第17話 夜明けの星
手持ちの金銭をありったけ失う覚悟をして、楽器店に来ていた。
《オーリム》には支援者も多いらしく、仮とはいえメンバーであった間はそれなりに稼ぎがよかった。
それでも楽器とはそれなりに値がはる。
以前使っていたギターがもう使えないのだから仕方がない。
生まれ変わった日の朝、目覚めると眠っている間に流れ出た血がギターにしみこんでしまっていたのだ。
全く不注意だったとしかいいようがない。
音も悪くなるし、人前で使うことも無理だろう。
――あんなに大事だったのになあ。
子どもの頃から使い続けた愛器を廃棄したことに、何故かそこまで胸が痛まなかった。
新しい出発に相応しいとすら思う。
前の伊達とは違うダンテを、相棒は認めてくれないだろうという意味でなら一抹の寂しさを覚える。
殉死してくれたギターのためにも、かつての相棒にも負けないものを見つけなければならない。
そんな想いを込めてひとつひとつじっくり見比べる。
時間を忘れて熱心に取り組む彼に声をかけるものがあった。
「あの、すみません」
そちらを向けば若い三人の若い男たちがいた。
どこか緊張の面持ちである彼らだが、ダンテの方には見覚えはない。
首を傾げ、声のした方を見る。曇りない何対かの瞳がダンテを貫く。
眩しすぎて笑いたくなる。
「どなたですか」
「この間、ミュージカルに来てくれた人ですよね? あの時演奏を担当していたんです、俺達」
「ああ!」
あちらから一方的に知られていたわけだ。
覚えがないのも当然だろう。
頷き、直に伝えられなかった感想を述べる。
「ミュージカルなるものをあの時初めて知ったぐらいで、具体的なことは何も言えず心苦しいのですが、とても楽しませてもらいました」
「本当ですか! いや、やっぱりまだまだ始めたばかりで、うまくいかなくて」
それでつい声をかけたということだろうか。
だが、リーダーらしき青年を肘でつつくメンバーがいるところをみると、まだいいたいことがあるらしい。
「あの、《カレエド》で演奏していたギターの方、ですよね」
「ええ、まあ。それがなにか?」
「ここ数日分、メンバーの演奏に参加していないと聞いて、もしかして《オーリム》を抜けたのかな、と。あ! 別に野次馬根性で聞いているわけじゃないんです、ただもしそうならお願いしたいことが」
目を丸く見開くダンテに青年は焦る。
もっとも、ダンテの方は別段生意気だとか傲慢なことを思ったわけではない。
一日かと思っていたら数日眠り続けていたと知り、驚いただけだ。
道理でからだのあちこちが痛いと思った。
――一日弾かないと三日分遅れるというし。腕落ちてないかな、大丈夫かな。
今にも練習を再開したくて、うずうずした。
自宅では騒音になるのでできないし、適当な路上にでも行こうか。
「そうですね、その理解で間違いないと思います」
知る前であれば、《オーリム》に留まる気も起きただろうが、今となってはあそこに居続ける気持ちはない。
楽器にチラチラ視線を奪われる。そのたび、正直な目玉を目の前の青年に向け直す。
「お願いって? おれにできることはそう多くないですよ」
「その、おれたちのバンドに加わってもらえないでしょうか!」
いきなりな誘いに顔をしかめる。
あってそうそういきなりな頼みだ、という点はひとまず捨て置いても、だ。
ダンテには、もうどこかに属すつもりはなかった。
ミュージカルという性質も少々方向性が違う。
彼らの音楽には、歌も言葉も踊りも物語もある。
いくつもの調和を目指せるほど器用ではない。
「悪いけれど、しばらく何かのメンバーになる気はないんです」
「ああ、別にずっとじゃなくてもいいんです。一時期だけでも」
「何故?」
そうきくと言葉がとまってしまう。
他のメンバーはちらちら青年をみるだけで、もぞもぞしていた。
――さては他のメンバーにつっつかれただけで、特に理由があって話しているわけじゃないな。
リーダーにしては覇気がない。
