目立つように並びを変えたり、練習してタイミングを挑戦したり……蓮池さんは大丈夫だっていってたんだけれど。よかったらちゃんとそろっているか外からもう一度見て欲しい」
「歌の方は?」
「練習してるよ。ただやっぱり感情が入りがちになって、言葉がかたいかな。もう少し角が丸くなるといいのかもしれない。役より本人が出てしまっている」
「別にいいんじゃないか、それは」
「よくない。我を殺すのは勿論だめだ、死んだ役になる。彼らは舞台の上で生きているんだ。彼らの思いを表すのが役者の勤めなんだ、彼らにからだを貸す憑代よりしろになるぐらいがいい」
――こういうところだ、こういうところがいい。
ダンテがすぐに去ってしまわないのは、黒崎たちの信念が面白いからだ。
憑代という考えは彼らに出会って得た考えである。
彼らが行うミュージカルはストーリーの存在するブック・ミュージカルがほとんどだ。脚本には執筆者がいて、多くの場合、脚本には執筆者の思いがこもる。
台詞は精神、行動は心、物語は魂の叫び。
役はそのなかにあるもののはずだ。
役としてあるキャラクターは何者で、何を考え、どうしてそこに至り、どのような発露を行うのか。
舞台の上では役者ごとに解釈がある。役者の数だけ多様なキャラクターが生まれうる。
キャラクターの意志を魂に昇華し、我が身に降ろす。
たったひとつ、その役者のみが心を通わせえる魂を。
それが彼らの表現なのだ。
表現者は本来、孤独である。同じく、真っ直ぐに立ち向かう戦友を嫌いになれるはずがない。
「役と役者の距離がまだ遠いんだ。プロはもっと、溌剌として、まるで命の炎が激しく瞬いているみたいだ。でも感情が暴走しているわけじゃあないんだよ、どうしたらあそこに行けるんだろう」
黒崎は眉間にしわを寄せ、実に楽しそうに微笑んでいた。
アイデアを掘り起こすようにコメカミをぐりぐりと押す彼は、急にはっとする。
また右往左往しだした目線を追う。
遠くから様子を見守っていたメンバーの一人が近づいてきていた。
「あれ、練習は?」
「黒崎さん! 実は来てほしくて」
「え、ど、どこに? 練習は?」
「練習はあとでしますから! 今、《オーリム》の人が来てるんです。呼びに行こうと思ったら、たまたま来た蓮池さんが会いに行ってしまいまして……多分大丈夫だとは思うんですけど、あの人、妙にプライド高いし……」
聴かれていないか声の大きさを落としてから、玄関の方を指す。
一見愛想がいい奴だから、蓮池も多分噛みつかないだろう。しかし不安になるのもわかる。
黒崎など先程の熱中ぶりは何処へ行ったのか、焦るあまり、玄関にむかおうとして滑って転ぶ。
「うわあ、大丈夫? おれが行こうか?」
「あ、いえ、気まずいでしょうし、その」
「気を遣っていただきありがたいんですが、ダンテさんは裏口に」
「どうして。おれは気にしないよ」
何をいわれても乗り越える心づもりだ。
呼びに来た彼は左右にかぶりを振った。
「裏口の方にも人が来ていて、呼んでくるよう頼まれています。その人はダンテさんを名指ししました。ぼくにはよくわからないんですけど、事情があると思うんです。これでも役者ですから顔でわかります。行ってあげてください」
彼らでいう動作や表情は、自分たちにとっての音に相当するものだろう。
そういわれてしまえば従うしかない。
人を避けて裏口に向かう。
脱退したバンドと人目に付きにくい場所で会うと知られれば、いい気分はしないはずだ。
流石に裏口まではそう遠くない。
だが、一グループの人数は少なくとも、役者にバンド、大道具とグループの数そのものが多い。静かに動こうと思うとなかなか気を遣う。
こういう時、よくない意味で《オーリム》から受けた影響が便利に働く。
今もまだ《蟲》がいるのかはわからない。
少なくとも影響は感じなかった。それでもその恩恵の1つとして得た鋭敏な五感はそのままだ。耳を澄ませば人の発する音を正しく把握することができる。
おかげで誰にもひきとめられることなく裏口にたどり着いた。
目的の人物はひとめでわかった。意外な人物に間抜けに口が空く。
彼は扉を閉めているのに、落ち着きなく外側に視線を向けていた。時折唇をつまみ、いかにも落ち着かない様子だ。
「エーリッヒ?
