第20話 螺旋に廻る業は存在を束縛するリボン

 ガゼルロッサは寝ていた。寝落ちだ。どうにも記憶は曖昧だが辛うじてベッドの上ではある。空は曇り(いつものことだ)、ほんのり明るい朝だ。唐突に水晶玉の存在を思い出し、飛び上がる。何のことはない、白いシーツの中に沈んでいて、抱えたまま寝こけていたらしい。安堵と呆れが溜息となって漏れる。我ながら、不用心が過ぎるのではないかと。

 この状況が許されるのも、日頃の行いの賜物かもしれない。部屋は元々広いが、あまりにも家具が少なく余計に殺風景だ。空き巣には親切な部屋(窓も開いているし)だが、実入りも少なそうなのがひと目で分かる。客観的にもそういうイメージが浸透している気がするため、高をくくって水晶を隠してみたはいいものの、やはり心配になってきたのだ。仮にも魔王からの預かりものを、こんなセキュリティガバガバで保管しては良くない。二重底の椅子なんて椅子ごと持っていかれてはお終いではないか。とはいえ、突然に側近が戸締りを気にし始めれば勘の良い誰かは不審に思うかもしれない。

 例えば地中深くなどに埋めて、その場所を魔法的手段で任意の場所に繋がるようにすれば――いわゆる猫狸ポケットひみつどうぐの手法である――便利だし滅多な事では盗まれないはずだが、それは先日アルメニが話していた「界の接続がうんたらかんたら」にもろに引っ掛かっている。今だけの話に限らず、適当な保管場所を探すのにも手間がかかる。まさか本当にその辺の地面を掘り返すわけにもいくまい?しかし持ち歩くには大きすぎる。

「確かに持ち歩くのは一番落ち着く」

 しかしながらガゼルロッサは水晶玉を持ち歩くキャラではない。絶対にツッコミが入る。水晶球を持ち歩いている者自体なら大勢いるのだが、今時魔道具としての水晶玉は嵩張りすぎて流行らないわけで、大概はファッションにレトロな味を醸すアクセサリー用途だ。と、なれば、強いてファッションと言い張っても良さそうだが、ガゼルロッサは普段からクラシックでトラディショナルで堅実な吸血鬼ファッションですっかり定着してしまっている。レトロなのと古臭いのとは絶対に違うのだ。

「いやでも……不自然にしても持ち回る方がまだ安全か……いや、そんなところ魔王さまに見られてはまず返せと言われる待ったなしに……俺がアクセサリーね……」

 耳に嵌めているピアスを軽く弄る。飾り気のない銀のピアスは「俺、銀くらい平気な吸血鬼だから」のアピールになる。昔は指輪を身に着けたりもしたが、よく外しては置き忘れてしまうのでやめた。装身具の類は大体同じ末路を辿るので、必要なものだけが残った結果がこの殺風景な空間だ。

 魔王にしても執務室の机の抽斗なんてがっかりするような場所に仕舞っていたくらいなのだから椅子でも構わないだろうか。しかし考え始めると今更、元の場所に戻す気にはならない。

 扉の外から、べええええと山羊の声がした。

「ガゼルロッサ様、いらっしゃいますか。お洗濯ものはございませんか」

 ない、と返事をしようとインターホンの受信機を取ろうとした矢先、扉の隙間から黒山羊の頭が付き出して来た。いくら無法地帯魔界とはいえ唖然である。

「あ、側近殿、今日はいらしたのですねえ。お掃除です。お洗濯ものがあればお渡しください」

「もう少し間を取れ」

 黒山羊頭のメイドは悪びれもせず「よいしょ」と禍々しくも仰々しい掃除機を転がす。適当な性格なのだろう。無断で入ってくるのも(間が足りないが)悪いことではない、そういうサービスとして彼らに合鍵を預けているからだ。ゆえに前提として貴重品を無造作に置くべきではない。

「あら、側近殿。珍しいものをお持ちですねえ」

 山羊の目が、ガゼルロッサが抱えている水晶に止まる。やっちまったな、とガゼルロッサは舌打ち。水晶玉のひとつやふたつ見られたからと言って何というものではない。気を取り直す。

