第16話 影追う銀の嶺

「わらわの名は玉屋たまや六花りくか、おりくと呼んでくれればよい。生まれた時から雪さまの許嫁じゃった。とっくの昔に解消しておるがの、結局嫁き遅れじゃ」

 ほほほ、と朗らかに笑う。時代がかった口振りは家柄を忍ばせる。

「自分は、クリネラ・クリムゾン・スプラウト。リンって呼んで。後は、そうだな、魔王殺害を企てたかどで狙われてるってところ」

 大真面目であるが、六花はころころと笑った。そうであろうな、と。

「足元に気を付け、いや、お主は浮いておるのか。なるほどの」

 黒煙吹きあがる『墓場』から少し下ったところに、彼女らの集落があるという。飛んでいくときにはあまり周囲が見えていなかったようだ、反省である。

 六花は見慣れぬ大きな悪魔が飛んでくるのを見て家から飛び出して来たのだという。

「お六さん以外の方は来なかったのか」

「いや、下から誰かが来ていると、兄たちはそちらへ出払ってしまっておってのう」

「俺以外にも?」

 不思議そうな顔で六花がまじまじと見つめ、クリネラは慌てて、

「元からこういう喋り方。お上品な育ちじゃないもんで」

「なるほどの」

 狼は頷き、合点した様子。クリネラも安堵する。

 ――何やってるんだろうな、俺。

「無理に取り繕うような必要はないぞ、狼の男どもは大抵強い女子を好くものじゃ。男勝りの嫁大歓迎よ」

「や、結婚とかしてませんので」

 妙に面倒な空気を察知して、再び慌てる。

「うむ、まあ、死んだ者のことは忘れよ。わらわも。ただ、兄たちが、あにさまが魔王に歯向かったのだと聞いたら、褒めてくれるじゃろうと思うての」

 神妙な顔で言ったかと思えば、何か思いついた様子で、

「あにさまの連れ合いなら、あねさま?」

「それはおかしい」

 あんたのあにさまは血の繋がった兄じゃなくて婚約者だろうが。

「年上の義妹いもうとはいやと申すか、ん?」

「いや変わらないんじゃないかな、あんたと」

 年上の義妹……ギャルゲーみたいな響きだ。しかも女装主人公、設定を盛りすぎ。

 他愛もない会話を楽しんでいると、茅葺の屋根が点々と見えてきた。猫耳の少女がこちらへ駆け上がってきている。

「お六様あ、お連れの方は」

「客人じゃ、兄上らはまだかの」

「まだなんですよう」

 猫は小首を傾げてクリネラを見ていたが、六花が何事か彼女に耳打ちすると目を瞬かせ、

「では、お準備してきますね。失礼します」

 勢いよく頭を下げ、来た道を戻っていった。四つ足の歩みは軽やかで、あっという間に集落の奥へ消えていく。

「あの子は?」

「手伝いで住み込んで居る猫じゃ。母親も玉屋の家政婦での、その母が亡くなってからもうちで面倒を見たり見られたりよ」

 クリネラも魔王城を出て初めて気が付いたが、獣人の村でも複数の種族が住んでいることが多い。ネームバリューがあるからなのか、魔王の対抗勢力筆頭は狼獣人と吸血鬼という刷り込みがあった。実際には獣人として狼に与する猫やら狐やら狸やらがこの北の山周辺に眠っているのだろう。そして北西には吸血鬼の城、彼らが手を組んだら魔王城はひっくり返ると思うのだが、それは期待できない筋である。

「この辺にはどれくらい住んでるんだ」

「あまり。五世帯三十人程度かの」

「限界集落じゃねっすか」

「もともと辺鄙な場所じゃろ、白峰家が無くなってからは他の銀狼も野に散って生き残りを図ったということじゃ」

 そう言いながら岩場に張り付くように立つ家々を素通りし、一際大きな屋敷に着く。

 やはりと言うべきか、この集落での権威ある家に違いあるまい。ユキが矢鱈に長い名前を名乗ったときからそんな気がしていたのであった。許嫁も高貴なお家柄確定である。六花自身は気さくな狼だが、なるべく早々に切り上げたい。

「まあ茶でも飲んで待ってもらえんかの。兄上もそろそろ帰ってくる筈じゃ」

 土禁のようだ。ブーツを脱いで縁側から家に上がってしまうと、先ほどの猫少女が待ち構えていた。「縁側はダメですってば」言いながら奥の部屋に通される。背後の岩穴に半ば埋まるように家を作っているのだろう、壁には岩肌が荒っぽく見えているが火鉢でよく温められている。

