第3話 奇妙なジャズバンド
部屋を貸し出す、あるいは貸切にできる店は少なくない。
しかし防音の整った場所といえば、数はぐっと減る。
今回、例のジャズバンドのメンバー募集もまた《カレエド》の一室を借りてのことだった。
時刻は昼間。マスターの若い娘が暇そうに本を読みながら店番をしている。
飲食店のなりはすっかり潜められ、ほとんど閉まっているも同然だ。
「すみません、《オーリム》のメンバー募集ってどこでやってますか」
「ああ、店に入ってすぐです。いつものステージですよ」
言われた通り、先日コンサートを行った場所にはいくつか楽器が置いてあった。
そこで異国の音楽家たちとその希望者が各々好きなように椅子に腰かけている。
募集の際に初めて知ったが、彼らには一応、《オーリム》という名があるらしい。
「そろそろ時間ですね。募集にお集まりくださった方々はこれで最後と締め切らせていただきます」
リロイが懐中時計を見ながら言う。
ぎりぎりになってしまったかと頭を下げれば、にっこり微笑みを返される。
「大丈夫ですよ。これ以上集まることはないだろう、と思っただけですから。本来の締切まではまだ十五分あります」
「ああ、それはよかった、もし間違えていたらどうしようかと」
使われていない店の椅子をひっぱり、できるだけ特定の誰かに近づかないように座る。
あまり近すぎると不愉快かもしれないと思ったからだ。
他にいたのは伊達を入れて三人で、年の頃は伊達とそう変わらなく見える。
視線を《オーリム》に戻すと、青いドレスが視界に入った。
「あ、」
「…………」
精巧な人形のような銀の美貌を、伊達は知らず知らずのうちに目で追ってしまう。
軽く頭を下げたが、何故かベアトリーチェには無視された。
――まあ、たった一度会っただけで慣れ慣れしいかなぁ。
美しい女性ともなれば警戒も当然だろう。
「もしも他にいらっしゃれば申し訳ないことですが、これも縁と諦めて頂きましょう。今回、新しく入っていただくのは一名を予定しております。ですが」
リロイの朗々とした司会が止まる。
軽くエーリッヒに目配せするが、彼は肩をすくめてしまう。
何かトラブルが起きたのか。伊達を含めた希望者たちがそわそわとした空気を漂わす。
「ベアトリーチェ?」
「今朝には来るといっていたのだけれど」
助けを求められたベアトリーチェの返答も愛想がない。
希望者に動揺が走った時、勢いよく扉が開けられる重い音がした。
「ごめんごめん、寝坊しちゃった」
肩にベストを担ぎ、軽やかなステップでルシィがメンバーのなかに割り込む。
しっぽのように結ばれた黒髪が小鹿めいて眼前をはねていった。
「お待たせ」
「珍しい。ちゃんと時間を守っていたらセーフだ」
「主催が十分前集合というのも間抜けな話じゃないかしら」
エーリッヒが真っ青な瞳を丸くする。
ベアトリーチェはさっくり棘を刺すも、ルシィのやや乱れた黒髪を撫でつけて直してやっていた。仲の良い姉妹のような、親しみのある動作だ。
――本当に大丈夫だろうか。
そう思ったのは伊達だけではあるまい。弛緩しかけたところで、ルシィが一人を指さす。
上等な服を着た男だ。恐らくいいところの三男坊あたりだろう。
「きみ」
「はい、なんでしょうか」
「きみってぼくにとって魅力的?」
前触れもなく早速『試験』が始まり、一気に伊達は身を固くする。
問いかけられた男は余裕があり、微笑みすら浮かべて居住まいを正す。
「私はドラムを嗜んでおります。どうしてここに来たかといいますと、勿論、《オーリム》が非常に優れているからです。先日演奏を拝聴しましたが、思わず身が震えるほどでした。他のものも『悪魔の音楽』と畏おそれるほどで、私も是非そのような素晴らしい技術を」
「次」
「えっ」
「つーぎ」
自己アピールの真っ最中であるにも関わらず、ルシィの両断には容赦がなかった。
例えるならば貴人に振り下ろされる断頭台などというものではない。まるで気まぐれな通り魔だ。
理不尽なルシィの態度に、露骨にドラマーは顔をしかめた。
ルシィが振り返ることはない。
次にその神秘的な相貌を向けられた男は、びくりと肩を跳ねる。
一体何をいわれるのかとおびえて、口ごもった。
「僕はトランペットで、その、この間メンバーになるかもしれなかった人がトランペッターだったと聞いて」
「代わりになれるかもって?」
「は、はい」
「なるほどねえ。じゃあ、きみは? 確か、そのトランペッターが好きなんでしょう。なんで?」
何故知っているのだろう。
ちらとベアトリーチェを見ると気まずそうに唇をかみしめていた。
あの時は知らなかったのだから、世間話にでもしたのだろうか。
ならば仕方がない。話すなといわなかったのは伊達であるし、話されて困るようなことではないのだから。
伊達はルシィに向き直る。
大抵は気にしない性格だが、まるでからかうような笑みが少し腹立つ。
「聞いた時に好きだって思ったんです」
「……それだけ?」
「理屈で好きになるほど器用じゃないもので」
すると納得したように頷かれた。ルシィへの反感が薄らぐ。
悼む様子がないのはやはり気に入らないが。
他のメンバーも困ったように動向を見守っている。
――何を話そう。普通にだらだら話しても一人目みたいにきられるだけだよな。
第一、ある女性に出会ったから勘で来た、なんて軽いにもほどがある(もちろん、音楽そのものに心ひかれたというのもあるが)。
思い立ったが吉日も行き過ぎだ。
