第18話 狂える星の夜
「貴様ら、遅すぎるのではないか」
お陰様で堪能、もとい、探し物が見つかったとは言わない。それと見込んで魔王の私室を荒らしまわる側近も側近だが、側近らしく詰っておかずにはおれない。魔王の部屋の見張りはかくも大事なのだ、と。丁度いい頃合いにようやくやって来た魔王軍の悪魔ふたりに、出来る限り最高に冷たい声でそう話す。
「重責に足る魔族の選定を……」
口を開く獅子頭の悪魔――見覚えがあるのはアルメニが可愛がっていたからではないだろうか――を敢えて制して、
「貴様が理由を述べる必要はない、さっさと持ち場へ就け。俺も暇じゃあないんだ、先ずは魔王軍の怠慢ぶりを纏めておく仕事があるからな」
目に力を込めて、思い切り睨みつける。そのまま脇目も振らず控えの間を過ぎ、勢いよくかつ慎重に――ここで踏み外しては台無し――漆黒の仄暗い階段を下りる。玉座の間。
ガゼルロッサが作業を指示した赤き大蝙蝠サイモン&ガーファンクルが白チョークで悪魔型(つまり色々な形)のシルエットを描いている、まるで殺害現場。
「ガゼルロッサ様七十点」
「声に凄味はありましたけど啖呵の内容が物足りない」
「頼んでもいない評価をするんじゃない、お前ら」
的確に思われるのがまた恥ずかしい。ガゼルロッサは前髪を掻き上げて頭を掻いた。
「仕事の具合はどうなんだ」
「順調でございますよ。人数と特徴は割り出しましたんで、あとは特定ですな」
得意気に報告する赤蝙蝠。胸を反らせて申し述べるあたりが可愛らしい。
「ご苦労、そんなら続きも順調だな」
「勿論です」
胸を叩くのでなお良し。
「サイモン、終わったら頼まれてくれ」
片方を呼び寄せて耳打ち、する必要はないのだが気分の問題で声を低くする。
「南西の方、周縁域辺りのドラゴンを調べてくれ。鱗の色は必ず確認して。特に幼竜、未成年」
「旦那、まだ的が広くないですかい」
釣られてサイモンも声が低い、普段は高周波な声であるのに。
「うん、まあ、閣下も妙なことを言うし、どうも急ぐ必要が出てきたらしい。無理は承知だがお前はやれる、頑張れ」
「適当なところが陛下に似てきましたね」
サイモンは翼を広げた。肩を竦めた格好に似ている。
「褒めんなよ。じゃあさっさと片付けてくれ」
「了解です」
ばさばさと翼を振る、可愛げを感じる。
部下たちを後目に食堂へ向かう。魔王の私室を漁っているうちに、すっかり夜の帳が降りている。魔界は昼でも薄暗いことこの上なく、夜の方が調子が出る魔族も少なくない。吸血鬼も御多分に漏れず夜型だが、朝ふかし夜寝坊を繰り返すうちガゼルロッサの体内時計はすっかり狂ってしまって最早朝方である。もっとも、常にある程度の睡眠が確保出来ていれば二十四時間働けますか、なのだが。
つまり、魔王城の食堂は問題なく営業中だ。クリネラが吹き飛ばした壁の穴から外を眺めれば(魔法による結界の応急措置がとられているが、外から玉座が丸見えなのは嫌なものだ。ブルーシートで覆うように進言したところ、魔王の『ださい』のひとことにより現状が維持されたもの)城下町の明かりも煌々と、まるで城下全体が歓楽街なのかという程である。実際、歓楽街も遠慮なく栄えている。夜くらいは城下の飲み屋にでも、側近も時々は出掛けることもあるが、
「給料日前」
特別に服に拘るだとか、値の張る趣味は持たないガゼルロッサなのだが、どういうわけか給料日前の財布は一反木綿のよう。
「何で俺金ないのかな」
「食い過ぎだろ」
食堂の料理鬼が、盛大な独り言へ律儀に返した。
「そうかな」