 六花が纏めていた髪を解く。背中を覆うまである見事なストレートは、確かに銀色の光沢がある。

「丁度不穏な話もあっての。話を聞けばどうもあにさまと無関係ではないようじゃな」

 床に座ってせんべいを食みながら。

「魔王が銀狼を狙ってるって?」

 麓で少年から聞いたままを尋ねてみる。

「それじゃ、お主の話だと、あにさまが魔王のが原因じゃろ」

「仰る通りだと思います」

 クリネラも湯呑に口を付ける。熱い。

「銀狼と言っても、集落は御覧の通りの有り様」

「それでも形の上でも、ここから焼き払うだろうね」

「何をそんなに怒り狂っとるんかいの?」

 六花が首を捻るので、ああ言い忘れていたな、と説明。

「ユキさんは魔王の近衛兵をやっていたもんで」

「裏切ったからということか?」

「それに魔王も止めを刺す前に俺が掻っ攫ったもんだから、消化不良なんじゃないかな」

「お主、ファインプレイじゃな」

 六花にとってはファインではないどころでは済まないが。

 にわかに数名の話し声が聞こえてきた。

「お六様、蛍火様と松葉様です」

 猫の声で飛び跳ねるように出ていく六花。何も言われていないので一応後に付いて行くクリネラ。

「おかえりなさいまし」

「お六、その後ろの方は」

 廊下の奥に四人ほどの狼、そしてその中に見覚えのある顔があったもので、悪魔は思わず声を上げてしまう。向こうも気付いたようだ。

「てめえ、短足か」

「近衛兵の一番、二番さんや」

 黒髪総髪の二番――祢屋が目を丸くして言う。

「どっかの誰かのせいで解散したわ。遅かったじゃねえか、おい、そのは何なんだ」

「あんたらこそ真っ先に尻尾巻いて抜け駆けて行きやがっただろ。……ああ、分かるでしょ、色々あるんだから」

 都合よくとってもらったのか、「だろうよ」のひとことで深入りはされなかった。危ないところである。

「お前一人か?」

 白髪の一番が渋い顔で訊ね、

「魂だけ返しに来たってとこ」

 狼たちが溜息を吐いた。

「あんたがた知り合いか?」

 六花の兄上たちが戸惑っているので、クリネラが潤った喉で説明してやる。

「自分は魔王配下の悪魔、彼らは魔王の近衛兵ツートップ。俺と近衛兵の三番手が魔王の殺害に及んだが辛くも失敗し、俺は彼の遺言で許嫁殿に髪の毛一束持ってきたところだ。ついでに俺たちのせいで近衛兵隊の狼の皆さんも追われる身だと聞き及んでいますわ」

「ああ、俺たちは俺たちで一斉に裏切ったから今頃陛下もおかんむりだろうよ」

 六花が割って入る。

「あにさまの髪じゃ、あにさまはお舘様の仇をとろうとして」

 件の遺髪――になったもの――を渡す六花。

「それに写真も見せてもろうたが、絶対にあにさまじゃ、あの火に突っ込んだのが痕になっておった」

 受け取った銀髪の狼は目を細めて検分し、

「雪ので違いないだろう。どうやら、おふたりの話もほんとらしい」

 深く溜息を吐いた。


 廊下も何だから、と先ほどの客間で顔を突き合わせて話すことになった。六花の兄たちは彼女ほど癖の強い話し方はしないようだが、理由を問い質してみる雰囲気にはない。

「俺たちはあんたの言う通り、あんたがあのクソ強烈な魔法を放ったドサクサで逃げてから交代で走りっぱなしで来たもんだから、どうなったか知らねえんだ。駄目だったのは聞き及んでいるが」

