第17話 命賭けて

 男たちと同じくらいに六花の心も決まっているとみえた。猫に連れられた先は離れの部屋で、その離れの棟が彼女の住居であるらしい。小さな畑が見えるが、土地柄、旺盛とは言い難い。

 六花は風呂敷を広げて、箪笥の中のものをあれこれ吟味していたようである。

「なんじゃ、お主も出てきたのか」

「足が痺れた」

「情けないの」

 床に座る機会自体がそうないのだ、許してほしいもの。

「お六様はどうされるのです」

 猫が訊ね、

「お主らを連れて山を下りる」

 迷いなく言い切った。

「義姉上らもきっとそう言うと思う、兄上が犠牲ならばわらわは代償じゃ」

 鼻息荒く言った後、泣き出しそうな顔をする。

「家族をまた取られるかと思うと。あにさまも馬鹿なことをして」

 実際生き急いだ馬鹿がふたり。責任を取る心算はない悪魔はばつが悪いとも思わないが、因果があることは感じている。

「自分もここは退く。だから、いっそ一緒に行かせてくれないかな」

「それは構わぬが」

 六花が頬に手を当て思案している。

「お主こそ狙われておるのなら、ひとりで行った方が良うはないか。相当な速さで飛べるじゃろう」

「それは目立つし、長いこと飛んでいられるわけではないから。これも乗りかかった船だし、逃げるくらいならお役には立てるでしょ。魔王を倒すのは無理だけどさあ」

 自分を指さしてお道化たポーズをとるクリネラに、呆れたのか微笑む六花。

「リンとあにさまのせいじゃもの」

「おっと、魔王が自分で蒔いた種だ。俺には行くあてがないってだけで、それ以外に理由はないからな」

 立てた指をそのまま六花に指す。

「子どももいるのか」

「兄上のやら。無理矢理にも連れて行かねばなるまいて」

「戦えるのか」

「あまり期待するな、所詮辺鄙な村の女子供じゃ」

 逆に、全く動けないとは言っていない。魔界水準はクリアしているだろう。

「麓へ向かう?」

「それは意味がないのう。西へ向かい灼江まで、街まで行けば身の隠しようもある」

 筈、と小さく付け加える。

「お主を連れて行く方が危うかったりしての」

 ほほほ、と笑うが、目が笑っていない。

「否定できないが、多分自分のことは気に掛けてないんじゃないかな、という気がする」

「曖昧じゃ。しかし、まあ、いいじゃろ」

 思案は終わった、というように、手をひとつ叩く。六花は猫に耳打ちし――猫ちゃんと呼ぶと怒った声で「シャン、です」と名乗ったが、クリネラはあまり覚える気がない――猫は離れから出て行った。お使いのようである。

「白峰が『処刑』されたときが思い返されるものじゃ。あにさまの話、聞きたくて来たのじゃろ」

「どんなです」

 六花が箪笥から鎖鎌を取り出すのを見ながら、柱に凭れてクリネラ。

「その後生き残りは散り散りに逃げることにして、今のようにばたばたと荷造りをな。まあ、わらわの一家は荷造りなどしておらぬが」

 溜息を吐いて、思い出話の花は嬉しいものではない。

「どさくさに紛れてなんとかそれを見に行ったのじゃ、あにさまとは最期だと思うたから。実際行ってみれば違う子供が繋がれておったわ」

「ふうん、身代わりか。魔王軍も適当だな」

「歳の離れた兄上がいたからの、弟の方はあまり知られていない筈と踏んだのじゃろ。あにさま本人もそんな事とは知らなかったようで……それともどうしても家族と離れがたかったのか……あにさま本人が人垣をかき分けて飛び出してきおって」

 昔から後先考えないひとだ。

「その炎の中に腕を突っ込んだところで魔王の部下に弾き飛ばされたわ。それがあにさまを見た最後じゃったのう」

「ユキさんは自分から人生をハードモードにしている節があったものな」

 選択肢をちらつかせたのはクリネラだが。六花は懐かしそうに、目を細める。

桂男かつらお輪廻りんね

 名前だ、と気付いて、背筋に冷や汗が垂れた。六花が寂しそうに笑うが、

「似ておるの。あにさまの乳兄弟じゃ、気の毒に。お主の名を聞いて思い出したが、あにさまも懐かしがったじゃろうの」

 違う。。クリネラに名を与えたのは魔王だ。

 C・Rは「叫ぶ」を意味して魔族の名前にありがちの、これはクロスと揃いだ、それは既に気付いていた。拾ってきたのが彼であったから、そう考えていた。これは懐かしがるどころか――