呼びかけると金髪がふわりと綿のようにはねる。
人懐っこい顔立ちが灯りをともしたように眩しく輝く様が、昔でないはずなのに懐かしい。
「ダンテくん! あれ、なんとなく雰囲気違うね、髪形変えた?」
「色々変えたけど、髪形は変えてないなあ」
「はは、そうだよねえ」
何もなかったように笑って、そしてすぐに真っ直ぐな笑みが曇る。
しばらく互いに沈黙を貫いた。
何を経験し、どの道を選んだのか。ベアトリーチェが何も言わずとも、《オーリム》にこなかった時点で、ある程度察しはつく。
先に口を開いたのは、エーリッヒだった。
「ふぅ、前みたいに話してる場合でもないか」
「覚えてるのか」
「おかげさまで」
以前のエーリッヒにはなかったかげりに、欠けた胸がいたむ。
逃げた記憶に追いつかれたのは、十中八九伊達のせいだ。
「いいんだ、それは。もう。僕さ、正直もうきみには会わない方がいいのかと思って、でも、リロイが出るのを見てさ」
「リロイ? 玄関前にいるのはルシィじゃなくてリロイなのか」
「彼女はそんなことしないよ」
「おれを誘いに来たのかな」
「さあ。僕の時はどうだったかな。もしかしたら遊びに来たのかも。彼は《オーリム》の人間には親切だ。親切、だけど」
頭をつかんで何度も揺さぶる。指の間から小麦のように飛び出る髪が不穏に揺れ、手を伸ばす。その手を白い腕が柔くどかした。
「僕も全部思い出したわけじゃないんだ。ただ、リロイには気を付けた方がいいよ」
「麻薬だろ」
「そう、そういうことをするやつだよ」
「わかった、気を付ける」
会話が止まる。離れるのは名残惜しくて、しばらく奇妙に見つめあう。
先に目を逸らしたのはダンテだった。何故男と見つめあわねばならないのだ。
「なんだ、記憶が戻って何か変わったか。困ってないか」
「ううん、それがね、何も変わらないんだ。いつも通り皆で削るように練習して、弾いて、楽しむ。何にも変わらない」
エーリッヒは苦笑して、肩の力と溜め息を一緒にして吐く。
「だからどうしたらいいかわからなくなっちゃった。ほんと、楽しいんだもの」
あの日々が思い出され、この世には強かに戦い続ける猛者がいることに荒んだ部分がほぐれてしまう。
戻らない場所と決めたのが間違いだったのかと、またたきの合間、疑う。
エーリッヒはダンテを微笑ましく見やった。
「だめだよ。ダンテくん、君は君の道を決めたんだ。ぼくにはもういけない道を。……羨ましいなあ」
「だったらエーリッヒ、一緒に来ないか」
「魅力的だ、でも断らせてもらうね。僕、弱いから一人はダメなんだ。君の道をよごしたくない。僕がなりたかったものはそういうことをしない。応援したい」
玄関の扉を開ける。外界ではしとしと細やかな雨が降り、エーリッヒの白い頬を濡らす。
彼は目に入る雨を避けるように腕をあげた。
何か思い出したように、一度だけダンテの前に戻ってくる。
そして照れ臭そうに肩に軽く拳をぶつけてきた。
「僕さ、君と友達になりたかったんだ。今からでも遅くないよね」
扉で区切られた世界の枠、それがそのまま二人の距離だった。
ようやくダンテは本当に実感する。
自分は孤独になったのだ。
しかしすべてを失ったわけではない。
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