「貰い物」

「陛下からですか」

 腹立たしいくらいに単純なガゼルロッサの交友範囲から、メイドは的確に見抜いてきた。嘘を吐いてもややこしい。

「そうだ」

「在庫処分?」

「き、貴様っ……」

 一介のメイドの癖にこの黒山羊の底知れぬ畏れ知らずに側近は唾を呑んだ。仮にも『側近』な側近に魔王が下賜したものを在庫処分呼ばわりとは大物になりそうな言い種だ。

「ああ、だから大事に抱っこしてるんですねえ。困っちゃいますよねえ、そういうの。捨てるわけにはいきませんし」

「捨てねえよ」

「でも下げておけば鈍器になりますねえ。綺麗ですし」

「稀代の発想だな」

 呆れながらも半ば良い案に思われてきた。武器ならば大鎌だろうが大砲だろうが背負っていてもあまり気にされない、それが魔界だ。のんきな黒山羊の反応を見るに、このプライバシーのない部屋で無理に隠すよりは持って歩く方がまだマシであろう。代案が出るまでそれで行こう。

 ガゼルロッサは左手の小指を噛むと、滲み出た血を水晶に擦り付けた。後はいつもと同じ、血の剣を形作る要領。錆色の持ち手を伸ばし、飾り程度に棘を貼り付け全体を纏める。ベルトにでも差しておけばいいだろう。

「あら、メイスですねえ。素敵。お似合いですよ」

「いきなりこんなの持ち歩いてたら変じゃないか?」

「そんなことないですよ。私前から思ってたんですけどねえ、側近殿って脳筋じゃないですか。レイピア投げナイフより絶対に鈍器の方が向いてますよ!」

 力強い肯定だが、誰かこのメイドに口の利き方を教えたほうが良いのではないだろうか。

 耽美系吸血鬼の心算で細剣レイピアを――しかも血で作って――獲物に決めていた側近は、脳筋呼ばわりに少し傷ついた。実際に武器として振るうわけにもいかないのだが。

「じゃあ、もう出るから。洗濯はいい」

「かしこまりました」

 黒山羊のお辞儀を受けて部屋を出る。先ずは蝙蝠の進捗を確認して、アルメニのご友人にご挨拶だろうか。朝食は時間が経ってからがいい、起き抜けだとあまり量が入らないから。昨日は手がつかなかった書類仕事もさすがに片付けねばなるまい。明日か明後日か、魔王が起きたならまた書類どころではなくなるはずだろう。生欠伸をひとつ。

 西塔から主塔へ歩いて移動する。城の巨大さゆえに移動は面倒だが、飛ぶのは体力を消耗するため毎度ショートカットはできない。長い連絡通路は動く歩道で、疲れはしないが頭を使う。時々階下へ落とされる罠になっているのだ(そんな時こそ飛んでしまえばいいのだが)。とはいえ通い慣れた道程、目を擦りながら正しいルートで流される。

「ガゼルロッサ様、おはようございます」

 肩に飛び乗ってきたのは赤き大蝙蝠サイモン、仕事終了の報告だ。直に報告にやってくるところがマメでいじらしい。

「あとはお詫びの文面の確認を願います。ガーファンクルが文面を送っておりますので」

「ご苦労、ご苦労、もう休んでいいぞ。俺は執務室に籠るから」

 恭しく礼をとる蝙蝠。

「おや、珍しい。メイスとは」

「やはり気になるか」

「そりゃあ、旦那の好みからは外れてらっしゃるでしょう」

 よく分かっている。

「しかし相性は良う思います。水晶がまたよろしいですな」

「世辞でも有難い。繊細な武器は似合わなかったようだから」

「旦那……」

 頭を翼でぱさぱさと叩かれる。多分慰められた。そんなに落ち込んでいるわけではない。

「では、失礼させていただきます」

「おう」

 どこかへ飛んでいく蝙蝠。どこがねぐらなのか、実はガゼルロッサも知らないのである。蝙蝠にもプライバシーはある、側近には無いようだったが。

 ガゼルロッサはじめに多くの配下は決められた仕事場があるわけではなく、広大な魔王城の好きな部屋を使っていいことになっている。それこそ煮えたぎる溶岩のフロアだろうが、流砂のフロアだろうが仕事になるのであれば勝手に占拠してもよい。そういうわけなので、ガゼルロッサは魔王の執務室に机を置いている。恐れ多さゆえか追随するものもなく、魔王も(目を剥いた後)「構わないが」と言ったので場所取りに困ることはない。ちなみに魔王の方が耐えかねて衝立を立てている。