彼には悪いがルシィと比べてしまい、せっかくつくった笑顔が曇る。
敏感になっているリーダーは慌てふためく。その背後からすっと新しいメンバーが現れた。
そのプライドが高く神経質そうな眉に、以前の過去が掘り起こされる。
「やあ、久しぶりだね」
「ええ、まあ。お元気そうで何よりですよ」
「きみの方はまずまずといったところか? ところでギターは?」
「ちょっと壊れてしまってね。心機一転で買いに来たんです」
《オーリム》のメンバー面接の日にいたドラマーだった。
いきなりなれなれしい――いかにも見下した――態度に、ダンテもつい攻撃的に返した。そして納得する。
いかにも金持ち。見栄も強く、己は他のものより優れていると主張したがる承認欲求もあらわな男だ。
海外文化であるミュージカルの存在を知っているぐらいである。
要するに、学も金も、思い切った挑戦にはしる程度にはあるのだろう。
いかに若人とはいえ、新しい挑戦に挑むのは、体力的にも気力的にも難儀だと思った。その裏には、このドラマーの男がいたのだ。
ドラマーの男は、このいかにも教養深いメンバーの同級生か何かなのかもしれない。
仲良しには見えなかった。
純朴で人のいいお坊ちゃんといったリーダー達とは毛食が違う。
「そうなんですか。練習のし過ぎかな? しかし結局辞めるとは、勿体ない」
「自分で決めたことですから。それで? 終わりならいっていいかな」
「いやいや。つまり今あなたはソロでしょう。どうかな、小遣い稼ぎに。あなたも食わなきゃいけないはずだ。なんならギターも買って差し上げよう」
「誘いは有難い。ですが、そこまでする価値がわかりません。お互い気ままにやりませんか」
「わたしには利がある。ちょっとでいいからあいつらを悔しがらせたい」
「はあ」
――これはまた厄介そうだなあ。正直深く関わりあいにはなりたくない。
負の感情は、心という内臓に著しい負担をかける。
好き好んで入り込むほど物好きではない。
しかし、こっそり財布に触れる。厚いふくらみは蓄えのほとんどだ。
できればギターで食いたいが、目当てだけつけて稼ぐ場合も考えていた。
自分の相棒は自分の金でむかえたいというこだわりを無視すれば、彼の誘いは魅力的である。
「では……楽器の値段分、一定期間だけ演奏させて頂く、という形なら」
「それはよかった! 交渉成立だね。お名前をうかがいたい。わたしは蓮池」
胸をなで下ろしながら眉を下げる彼らに、誤魔化した笑顔を向ける。
「一時とはいえ仲間になるならもう敬語はいいかな? 名前は、そうだな。おれのことはダンテと呼んでくれ。そっちの方がしっくりくる」
どこから見ても東洋人の男がそう名乗るのに、彼らは顔を見合わせた。
ドラマーは嘲りに唇の片方をつりあげ、手を差し出す。
気障に白い手袋をはめたままの指は覆われて輪郭が見えない。熱のないざらりとした感触は愉快とは程遠い。
「練習はいつごろ、どこに行けばいいかな」
「《オーリム》と同じアパートだ。あそこはわたしが管理していてね」
「ああ、なるほど」
あれだけ自信満々だったのにはそのような理由もあったか。
大事な場所の大家をフるはずがない、と。確かに彼は音楽家として、彼らをナメすぎだ。
軽く笑ったのが気に食わなかったらしく、繋いだままの手が痛み始める。
付き合う気はない。ぱっと離す。
詳しい日時をメモして、さっさと目当てのものの方へ足の向きを変えた。
「じゃ、行きますか」
ただでさえ寒いのに、いらぬことで指を痛めたくない。
上着を羽織りなおす。奇妙なことになった。それもまた一興だろう。
新しい夜明けの先は、まだまだ薄暗い未知ばかりだ。
不安の隣で「いつでも帰ってこい」と蠱惑的なほほ笑みが一際眩しく輝いている。
灯りに寄るわけにはいかない。
だから、ダンテには見えない先を行く方が好ましいのだ。
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