「辛い思い出を、どうも」

 ぎこちなく言えば、良いように取ったか「すまないの」と慌てて言われたものだが。喉がまた乾く。クリネラには珍しく、恐怖を感じる。

 魔王の描いている青写真が読めない。

「どうした」

「や……疲れたかな」

 関わり合いにならざるを得ない、ということなのだろうか。

「どうせ出立するにも明日の夜明けじゃ、もう遅い。ここで休んでいて構わんぞ」

 青い顔でもしているのだろう。言葉に甘えてしまおう、と頷いた。深呼吸をひとつ。不安がっていたところで仕方がない。それに、クリネラに魔王の思惑は、関係ない。

「お六さん、地図なりとあるかな。行くと決めたからには勉強したい」

「ほう、殊勝なことじゃ。よかろ」

 六花が折りたたんだ紙を放り投げる。受け取ると、詳細な手書き地図だ。魔界で紙媒体もほとんど見かけなくなっているが、ましてや手書きである。

「手書きか」

「伝統的に狼は魔法を扱わないゆえ、この手の技術が遅れておるのじゃ」

「良いこともあるさ」

 魔力切れのとき、それに魔王の手先に追われているときは特に。魔王が抱えている魔女であれば魔法の痕跡から個人を特定することも容易いだろう――クリネラに関して言えばおそらくは誰もが予想する場所に予想通り猛スピードで訪れているだけなので、今意味があるわけではないが。

「何日くらいで行く気だ」

「灼江ならどう頑張ったところで五日はかかろうよ」

「五日かあ」

 唸るクリネラ。ちなみに彼ひとりならば一日で着くかという程。魔界のほぼ中心に聳える魔王城から魔界の周縁域に二日で辿り着くのだから、大概の場所は週末のプチ旅行もいいところである。

「魔王もひとりで北の山に休みなく駆けてくるんだったら二日、三日か……いや魔法次第じゃあ一瞬でここに来られるのか。これだから魔法ってやつはズルいんだ」

「お主もそれにかけてはなかなかのズルじゃろ」

 六花もなかなか理解がある。

「しっかし、病み上がりで御自ら全力で狼狩りをするとは思えない。どうせすぐ側近殿に呼び戻されてお城で采配振るんだな、貴族院ガン無視も出来ねえだろうし、配下のしょうもない魔族では周縁域に達するまでに五日はみて、うむ。撒けらあな」

