第14話 輝くレールを走り抜けろ

 中に入ると大小様々な四角が転がっているのが分かる。人の影はなく、四角も静かに落ちてくる、静寂な空間だ。そう言えば、そろそろ夜だと思っていたが、空が妙に明るい。

 魔女が足元の小石を大きな四角へ投げる。小石は音もなく白い地面へ落ちた。しばらく経っても小石はただの小石のようだった。

「近づいてすぐにどうのこうの、ではなさそう。ちょっといいニュースじゃないの」

「落ちてくるのもそんなに速くはなさそうだし」

 アルトも落ち着いている。

「あれを」

 魔女が指さす。町は奥へ向かうほど白い四角の山のようだが、そのただ中に煉瓦色が見えた。

「ドーム型の屋根に見える」

「この現象を免れているみたいね」

「あそこに行けば、何か分かるかもしれない?」

 彼女は頷き、

「もしくは大変なことになっちゃうかもね」

 既に大変なことになっちゃっているのだ。進むしかない。

 心なしか、ドーム屋根に近づくにつれ四角がより速く落ちてきているようだ。白い地面を避けながら進んでいたが、次第にその領域は狭くなり、気味悪い白に足を踏み入れざるを得なくなる。アリシアには関係がなかったが。

 この町の住民たちは白いものに潰されることなく、皆逃げてしまったのだろうか。人がいないことは確かなようだが、犬や猫、動くものは一切見当たらない。

「む」

 そのドーム屋根の周辺は既に真っ白だった。白い四角が積み上がり、また別の建物のようにも見える。その異常な空間のせいで煉瓦色が浮き上がるように、異質に感じられた。ドームの建物はよく見ると、今まで見てきたこの町の建物の中でも変わっているようだ。正面に重厚なドアが見える以外には、窓の一つも見当たらず、一面が壁土で塗り込められている。

「この角砂糖が降ってくるみたいなのも異常だが、この建物は輪をかけて異常って気がしないか」

「するわよ、この頑固さは興味深い」

 魔女は請け合い、建物のドアを開けようとするが、押しても引いても動かないようだ。

「やってみる」

 アルトには何か考えがあるのか、魔女を押しのけた。彼女も肩を竦めてあっさりと交代する。

 がたがた、と音はするがびくともせず、

「ほら、力の問題じゃないみたい。きっとどこかに仕掛けが」

 慎重なのか大胆なのか、外壁をぺたぺた触る魔女を無視して、アルトは何を思ったのか両手をドアの隙間にかけて――ずずっ、と重たそうにドアが

「引き戸だったぜ、お姉さん」

「頓智かよう」

 魔女は何やら不服そうだ。開いたのだからいいではないか。

 開いたのだから、とアルトは出来上がった隙間から建物の中へ入っていく。当然肩に乗るアリシアも一緒だ。

「本来自動制御で開閉するようになっていたようね、ということは無事なようでいても起動していないということ?いやそもそもこの施設ってウチ関係のような気がうーん」

 ドアの前で魔女が何やら首を捻っているが、アルトとアリシアはそれどころではない。建物の内部は予想を裏切る様子だったからだ。

 中は広々とした礼拝堂のように思われた。色とりどりのタイルが床面、壁面、天井に至るまで余すところなく敷き詰められている。タイルは幾何学模様を描いているが、時々人や動物の姿に見える模様もあった。外からは見えなかった筈なのに、小窓がいくつもあり、そこから明かりがとられているため中は明るい。明かりとりの窓には色硝子が嵌められているようで、床に落ちる光の色も窓ごとにとりとめもない、外とは真逆の色彩に溢れた空間だ。アリシアは素直に、綺麗だと思った。

「神殿か何か、か?何の理由があってここが無事なのか。理由はあるはずだな」

「むー」

 建物にはこの部屋しか無いようだった。家具なども置かれていない。

 部屋の中央に祭壇のようなものがある。祭壇自体は透き通った石で出来ていて、その上に光を放つ小さな何かが置いてあるようだ。

 アルトが祭壇に歩み寄ろうとしたとき、背後から耳を塞ぎたくなるような歪んだ音、そして金属を打ち付けあったような音がした。急いで振り返れば、ドアの前で魔女が『何か』と剣で鍔迫り合いになっている。

 ドアの隙間から見える『何か』はアリシアの知るうちでは、大理石の彫像に近かった。滑らかに動くそれは美しい人間の姿をしていたが、外の四角いものと同様に真っ白で生気を感じない。王女はぞっとしたが、勇者は怯むこともなく外へ駆け付け、勢いもそのままそれを体当たりで突き飛ばした。必死にしがみつくアリシアである。

 いかにも重そうな見た目であるが、彫像はあっけなく体勢を崩して地面へ倒れた。しかし、ぶつかったアルトの方も肩を押さえている。無理をしてしまったのかもしれない。

「むー」

 よくよく周囲を確認すると、彫像はそれひとつではない。気が付くと無数の彫像に取り囲まれているではないか。魔女は先ほどアルトが突き飛ばした彫像へ、素早く銀の剣を一振りすると、頭がすっぱり落ちた。その断面から真っ黒な血が噴き出す。返す剣で他の彫像の腹を割き、その眉間を刺した。