「注文は何だよ」
「バンデラ」
ドミニカ共和国の昼食、ランチプレートを指す。ご飯やバナナ、豆、肉、野菜などをセットにしたもので、一日のうちで最もボリュームの多い食事となる。
「今日はミノタウロスのモツ煮だぞ」
「それで」
ガゼルロッサは存外米類が好きである。揚げたバナナも好きだ。生ものは少し苦手。ちなみに南国の日差しは今のところは苦手だが、吸血鬼として成熟していけば日光も完全に克服できるのだという。魔王からは「間違ってもビーチでこんがり焼くな」と警告されている。
ミノタウロスのモツは弾力に富み、歯ごたえがある。しかし濃厚な風味と溶け出すような脂の旨味が絶品であり、控えめに言って
「ああ」
見下すような声を見上げると、アルメニである。
「また米だ」
「小腸は鉄分を多く含み、亜鉛などのミネラルも豊富で」
「せめて欧風の食事を摂れやい。視覚情報が混乱って感じ」
アルメニの手元にあるのはカラフルな目玉の煮込み料理だ。真っ黒な煮汁に浸っているが、おそらくクラーケン墨ソース。
「げてもの食いめ」
「あんた、ずっと陛下の部屋に入り浸ってたってね」
「ちゃんと収穫はある」
へえ、と気のない返事で向かいの席に腰を下ろす彼女。
「パンツ」
「言うなッ」
発言を阻みアルメニが叫んだ。他の者たちの視線を集める。
「アルメニ、食堂だぞ」
「お前だよ、どの口がしたり顔で言ってんだよクソ変態が」
苛々とした口調でぶつぶつ言いながら眼球をバリバリ食んでいる。
「ふざけてんなよ」
「食堂でお話しできる程度にはマイルドな話題をセレクトしたんだが」
「ふん」
アルメニが大袈裟に鼻を鳴らす。
「そういうんじゃない話が聞きたいものね」
「じゃあ食後のデザートだな」
「いいよ」
違和感を感じて、ガゼルロッサは声量を落とす。話したいのであれば『携帯』にしろ意思伝達効果の魔法にしろ、アルメニもガゼルロッサも豊富な手段は持っている筈ではある。
「メッセージ入れないんだな」
「フェイス・トゥ・フェイスがいいこともある」
それも手段のひとつなのだが、まさか食堂なら間違いないと思われているのではなかろうか。デスクを置いている執務室にでも訪ねて来ればいいものを。単純に晩餐の時間だっただけかもしれない。
「ほおう、側近がふたりして、仲睦まじいことで」
今度は下から老人の声。テーブルの下を、ふたり揃って覗き込むと、剪定を放棄した髭に埋もれた好々爺――土精ノーム――が見上げている。
「スプラウト
ほほほ、とスプラウトは機嫌良さそうな笑い声で答える。精霊なので邪悪でもなんでもない爺である。彼は空いていた席によじ登り、
「ガゼルロッサ殿はこちらにおると聞いての」
「食堂なら間違いないと思ってる奴がいるらしいな」
苦虫の代わりにバナナを噛む。甘い。
善くも悪くもただの精霊スプラウト翁は、名前の通りクリネラ・クリムゾン・スプラウトの後見その一だ。確かに無邪気に邪悪さを発揮する悪魔を育てたな、という感じである。
「短足野郎のこと?」
「そそ、えらい粗相をしとるようじゃな」
「あの最上階の穴、見たでしょう」
ほほほ、と笑う。反応は邪悪な魔族と似たり寄ったり。
「修繕費を請求してやってもいいんだぜ
「その程度で済むんなら、お前さんらのうちでは安いもんじゃろ」
「仰るとおり。反逆の罪は重いぞ、今のうちに土の中に隠居するのをお奨めする」
魔王がクリネラの後見人の存在を思い出す前に。
「幾つになっても子供のことは気になるもんじゃよ。阿呆は余計に」
