第11話 汝その名は

 側近たちが『魔女』と言って指しているのは種族名であり、魔女親衛隊長も性別は男だ。何らかの呪われた術法で冥府魔道に堕ちた人間を魔女とか魔法使いとか呼んでいる。(それは『魔法が使える人間』なのでは、と側近ガゼルロッサは思うのだが、未だ解明されない何かの線引きによって人間と魔族は分かたれているのだった。研究の進展が俟たれる)彼らの中では女性が代表となることが多いようで、確かに親衛隊長は少し特殊なのかもしれないが、特別とまでは言い難い。在野の人狼たちとの関係が微妙な近衛兵隊と比べれば、親衛隊は『魔女の谷』と友好的に関係を築いているらしい。

 比較的最近に親衛隊長が交代したのだが、側近は元々彼とはあまり面識がなく、向こうも側近には興味がないのか、何となく互いを認識しているくらいでよくは知らないといったところだ。ただ、さすがに名前も知らないのはいかがか、と今更思ったのである。魔族同士が名前を忘れるのも教えないのも訊かないのもよくある話なので、知らず険悪になっている訳ではないだろうが。

 魔女親衛隊長は『ものみの塔』で他の親衛隊員と話し合っているようだった。頭ひとつ飛び抜けた紫の髪の後頭部を眺めつつ、この忙しい折にわざわざ挨拶というのもいいか、と側近が踵を返そうとしたところで、親衛隊長の方から声を掛けてきた。褐色の肌をした魔女の青年はほっそりとした形の良い手を差し出し、

「どうも。貴方とはきちんと挨拶をしていなかった筈ですね。魔女親衛隊の隊長をやっているマイドロガノムン・メズブラディアモです」

「よろしく、魔王直属相談役のガゼルロッサ・バーントシェンナだ」

 その手を握り返す。思わず普段言わない肩書を付けてしまった。相手の名前が長すぎて自己紹介で張り合ってしまったのだ。自己紹介でマウントをとるのに必死で、相手の名前が覚えられない。ガゼルロッサもなかなか長い名前だが、長い上に言い間違えが多そうな名前のようだ。名刺とか持っていないだろうか、持っていたらいたで、自分は持っていないのが気まずい。作ることにしよう。

「親衛隊長どの、こんな状況であなたも経験が浅いようだから苦慮されているのではないかと思ってな。余計に邪魔をしたようだが」

 肩書きで呼ぶことによって回避する。自分の賢さに涙が出てくる。

 青年はにこやかに応えた。

「いえ、このマイドロガノムン・メズブラディアモは気にしていませんよ、ガゼルロッサ殿」

 まさか。ガゼルロッサは何となく嫌な予感がした。

「そう言ってもらえれば。何分、狼が幅を利かせていた間、あなた方には肩身の狭い思いをさせた……」

「ふふ、他人が気に病むことではありますまい。単純に直属兵シェア争いに負けたというだけで、魔女種はここでの待遇に満足しています。例えばこのマイドロガノムン・メズブラディアモも隊長職と研究職を兼務していますが、フレキシブル・タイムで勤務できるのは大きいですね……」

 ――こいつ……一人称が自分の名前だ……――

 恐るべき滑舌の良さ(自分の名前なのだから当たり前かもしれないが)は側近の心胆を寒からしめた。

「ただ管理職が過重労働ではないかというのがこのマイドロガノムン・メズブラディアモの懸念するところです。魔王配下として勤務する者ですから皆優秀であるがためにそうなりがちなのでしょうが、魔族の性質から鑑みても不本意に残業せざるを得ないという状況は強いストレスに……」

「親衛隊長どの、油を売って大丈夫か」

 もうしばらく話を聞いていれば彼の名前を覚えられる気がするのだが、何分互いにより重要な仕事を抱えている筈であるし、その証拠に親衛隊員の視線が突き刺すようである。

「ああ、お気遣い痛み入ります。いや、このマイドロガノムン・メズブラディアモこそ気付かずに失礼しました。ガゼルロッサ殿こそ案件が多そうですから」

「お互い様だな。狼どもも精鋭集団、どう対処されるのかと気にして来てみたが、出過ぎた真似のようだ」

「心配されるのも理解します。『魔法が効きにくい』種族相手に魔女の集団が、どう切り込むのかと。しかし、それこそ自明の弱点ですから。魔法以外の手段の研究を怠りはしていません」やはり肉弾戦主体魔女という意味不明な存在もいるのか。