 歪んだ音の絶叫が聞こえてきた。これは、断末魔だったのだ。

「扉が開いたから寄ってきたんだわ」

「こいつらは」

「忌々しい死告天使どもやね」

 魔女は冗談めかして言った。天使の様子ではない。

「敵?何が目的なんだ」

「この中に何かあるのは確からしいね、私が抑えるから、君たちは中へ」

 飛びかかってきた敵の胸をひと突きして蹴り飛ばし、アルトをちらと見て、

「この通り――御せないこともない。さっきはどうもね。そんなに頭が回る奴らじゃなくってほっとしてるくらいよ。扉は重くて閉まらないでしょう、ここは開けてしまった責任ってことで行ってほしい」

 アルトは肯い、再び建物の中へ戻る。

「きっと、あの台の上にあるものだろ」

 祭壇は水盤になっていた。澄んだ水の中に光が沈んでいる。光が反射し、祭壇も輝いている。

「む」

 耳を澄ますと、光るものからは琴を爪弾くような音も漏れ出している。不思議だが、心が安らぐような、気持ちの良い音だ。

 アルトは水盤に手を入れ、それを掬い上げた。やっとどんなものであるのかが明らかになる。アルトの手のひらに転がるそれはビー玉くらいの大きさだ。丸い透明な珠の中で、炎が揺らめくように光が煌めく。

「むー」

 驚いて声を上げた。。子供だが、少年だろうか。十歳にも満たないようだ。黒い髪に黒い瞳、じっとこちらを見ている。麻のような衣を着ているが、汚れたところはない。いつからいたのだろう、初めから?

「お前は?」

 アルトも気が付いて、警戒した声で投げかける。

「僕はダイノナの魔術師の子供です。ここに隠れていました」

 取り乱した様子もなく淡々と答える少年。それがあまりの恐怖のためなのか、別の理由でなのかは分からない。

「他の人は、お前だけが隠れていたっていうのか」

「そうです。この場所は誰でも簡単に入れるようなところではないのです」

 少年は目を伏せて、祈りを捧げるように手を組んだ。

 その時、鈴の澄んだ軽やかな音響かせて天井が回った。部屋がどこからか差し込む暖かい色の光に満ちていく。

「これは一体、外はどうなって」

 ドアへ目を遣ると、隙間があった筈がぴったりと閉まっている。魔女はどうなってしまったのか。少年はぼんやりと光の中立っている。

「知らなかったのか、これは『船』あるいは『港』だ」

 少年が天を指さす。その先、ドームの頂点から新月の夜のような暗闇が四方八方に広がり、今まで立っていた鮮やかなタイルの神殿はかき消えていく。

 アリシアはふと思った――まさかまた世界を壊しているのではないか。

「お前、何者だ、何を知っている」

 さすがにこの様子では、彼が只者ではないとはっきりした。アルトが腰に下げていた剣に手を掛ける。

「僕は『フガドル』、『大いなる意思の遊戯』において『賭博者』」

 少年がアルトへ歩み寄る。その声音には少年らしさはなく、アリシアにもありありと魔性のものだと感じられた。

「君が『遊戯者』であれば。その炎は――」

 アルトが剣を抜く。ただの鉄の剣では今はことさら頼りなく感じるが、アルトは腐っても勇者の筈である。アリシアは信仰する天の星に祈った――もう存在しているのかも分からない――ふと、下の方が光り輝いていることに気付く。

 「むーむー」

 アリシアはアルトを小突いた。足元から光の道が伸びている。

「……分かった」

 アルトは踵を返し、その道の上を駆け出した。ようやく通じたようで助かった。

 暗闇の中を細い糸のように光の道が続いている、どこかへ導くように。いや、これが導きでなければ何なのか。

 駆けるうちに暗闇に変化があらわれる。花火が打ちあがるように光が遠くで開き、小さな星屑が散らばる。光が走り新たな道が作られ、闇は次第に賑やかな星空のように飾られていった。

「どの星へ向かう気だ?」

 少年が背後から追いかけているのだ、声からは少しも呼吸が乱れた様子がない。

「ほし?」

 足元の道は真っ直ぐ伸びている。アルトの息があがってきていた、上を向いて苦し気に息を吸う。

 アリシアは背後から滑るように追ってくる少年を睨みつけた。どんな顔になっているのかは知らないが。

 アリシアの声を聴くや、少年が目を見開き、後退した。その目は血走り、顔色も紙のように白い、まるで悪魔の形相だ。

「『混沌の諸侯』ともあろうが何ゆえに」

 その言葉には畏れがあった。

  

 周囲の暗闇から靄のような黒いものが湧き、少年を取り巻いた。少年は振り払うように腕を振るが靄が離れることはない。

 何を起こしたのだろうか、分からない。ただ、何かは確かに助けとなっている。

 アルトは転がるように走り、少年を引き離していく。

 何があったんだ、と言いたげな様子でちらりと見られたが、話しかける余裕もないようだ。伝える術も内容もないのだが。

 前方に大きな光の塊が見えている。あれに向かうのだろうか、でも、何のために。何があるというのか。導きのままにただ目的も見えずにどこへ。

「どこへ向かうの、アルト」

 光の中へ飛び込んだ、あまりに眩しくて、目を瞑る。潮の香りがした。

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