 執務室で軽く書類を整理する。書類と言っても最早ほとんどがデータ化されており、ポケットに入る程度の小型端末から中空に投影画面を広げて内容を確認する、という具合だ。とは言え中には慣例的にサインが必要な文書やら羊皮紙で出てくる文書やら、フォーマットも混沌としている。被害者へのお悔やみの手紙などがそれである。何をどう書いたところでどうせ文句を言われるのは目に見えているためやる気は出ないが、悪魔の貴顕たちは古臭い様式が好きなので羊皮紙につけペンで苛々しながらも文字を刻む。文面の方は蝙蝠に頼んだが、彼らに文字を書かせると悲惨なことになる。魔王城で扱う最上級の羊皮紙とて、紙に比べるとインクの乗りが悪い。どうしても脂の加減で紙面が均一にならず、つけペンの先が幾度も引っ掛かる。手紙の清書で思ったより(あるいは思った通り)仕事は捗らず、ひと息入れようと伸びをする。手紙しか書けていない。朝食は軽く済ませてしまおう。

「ああ、様子を見るんだった」

 魔王の寝相の確認である。

 今日の魔王の私室の見張りには、ペンギンが立っていた。

「ティモエマだな」

 ペンギンは無言で軽く頷いた。寡黙なのだ。

「丁度いい。アルメニから話は聞いているんだろう。俺もお前のことは高く買っている。に立っているくらいだからな」

 ペンギンは胸に手を当て、敬礼した。円らで鋭い眼光は、「任せろ」と告げるかのように光る。

「大丈夫だな。詳しいことは追々だ、それと、今はくれぐれも内密に」

 互いに神妙に頷く。要らぬ心配だろう、彼の口は堅い。

 慣れた手つきで寝所を開けると、予定通りに変わらぬ体勢で魔王が金銀財貨に埋もれていた。一応変わりがないかを見るために近寄る。

 その鼻面に軽く手を触れたところで、竜の目蓋が持ち上がり、爛々たる金色の瞳が現れた。起こしてしまったのかと、息を呑む。

「お目覚めですか」

「いや」

 起きているではないか。

「別にずっと眠っているわけではない」

「そうなのですね」

口元そこは危ないぞ、火が漏れる」

 言われて側近は首元まで移動する。不死の吸血鬼をも灰燼に帰せしむ火炎が確かに言われてみれば直撃する位置取りだった。その辺りが粗忽と言われがちな点だ。

「眠い」

「今起きたんですよね?」

「寝過ぎて眠いのだ」

「ひょっとして寝惚けてらっしゃる」

 少し間の抜けた会話をしながら傷を確かめる。薄膜が張って塞がってはいるものの、すぐに破れてしまいそうな心許なさがある。大人しく寝ていてもらった方がいいだろう。

 目元を見れば、先ほど満月のように開いたばかりのそれはゆっくり目蓋が降りてきてまたすぐにも眠ってしまいそうである。何度寝なのだろう。

「お前、そんな風にして」

 呆れたような声がし、水晶のことだと思い至る。側近は頭を掻いてばつが悪そうにした。だが、咎めるでもないようでそれ以上は言葉が続かない。ならば、とメイスで通すことに決めてしまう側近であった。

 魔王は少し身じろぎして体勢を整えた。布団代わりの金貨が賑やかに音を立てる。

「ガゼル」「はい」

 ガゼルロッサは生唾を呑んで、視線が泳いだ。魔王の威圧感に対して修練が足りないのだ。

「ぱんつ」

「それはもういいわ」

 魔王は軽く火を吹いた。竜の表情は分かりにくいが、渋い気分なのは伝わった。

 半分開いた目で側近を見つめ、

「何やら駆けずり回っておるのだろう、分からないと思うてか。お前の底などたかが知れておる」

「魔王さまに知られて困る思惑などございません」

 きっぱりとした物言いに、魔王は愉快そうに牙を剥いた。

「いけしゃあしゃあと。言っておくが、私は本当に知らぬからな。確かめるくらいであればとうの昔に喰らってやったわ」

「それは、つまり、御子は……」

「はっきり言わせる気か?」

 養育費は送っていないということである。

「我が目の黒いうちに出てこようものなら、今でも、私が息の根を止めよう。分かったな」

「承知いたしました」

 何のために作った子なのかと思われる言いように、余計な詮索は避け短く答えた。

 溜息のように呟き、目蓋が落ちていく。話しは終いのようだ。

 側近は沈みつつある瞳へ優雅に一礼。

「ごゆっくりお休みなさいませ。万事恙無つつがなく回っておりますから」

「大袈裟な」

 そして再び静かに眠りに落ちるまで、その首元で思索を巡らす。の結ばれた先に何を危惧するものなのかと。

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