 尋ねるのは一番――もう解散したのだったが――ウィリ・ネブカドネザル。

「そんなに意外な話は何一つないぜ。逆鱗に一発呉れて遣ったが」

「ほう」

「ユキのリボルバーの弾丸に俺が細工をしておいた。御覧頂いた爆発魔法と、竜殺しの魔法で、倒れてたからには効いていたと思う」

 男たちの溜飲が下がる空気を感じた。何十匹もかかって戦っていた竜に、タイマンとは言え、いやむしろひとりで逆鱗まで手を掛けたのだから、少しは慰めだろう。

「S&Wの五十口径の、あのごつい奴か」

「拳銃だから流石に致命傷にはならなんだ」

「しかし竜殺しの傷は簡単には治癒できんぞ、三日くらいは寝込むんじゃないか。逆鱗じゃあ他の臣下にも手出しさせないだろう」

 ウィリが座りなおす。「ということは」銀狼のひとり、蛍火に向かって、

「さっきの話はあと二日か三日だ、そこらで魔王本人がここを焼き払いに来る。その後は、また抗争に雪崩れ込むとみてる」

「荷物を纏める暇くらいはあるな」

 蛍火が苦笑した。

「しかしここがもぬけの殻になっていたら、それは火に油を注ぐってなもんじゃないかい。俺たちじゃあそう遠くへは逃げられんよ」

「魔王のこと、ここがダメなら麓を焼くし、そうなりゃあ」

 祢屋が首を鳴らす。

「そうなりゃあ、狼に限らず、獣人の若いのが黙っとらんわい」

「あんた方、戦争始めようってのか」

「始まるのさ」

 蛍火が腕組みをして考え込み、代わりに松葉が語りだす。

「それならわしらはここで魔王を迎え撃つべきだろう」

「兄上、死ぬ気か」

 六花が睨みつける。松葉は至って落ち着いていた。

「女子供に強要する気はない。しかし少なくとも、麓は巻き込んではならんだろ。何のために親父殿がここに残ると言ったかを思え」

 空気の重たさに、悪魔はひたすら熱い茶を啜っていた。周縁域の魔族はこれだから、と。魔界中央の魔族の美学は突き抜けているが、周縁域の種もそれぞれに美学を持っていて、特に人狼は半分人として社会に溶け込むを旨とする種だからなのか、魔族としては煮え切らないところがある。その点、ユキは硝子片のような危うい覚悟を持っていた。

「わざわざ負ける戦いを挑んで、男はみんな馬鹿じゃ」

 六花が舌打ちする。

「短足野郎、どうすんだお前は。こんなところでうかうかしていたら一緒に焼かれるぞ」

 祢屋が心配して(おそらくであるが)言う。

「ああ、この先は考えていなかったから。当てはない……」

 六花がクリネラの膝に手を重ねる。

「お主、馬鹿と一緒にあたら命を散らせることはないぞ」

 祢屋が妙な顔をする。驚いたような、吹き出しそうな口の曲げ方である。少し面白いので今はやめてほしい。

「お姫様ひいさま、そいつはやめといた方がいいぞ、ど変態だ」

「なんのことじゃ」

 前提条件おれのせいべつが錯綜してるな、と張本人が他人事で考えているうちに、蛍火が顔を上げる。

「松葉、お主の考えがやはりしっくり来る」

 六花が、兄上、と低く呟いたが、二人の兄たちの心は最早決まってしまったようだ。

 元近衛兵たちも苦い顔だが、決定に口を挟む心算はないらしい。

「より大きな争いが避け得ぬとしても、何らか収めどころがなければ、あの魔王は容赦ないだろう?」

「想像に難くないな。命を差し出したところで止まるとも限らない、が」

 ウィリの歯切れは悪く。近衛兵隊が逃げたことが状況をより進行させていると言っていいだろう。

「そうだな、優先順位の話で言えば、お宅方の次に近衛兵隊皆殺しじゃない?血眼んなって探してさ。それから、だろ、対獣人種抗争とかさあ」

 あとその前に俺、とぞんざいに付け加えて。

「事の発端はてめえなんだがなあ」

 祢屋が肩を竦める。

「うかうかしてりゃ焼き殺されるのは俺たちも同じか。どうするよ隊長。俺ァここで薪になっても構わねえと思ってるがよ」

「祢屋」

 ウィリがまじまじと彼を見つめる。

「俺があいつを止めなかったのがでかいだろ」

「何が止めなかったって、ユキさんの蹴り一発で沈んでたじゃねえの」

 瞳だけクリネラを向く――黙れ。

「魔族らしく小賢しく生きてきたが、魔族らしく己の欲求に正直になるとすると、俺も一矢報いてみたいんだわ」

 なあ、と流し目でにやりと口の端を吊り上げる。

「あのひとが二百年かけて穿った一矢だぞ」

真面まじになって。時にかけては同じだけ重ねてきたさ」

 六花が軽く頭を振って、やおら立ち上がった。

「失礼する。耐えきれん辛気臭さじゃ」

 捨て台詞に、誰も何も言わずに、彼女は出て行った。

 明かりの行燈を、猫が静かに調節する。蛍火が彼女に囁く。

「お六を」

 猫が頷き、音もたてずに後を追う。

「俺も行こうかな」

 祢屋が方眉を上げてクリネラを見る。眉を寄せて悪魔も睨み返す。

「悪いか。俺は彼女の客として来たんだ。もっと言えば、彼女に宅配した時点で用事は終わってる」

「お前は、関わりあう気があるか、これ以上に。あいつはもう死んだだろ」

 返す刀は鋭かった。彼と長い付き合いなだけはある。

「俺は、答えを求めているだけだから……影を追っているわけじゃない」

「そうかい。行けば」

 祢屋は目を閉じて、もう終わりだと言外に示した。失礼、と短く言い、席を立つ。足が痺れていた。

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