「本当に。では失礼しよう、また落ち着いた頃にでも……そうだ、魔王さまの私室控えの間はまだ空であったりしないだろうな」

「……魔王軍に相談中ですが、思ったよりも返事が遅いようで。丁度他に充てていた人員を調整して遣わすように検討していたのですよ」

 かもしれない。

「焦らずとも良いだろう。玉座の間には既に番を付けているのだし、親衛隊には狼の方に専念してもらいたい。俺が丁度、様子見に行こうと思っていたところだから、しばらく番をしよう。魔王軍とは話をつけておく。では」

 本当に親衛隊には狼の処理を頑張ってもらわねば困る。このマイドロガノムン・メズブラディアモ(覚えた)は美形だし几帳面で頭が良さそうだとは思うが、少し集中してもらった方がいいだろう。隊員の恨みを買う前に強引に退散することにした。

「ふふ……ガゼルロッサ・バーントシェンナ。貴方とはまたいずれ……」

 背を向けたその後ろから聞かせるように不穏な呟きが聞こえてきたが、酔わせておこう。礼儀だ。去り際、親衛隊員が隊長の頭を叩いているのが見えた。突っ込みだろう。


 さすがに魔王も既に眠りに落ちている頃と思い、様子を見にまた魔王の私室へ向かう。宰相から様子見を命じられたのだから行って悪いことはない筈だ。広い城内を行ったり来たりは骨が折れるが、魔王の私室や執務室への経路についてはありとあらゆるショートカットを極め尽くしている自負がある。はっきり言って、魔王の寝首に最も近いのはこのガゼルロッサ・バーントシェンナである。少し真似をした。

 隠し階段や窓から外に出るなどのテクニックを駆使し手早くその部屋へ。今、控えの間には誰もいない。そもそも強力無比の竜である魔王に護衛が必要なのか、ということなのだが。ガゼルロッサからも蝙蝠を使って魔王軍へ要請を出しておく。何しろ魔王の私室の番、誰を配置するかはデリケートな問題だ、魔王軍もそう簡単には決められまいが。側近が当分は番をするというのだから文句は言わせない。こんな時は無害そうな言動を取っている自分で良かったと思う。

 寝室よりも更に奥の大扉、生体認証による魔法錠がなされている。そもそも魔王の私室自体に限られた者しか入れぬよう魔法錠が施されているが、普段は魔王が面倒がって実際かけていなかったりする、が、今ばかりは別だ。側近が黒扉に金で象嵌された図象をなぞるとすんなり扉は開いた。

 魔王城の中でも最上階、最奥の部屋であるここは『竜の巣』であり、竜である魔王が寝るためだけの部屋である。用途が用途であるため玉座の大広間くらいの広さはある。その広大な部屋いっぱいに金銀財貨が敷き詰められ、積み上げられている。あまり寝心地は良さそうではないが、魔王の布団だ。埋もれるように竜はその山の中で丸くなり、寝入っている。

 ガゼルロッサは宝物の布団を崩さぬよう、飛んで竜の頭に近寄る。狼が遠慮なくつけていった引っ掻き傷の大部分は既に瘡蓋になっているが、首元の傷は深く、白色の鱗を割いて生々しい肉の赤を覗かせている。逆鱗も隠しているが、似たような様子だろうことが察せられる。見ているだけで息が詰まるようで、また怒りが煮え立つのだが、その場に居た自分の不甲斐なさのせいだと一旦は飲み込む。

 そっと鼻先を撫でながら、「あなたさまに傷が付くのはわたくしの恥なんですよ」少し非難めかせてひとりごちる。時々、眠っているようで聞かれているが、もはや聞かせているのだ。その有り余る自信と余裕に満ち満ちた態度と圧倒的な破壊力がガゼルロッサの心を掴んでやまないのは事実だが、その驕慢でちっぽけな吸血鬼の胸と玉座の間を潰すのは少しだけ控えてくれたらと思う。つるりと冷たい鱗の手触りにほくそ笑む。