 適当に楽観的な予測を立てる。六花が渋い顔でかぶりを振る。

「灼江まではな。その先どうなるものか」

「情勢は最早神のみぞ知る……ルシファー様のみぞ知るに訂正しておこうか、だろ。この混沌を見逃しはしないぞ、北西の吸血鬼どもが」

「故に西へ向かうのじゃ」

 しかし誇り高き吸血鬼の美学が計算を難解たらしめる。魔王からユキへの屈折程度に面倒な計算だ。

「じゃ、ほんとご迷惑じゃないんだったら同行する」

「や、ご迷惑じゃがの。お主、既に追っ手がかかっておるんじゃろ」

 その通りである。クリネラであれば拒否する。

「じゃが、あにさまの信頼に懸けて酔狂に期待するのもよいかと思うての」

 含みのある笑顔である。なにがしか、計算に含まれているようだ。ただ、細かいことは気にしないクリネラだった。

「いい魔族っぷりだよ、その笑顔」

 悪魔は指さして褒め称えた。


「ようクリネラ

 ウィリに手招きされて、離れから庭に出る。六花はどこかへ出て行ったところだ。雪山といえども紅色の花が鮮やかな、小奇麗な庭だ。

「なあにかしら、告白ですの?」

「気持ちわりいな、もっとまともな変装は出来なかったのか」

「いや、変装したくてやったんじゃないんでね」

 訝し気に眉を顰められるが、説明は面倒な気がしたので本題をせっつく。

「で、何だよ」

「男どもは竜王陛下を迎え撃つことで纏まったぞ」

 親切な報告である。クリネラもギブ・アンド・テイクの気分だ。

「女どもは何が何でも逃げるそうで」

「で、お前は。女だか男だか判然としないが」

「今だけ女ってことにしてもらっていい?」

 ははは、と声上げてウィリが笑った。

「お前さんが居たら勝てるかもしれんぞ」

 それは買い被ったものだ、という意味で肩を竦める。

「妖魔の大群をバックに現れるかも」

「いや、ひとりで勝手にふらっと憂さ晴らしに来る、に一票だ」

 ははは、と声上げて笑うクリネラ。城内の様子が目に浮かぶというものである、さすがは一番だ。

「それでも申し訳ないが死んでいただこう」

「つれない奴め、お前の死に場所には丁度いいじゃないか」

「どうかな。俺はもっと緑の多いところがいいねえ」

 ほんの数時間前まで死に場所のつもりだったのは秘密である。

「どこに逃げようって気だね」

 ちら、と目を見る。何を考えているか読めない、暗い色の目だ。直感は「これが本題だ」と述べている。

「言ったらどうするね?」

「何を疑っているんだか。お前みたいな卑劣漢では狼は靡かねえんだぞ」

「しっつれいな」

 寡聞にして近衛兵隊長の狼となりは知らないが、魔族を支配できるのは恐怖である。

「西へ」

「そうか」

 答えたことに自信はないが、それぞれに思惑を賭ければ誰かは勝つというだけだろう。クリネラは、今何に賭けるべきか決めあぐねていた。

 ウィリは返答に軽く頷き、悪魔の肩に手を置いた。

「意味のない死に方はするなよ」

「説教か」

 反抗的に口を尖らせてみせれば、狼は牙を剥いて見せる。

「そりゃあそうさ、俺たちのかわいい弟分を誑かした悪魔殿だからな」

 なるほど、クリネラは腑に落ちた気がした。鐘が悪魔を鼻先で転がし、ウィリが説教を垂れる理由について。

「そりゃ褒め言葉だぜ、お義兄さま」

「気持ち悪い」

 これは褒め言葉ではない。

 言った後にウィリも何か気付いた様子で、

「あ、お前、そういうことか」

 肩から手を放し、手を打った。

「女だったんならちゃんと言ってくれりゃあ」

「違います」

 やはり大切なことは言葉で伝えなければならない、と学んだクリネラである。しかし、言ってくれりゃあとは何だろうか。餅でも用意してもらえるのか。

「そうなのか、ちょっとばかし前にお前が本当は女なんじゃないかって噂が立ってたし、ああ本当だったのかと」

「待って、何なのその噂は。分かるようで分らんぞ」

「だってお前ら出来てたんだろ」

 豪快なストレートだ。

「何でわざわざ同性愛を装うのさ……魔界の性別観はクソだけどさ」

「あ、お前、知らないでいたのか。罪深いやつ」

「悪魔なので」

 どうも、今日という日は驚きの事実を目の当たりにする日であるらしい。驚くことにもいい加減に慣れるべきかもしれないが、相棒に隠し事が多すぎるのである。

「ユキが近衛兵隊に入る条件が妻帯の禁だったから」

 ほらな。

「ふぁー」

「へえ、知らなかったのか」

「教えて、それは魔王がそう言ったってこと」

「当たり前だろ」

 眉間に出来た皺を揉みしだく。何が当たり前なのか、そんな僧侶みたいなことを魔王が課すとは予想外だった。しかも僧侶だって碌々守っていないのに律儀な魔族も正気とは思えない。

「狂気の沙汰か?」

「殺さない代わりにお前が末代ってことだろうな」

「こともなげにまた、さすが近衛兵隊長よ」

 魔族の闇は深い。少なくとも近衛兵の狼は知っていて、ユキは己に知らせなかったのが動揺を深める。また背筋に冷たい汗が流れる。待て、あの狼が律儀な魔族だと?

「ま、魔法に、その」

「まあ、お前の考えてる通りじゃないかと思うぞ」

「嘘でしょ、全然普通にてたもん」

「細かいことは知らないが、昔その手の拷問が得意な魔女が側近に居てな」

 拷問ときた、魔界は酷い場所だ。死ぬより辛い拷問のノウハウが山ほど蓄積されているのだろう。何しろ魔族というのはなかなか死なない。

「去勢兵ってことなの」

「多分」

 傍に植わっていた適当な木に蹴りを食らわせていた。気分が落ち着かなかったものだから。

「おい、あたるなよ」

「そんなの俺でも後ろから刺す!」

「唆したくらいだから知っていたとばかり」

 話したくなかったんだろう。

「こんなのまるで殺してくれと言わんばかりに、どうしてそんなに、分からん。どうしてそんなにユキさんのヘイトを集めたんだ?」

「見せしめに」

 冷えた頭に閃きが落ちる。

「違う、違うぞ、これは挑発だ」

「酔狂な方ではあるが」

「狼どもみんな同情していた、いや、あんたら見たらみんな怒ってるじゃないか。あんたたち仲間意識が強すぎる、カリスマなしじゃいつまで経っても纏まらない悪魔なんかより遥かに近い脅威だ、いつでも好きなときに魔界をひっくり返す力だ。たった一匹弱いもの虐めをするだけでコントロールできる」

 ウィリは捲し立てる悪魔を遮り異を唱える。

「自分の身を脅かす意味が分からない、魔族の気質で十分説明がつく」

「それで納得するんなら魔王直属部隊が総員裏切るかよ」

 一瞬図星を突かれたように彼は言葉を探す。

「クリネラ、お前は納得するのか」

「まだ全然分かんないが、魔王の自爆装置的な処置は思い当たる節がある。魔女どもとか、吸血鬼とか。その命より価値あるもののために擲つ馬鹿をつい二日前に見送った、そういうことなんじゃないか」

 今度はウィリが眉間を揉む手番だった。

「決まった、俺の賭けが決まった」

 クリネラは独り言ちて――大き目の独り言だ――もう一度木を蹴った。

「命より価値あるものってやつを今度こそ信じてやろうじゃないかね」

 賭けたのは命、クリネラにとっては正に命題。景気づけに高笑いした、悲鳴に似た声が闇夜を劈き、六花が般若めいた形相で飛び出すとは考えもせず。

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