髭を伸ばし伸ばしそう言って、髭から無造作に手のひら大の結晶体を取り出しテーブルの上に転がした。ポケット代わりなのか。
「あれが本棚の裏に転がしとったんじゃが、大事なもんではなかろうかのお」
「記録媒体か」
アルメニがフォークで突くと、淡い緑色に発光した。
「中身は」
「とても見られるようなもんじゃあなかったがの、垣間見た感じは面白そうじゃよ。林檎がどうとか」
「林檎ね」
ガゼルロッサとアルメニは顔を見合わせた。魔界には存在しなかった林檎、その知恵の実を魔王城の空中庭園で栽培していたのがクリネラである。特別な意味を持ちすぎる果実であるだけに、魔界では根付かないというのが定説だったのだが、ものの見事に毎年大豊作であった。彼の面倒見なしで今後も維持できる代物かは、側近たちには分からない。
「研究資料ってところかな」
「アルメニ、見られるか」
「直ぐにはちょっとねえ。あの短足もあれでなかなか魔法使いだから」
彼女は言いながらもそんなに大事かとも思えない、くらいの表情で懐に仕舞う。
「あとこれは見舞いにの」と、再び髭中から取り出されたのは、それこそ林檎ほどはあるルビーの塊(そう呼ぶのが相応しい無骨さと無造作感である)だ。さすがに側近も目を剥く。こちらはガゼルロッサが懐に入れた。
「まあ、俺が預かろう、名前は敢えてお伝えしないが。クリムゾン
「元気じゃな。『あらあら困ったちゃんだわあ』とぼやきよった」
「あんまり困っちゃいないな」
後見人その二のフェローネ・クリムゾンは吸血鬼の未亡人で、ガゼルロッサも世話を焼いてもらった料理上手の
「あんた方には迷惑がかからないようにしたいな」
「おやあガゼルロッサくん、私情ですかあ」
アルメニが小首を傾げて煽る。
「魔族が私情で権力濫用するのに文句ありますかあ」
真似して言い返すガゼルロッサ。咎められずともそういうことは隠れて行うのが筋である。
「短足馬鹿をきっちり締めるだけだろ、とっくにいっぱしの悪魔なんだから。後見に責任負わせるなんて言ってみれば敗北宣言みたいなもんだ」
「気にする奴は気にするわね。奴は見つかりそうなの」
「このマイドロガノムン・メズブラディアモ殿に訊ねてみろよ。狼優先で言われてるみたいだから、案外捗ってなさそうだぜ」
苦虫の代わりにモツを噛む。魔女親衛隊にあまり大きい顔をされても困るが、大事は大事なので進まないのも困りものである。魔王本竜がクリネラのことを然程気にしていないのだから仕方がないが、今回額面上の被害をより多くしているはどう考えても彼の仕業である。
スプラウト翁に茶を飲ませて城下へ送り、アルメニと向かうのはデザートだ。魔王城の中層には流砂のエリアが広がり、灼熱にして暗黒の太陽が膚を焼く。魔界の、それも室内の太陽だが、吸血鬼には過酷な環境と言ってよい。日傘とサングラスを取り出す。
「日焼け止め持ってない?」
「あるある」
流砂エリアの良いところは、見晴らしが抜群に良く隠れる隙もないところだ。ちょっとした岩場はあるが、時々ゴーレムだったりもするので、その点は注意を払う。
「真面目にパンツの話じゃあないでしょ」
「さてねえ」
ご落胤のことを教える心算はない。
「話があるのはお前の方じゃないのか、アルメニ」
「そおね、共同事業のアレ、早速ご紹介したい子がいくらかいるの」
渡されたデータにざっと目を通す。光によって描き出される空中投影の資料は見づらいことこの上ないが、魔界もペーパーレスの時代だ。