 そのままあちこちを触りたい衝動に駆られながら、魔王本竜においたをするのは命の投げうちどころを間違えていると理性が言い聞かせ、前々から気になっていた漆黒の艶めかしい角を撫でておくまでに留めた、全然触らせてもらえないのだ。

 「また来ます」と囁いて部屋を出る。ここからが本番だ、魔王の私室を探り放題なのだから。「ぐふふ」悪い感じの笑みが零れる。我ながら美青年が台無しである。

 決して目的無く不埒な行動に走っているわけではない。多少マットレスとベッドの隙間などに寄り道をしたが、本筋を忘れてはいないのだ。

 あらかたの引き出しを開け、机の下の空間に丸まり、棚という棚を眺め渡したところで、何となしに気になった本を手に取る。『リーパーでもわかる!ひも』何となく異質な何かを感じたのだ。開いたならば果たして、ビンゴである。手紙が挟まっている。

「魔王さまが本に手紙を挟みっぱなしで棚に戻すわけがないだろ、そしてそんなクサい手紙ならば間違いなく」

 大き目の長い独り言を垂れながら手紙を確認する。その通り間違いなく、

「嫁からですね」

 それを探してはいたのだが、思わず溜息が漏れる。

 魔王に子供がいるという噂を聞き及び、本竜に訊いてみたならば「いるのかもしれない」などとある意味最悪の答えをもらってから、ガゼルロッサ最大の懸念はその子となった。その答え方では九割方『いる』のだ。

 子供がいてショックとかいう話ではない。ちょっとはショックだ。認知されていなかった子供が次期魔王に名乗りを挙げたらどうしてくれるのか。魔王は世襲制でもなんでもないが、魔界にはとにかく他人を出し抜こうとする悪党が多すぎる、そんな存在がいたら担がれて魔王指名の候補者と争いあう羽目になるのが目に見えている。どうせ魔界なので争い自体はあるだろうが、竜種は何と言っても強いし、魔王の子供を相手に戦いたくないのだ。四天王の座とか好待遇でヘッドハンティングするので、どうか魔王選立候補は食い止めさせていただきたい。

 しかもどこの誰なのかも検討がつかないのでは、噂がある以上今度は魔王の子を僭称する輩が出てきてもおかしくはない。そんなわけで、魔王からはひどく嫌がるので聞き出せない以上、手がかりを家探しするしかないと思っていたところであった。

 さすがに魔王がいないのに私室に入り浸っては(鍵がかかっていなかろうと)不審者として控えの間の近衛兵に摘まみ出されると、なかなか手が付けられずやきもきしていたのだ。この時しかない程度に条件が整っている。気持ち悪い笑い方をしてしまうのも無理はない。

 文面はこのような感じだ――拝啓 白竜さま――

『低く垂れさがる暗黒雲が苛烈な夏の始まりを告げるこの頃、あなたさまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。風の噂に名前を聞き、こうして筆を執っております。私の前から姿を消したわけは理解したところですが、お会いできないにしてもこれだけはお伝えすべきでしょう。卵を産みました。先週、殻を破って男の子が出てきたところです。まだクリーム色の薄皮に包まれていますが、多分白鱗だろうと思います。末筆ながらご武運をお祈り申し上げます。かしこ』

「嗚呼。いるわあ」

 この簡潔さがなんとも魔王の女らしいさっぱりとした後味を遺してくれる。

「魔王さま養育費とか送ってるのかな」

 短い手紙ではあるがそれなりに収穫はあった。時候の挨拶にある暗黒雲降下現象が見られるのは魔界でも南西地方、おそらく中心部から離れた田舎。白鱗の竜は希少種だ、その辺に白竜がいたらほぼほぼ魔王のご落胤である。内容が本物であれば。

「養育費詐欺かも……連絡先もなし、個人情報ほぼなし。どうかなあ」

 もう一つ気になることがある、紙質が思っていたよりも新しいのだ。というのはこの手紙、古いは古いが五百年も経っているように見えない。何となく二百年から三百年前が妥当か、確かにそれならば魔王が先代に仕えて下剋上した頃合いだが、ガゼルロッサは計算する。魔王の年齢が千二百歳ほど。

 思ったよりも歳いってからの子供だな?

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