かといって今更帰る気もない。
自ら店の経営方針を話に出してまで、夢を見る尊さを羨んだ喜代が脳裏に浮かぶ。
できることをするしかなかった。屈み、持参の楽器ケースをとる。
開けば至って普通のアコースティック・ギターが顔を出す。
歳の頃が二けたに入る前に与えられたもので、古いが指にはよく合う。
「えっと、弾いても?」
「勿論」
思い切ってたずねれば、快諾された。
――いつも通りやればいいよな。
これはメンバー募集だ。自慢大会ではない。
ひとつ息を吸って、弦を弾く。
一番しっくりくるものを、と奏でる時、思い出すのは実家の光景だ。
家の近くには小川が流れていて、底に藻がはっていた。藻は川の流れでいつも真っ直ぐ綺麗になびく。
そこに小石を投げて遊ぶ感覚が、彼のギターである。
沈む前に進むのがいい。
一音は水面で軽く跳ねるように。メロディはちょっと先をのばしてぎりぎりで次に繋ぐように。
穏やかになりたい時は、藻のように音を流す。仲のいい音を一定の感覚で繋げてやれば、流れは途切れることなく綺麗に過ぎ去っていく。
残るのはなびく余韻だ。
数十秒間の演奏を終え、恐る恐るルシィを見上げた。
並べば伊達の方が上に並ぶだろう小さな頭も、立つものと座るものとではあるべき位置が逆転する。
だが伊達には、ルシィが人を下に見るのは、確かに正しいものだと感じられた。何故なのか。
「いつもはこんな感じで弾いています」
「ふぅん」
ルシィは顎に指をのせて考え込む。
笑みは一時的に消え、たれ目がちの瞳が宙を泳ぐ。
「悪魔の音楽とは程遠いな」
一人目の男が嘲笑を飛ばす。その通りなので否定はしなかった。
しかしルシィは彼の言葉を聞いて、うん、と頷く。
「きみ、ダンテくんだっけ」
「伊達です」
「ダンテくん、きみにするよ。よろしく」
さしだされた手は少女にしてはしっかりとして、指が長い。
鍵盤の隅々まで届くピアニストの手だ。
二人目の男は静かにうつむく。
一人目の男は納得いかないと荒々しく席を立つ。
三人目、伊達は勝者になったはずなのに喜びより困惑が先立った。
「どうして」
「うーん、だって、ねえ。ぼくはメンバーを募集してるんだ。別に悪魔になりたいやつが欲しいわけじゃない。それなら犯罪でも下劣な真似でもすればいいだろ」
「なっ」
「今のご時世、悪魔って言葉は軽い。ちからを感じて、そいつが都合がよければ神といい、合わなかったら悪魔と呼ぶ。その程度だよ。どうでもいいの。言葉や称号にこだわるなら詩人にでもなってくれ。ぼくは音楽がしたい。で、二人目と三人目で比べただけ」
わかったら帰った帰ったと犬でも払うかのようにする。
一人目の彼は「見る目がない」と捨て台詞を残し去っていく。二人は無言のまま消えた。
嵐のような時間も、いつも通りなのかメンバーはやれやれと姿勢と位置を崩し始める。
「えーっと」
「で、ギターだっけ。技術の方はまだまだだけれど、どうにかなるでしょ。音は悪くないかな、明るい感じで。この透き通る感覚は貴重かも」
十五分もかからず終わった面接についていけないのは、伊達だけであるようだった。
頬をかいていると肩に白い腕が乗せられた。
「ルシィさぁ、別にそりゃいいんだけれど。今回はいい加減ドラム探そうって話じゃなかった?」
「それは募集のチラシを書いたベアトリーチェにいってよ」
「あら、わたしは貴方に指定するなっていわれたからそうしたわ。何ができるかより音がいいかの方が大事だっていうから」
「ああ、そんなことを言った気がする」
「ルシィがそういうならいいんじゃないか」
どうやら彼らもリーダーの決定に異存はないようだ。
ひとまず胸をなで下ろそうとしたが、ああそうだとリロイが口を開く。
「少々確認しますが、これからあなたには我々と活動してもらうことになります。それには海外への渡航も含まれますが、大丈夫ですか?」
「ああ、はい。大丈夫です」
あらかじめチラシに書いてあった事だ。
外へ行く準備は苦労はあるがどうにかできないことはない。
家族への説得も必要ないだろう。
音楽で身をたてると無謀な宣言をして以来、ほぼ縁を切られたも同然だ。
数年連絡も取っていない。
「そうですか。よかった。それと、一度採用したてまえ失礼ですが、まだ正式に決定したというわけではありません」
「え、そうなんですか」
「はい。数か月後にコンサートを予定しておりまして、もしもそれまでに我々が納得いく演奏ができなければ、方針が合っていないものとしてご遠慮いただきます。海を渡ってからでは互いに手間ですから」
「死ぬ気でやればなんとかなるって」
伊達の肩に肘をかけたままのエーリッヒは気軽に言う。
――要は、数か月後までにあの演奏についてこれるようになれといわれているのだ。
それはもはや決定事項らしい。
青ざめる伊達にルシィとエーリッヒは高らかに笑い、リロイは苦笑する。
今の自分の腕を考えれば、死ぬ気というのは冗談でもなんでもない。
救いを求めてベアトリーチェを見れば、彼女だけは笑っていなかった。
ほんの少し口が動く。
音もない唇の動きを追って、しかし、「まさか」と首を振る。
「あなたはここに来るべきではなかった」
何故彼女がそんなことをいうのか。
冷たい言葉に愕然とする。
しかし決して嫌っているような冷たい視線はない。むしろそこには憐れむような色があった。
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