第2話 きみとうみ

きみとうみ


出会って2年目の夏、君は海の生き物を見に行きたいとしきりに大声で呟いていた。僕も、水族館はいいものだ、と同調した呟きを放った。すると君は勢いに任せたのが見え見えのわざとらしい文面でもって僕を水族館に誘うメッセージを送ってきた。きっと君はこのテンションがいやに高い文章を、男相手にメッセージを送ってしまっているという嫌悪感で、顔面蒼白になって送信したのだろう。僕には分かる。まったく、いつも何かと偏屈ぶりを発揮してばかりの君が、僕相手となると愚かとも思えるほど根が真っ直ぐになるものだ。嘲りと愛しさ、その両方が絶妙に混じり合って表情筋に作用する。

「いいよ、行こう。」

少し煩いまでに絵文字を付け足して、ネットワークの向こうの彼女の緊張を和らげるような返事を送り返してやった。君は、同級の男と、二人で、水族館に行くのだ。残念ながらその事実は確立されてしまったんだよ。男性不信とか頑固に言っていたのにね、可哀想に。でも大丈夫、僕が君の夢を守るのだから。



水族館までの小旅行当日の朝。待ち合わせた電車の車両内で君は、一人ぽつねんと猫背になって宙を睨んでいた。声をかけると重たげな頭を起こして、感情の起伏を僕に悟らせないように懸命に平静な表情と声色で、おはよ、と返してきた。彼女の隣に座る。彼女の顔が引き攣る。行き先に関する何気ない会話を始める。学校生活の愚痴を話し始める。彼女が最近の体調の愚痴をぶちぶち言う。話題が思いつかない時君はいつも体調の話しかできなくなる。心配の言葉をかけてやりつついれば、目的の駅に降りた。

駅に降りた後、彼女への入念な質問の上決定した店へ昼食をとりに行った。苦いものと極端に辛かったり酸っぱいものは嫌。甘ったれな君には相応な嗜好だ。そんな甘ったれはうどん屋へ引き摺り込むのみだ。懸命な微笑みの中に落胆が見て取れる。少しいい気味だ。彼女は僕と同じメニューを頼み、同じように食べた。もっと甘ったれに仕立て上げようと彼女のうどん代を奢ろうとしたが、人に貸しは作らない主義なのだと力技で代金ピッタリの小銭をトレーに割り込まされた。

バスに乗り、海辺の水族館を目指す。初めて通る道だと言って、ずっと窓の外をキョロキョロ見回していた。海辺に出てきて係留された船舶や貨物集積場が見えれば、海だ海だ!船だ!ちっちゃいのもあるし、あ、あれでっかい!などと子供のようにはしゃいだ。この状態が彼女のニュートラルであると心得ている。相槌を返しつつ、この永遠の子供に、悲哀を伴う愛しさが生じたのを吞み下す。

バスを降り、南国よろしくこの地方に生やされすぎたフェニックスが植わる道を暫し歩けば、見えた、目的地、水族館。去年遠くからこの県に越してきた彼女は、初めてここへ来る。またキョロキョロしては、へぇ、と感嘆を口から漏らしていた。館内に入ると、大きな深海魚のホルマリン漬けが待ち構えていた。彼女はその魚の名前を得意げに言い当てて、近くへ駆けて行った。隈なくその漬け物を見つめながら、僕に手招きするのを忘れない。僕も駆け足で近づき、こいつはどういう魚なの?と訊いてみた。よく分からない!と彼女は元気に返事した。分からないのか。

順路を巡る。魚座の君は本能で惹かれてでもいるかのように、あっちにフラフラこっちにフラフラ、気の向くままに魚の鑑賞を楽しんでいた。時々ハッとして僕の方に向き直り、ごめんよ、と近くに戻ってくる。そうしてまた、フラフラ、フラフラ。どれほどフラフラしても、僕はその手を取って引き戻すことはしない。僕でない男なら彼女に対してそうしていたかもしれないが、僕は、これが最適解だと知っている。

イルカショーを見ていても、彼女は周囲の幼児に劣らぬ歓声を上げながら楽しんでいた。純粋なる幼稚さに惚れ惚れとする。シャッターチャンスをずっと狙っているがどうも上手く撮れないらしくうんうん唸りながら歓声を忘れない。器用だ。終演後、沢山のイルカの写真を見せてくれた。僕とツーショットを撮りたいなどとは言い出さない。それでこそ彼女だと安心した。

しかし危機が僕たちを襲う。イルカの展示コーナーへ向かったところ、なんと男女ペアの客は強制で水族館スタッフが写真を撮ってくれてやる、というのだ。無粋な計らいめ。彼女はスタッフに愛想笑いを振りまきながら、困惑と焦りと恐怖でいっぱいいっぱいになっていた。カップルではないんで、と釈明するも良いから良いから、と無理に並ばせられる。彼女は汗を滲ませながら僕にこう言った。

「超かっこいいポーズとってやろう……!」

そう来たか。

その写真を大きく現像することは遠慮し、小さい現像見本は僕が預かることになった。彼女はずっと落ち着かないでいた。

落ち着かないまま順路での鑑賞をこなし終え、土産コーナーに辿り着いた。僕は家族に念を押されていたので渋々土産菓子を物色していた。一方彼女はぬいぐるみやらマスコットキーホルダーやらを一つ一つ見比べ、どの子が一番可愛い縫製だなんだと審美している。一通り土産物を物色した後、揃いで何かを買うことになった。彼女曰く、友達と出掛けた時は何かしら一つは揃いのものを買う決まりなのだと。なるほど。彼女のリクエストに合わせ、チンアナゴとかいうニョロリとした魚を模したマグネットと、其々の好きな魚のキーホルダーを買った。彼女は満足げであった。僕の財布は冷えた。

あまり遅くなると親が心配するから、と水族館を見終わった後はそのまま帰路へついた。バスの中で彼女の肩に頭を預け眠ってみたら、石のように固まったのがはっきり知れて面白かった。駅に着き、彼女が好きな菓子屋を見つけ菓子を買ったのに合わせ、僕も同じものを買った。頬張りながら電車を待つ。電車の中では疲れもあり、会話は捗らなかった。座席に座る他の人々によって体の間隔が詰められ、彼女と僕の腕が密着する。その温度を感じることが会話よりも互いを理解できる立派なコミュニケーションと化していたほどだった。


その後、水族館に行ったことが話題に上がることは一度もなかった。無理矢理撮らされた写真の始末をどうしろとさえも彼女は言及するのを躊躇った。僕と彼女の記憶が無くなれば、事実と立証することもできない、淡く朧げな夏の思い出が、乱暴に放り出された。

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つかずはなれず、きみのゆめ 羽黒 彗 @sui12sui

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