夢魔マリオン、上級夢魔で人間界にいくつもねぐらを確保している。力はあるが享楽的で行動が読めないタイプだ。幽鬼ユーリーンはよく見かける、アルメニの弟分。よく使っているが彼自身はクソガキ。ペンギンの悪魔ティモエマは魔王軍の所属だったはず。可愛い。
「バラエティに富んでるじゃないか」
「その点はご期待に沿っていると思う」
上等である。ユーリ以外は癖はあれども実力十分、マイペースで孤高の夢魔とペンギンとして知られる彼らならば、面白い精鋭部隊になりそうである。
「名誉に拘らない奴らだと思っていたが」
「それは仲良しだしね。刺激が報酬よ」
ならば、とガゼルロッサも
「俺の推しメンも見といてくれ」
「ええと、彼?彼は」
アルメニが目を細めて画像を凝視している。見づらいのだろう。
「魚男のジルベール・マルブランシュだ」
さるご令嬢の紹介で仲良くしている好青年だ。
「マダイみたいな面してるジルベールはちょっとなあ」
「見ろよこの美脚。ジルベールって感じするじゃないか」
白い足はつるりとしていて長い。
「あんた生臭もの苦手でしょ。大丈夫なの」
「食うわけじゃないから。あとジルベールはキュウリの匂いがする」
「それ、鮎じゃん」
アルメニは困惑しながらも「分かった」と告げた。実際に会ってみないことには始まらないだろう、特に魚男とペンギンがどう出るのかは側近たちですら予想は困難である。
「それで。やたらと警戒してるみたいだけど」
灼熱地獄でプレゼンをする訳を問う。
「念入れてなんだけど、近頃魔法での界との接続が安定しない」
「『携帯』の接続が安定しないってことじゃなくて?」
「それも含めて、人間界航路にしろ悪魔請願にしろ何にしろ魔法的な魔法みんな調子悪いわけ。固有魔法に影響は感じていないから界の接続だと思うけど、親衛隊も難儀してたわよ」
アルメニは落ち着かない様子で手を握ったり開いたり、確かめている。
「なんていうか、宇宙全体の乱れを感じる」
「法則が」
「そういうんじゃなくて。ノイズ走る感じかな。今は大事な通信に『携帯』止めといた方がいいよ、漏らしやすい」
「分かった」
ガゼルロッサには魔法理論は分からないが、結論は大事である。宇宙の乱れとはまた大きく出たものだ。
「どうしてだと思うんだ、お前は」
「分かんないね。世界同士の繋がりが不安定になっているのだと思うけど、ほんとの宇宙規模の異変を俯瞰するような眼はあたしも持ってないし。師匠に訊いてみようかな」
アルメニは顎に手を当て思案する。仕草は小悪魔めいて可愛らしいところもあるのだが、と余計な事を考えるガゼルロッサ。
「親衛隊長にも話してみたら」
「そおねえ、研究肌だから案外あたしより分かってるかもね」
頷いて、「じゃあこんな場所からはおさらば」吹き出す汗を拭うアルメニ。はるか遠くの蜃気楼の中では、白い扉から出てきた花嫁が砂丘を駆けている。
体内時計も何もかも狂っていくな、と漠然と考える頭は再び血を欲している。さっき飲んだばかりではないか、それは良くない。吸血で転化がどれくらい早まるものかは個人差があるものの、にんにくや銀を克服し着実に狂える夜の不死者に近づいている以上は必要最低限に努めねば。
「はは、狂ってんな」
「なんか今更言ってる」
魔王の側近が魔族として制限されている現状が狂っているし、とても矛盾している。
「俺、人間だと思うか」
「いや。変わった吸血鬼だと思うわ」
「だよな」
息を吐く。「冷たい麦茶か、ローズティーを所望する」熱中症になる吸血鬼なんて聞いたことが無い。
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