第10話 合の時は近く

 これはもう諦めて逃げるしかない。自分も。

 ガゼルロッサとアルメニは顔を見合わせて、無言で首を振りあった。他にも『側近』ポジションの妖魔が集まって円を描き無言で首を振った。ただの広間と化した玉座の間である。無骨に過ぎる空席の玉座を囲むように面々は集い、その黒い椅子の正面に立つのは宰相ルキフグス。彼は眼鏡の奥のぎょろりとした目を回して威圧しながら言う。

「もうダメだ、なんて思っていないでしょうね。皆さん。まあ、ダメなんですがね。どうケジメつけるのかってことなんですよ。まず誰が、狼どもが逃げた責任を持ってるかってことです」

 紳士然とした態度だが、その落ち着きがむしろ恐ろしい。ルキフグスは一応宰相だが、より高次の存在となって今だ魔界を統べる者である帝王をはじめとする魔界の諸侯の臣下である。本社から出向してきたひとなのだ。命じられてというよりは、富とかいう俗っぽいものの管理は最早趣味なので物質界に好んで留まっている、ということらしいのだが。ともあれ、財の管理が担当ではあるが、このように魔王が機能していないときには彼を通すことにしている。

「私だろうな」

 あっさり言ったのは牛頭のベイガッタ。魔王軍の将軍だ。

「監視に就かせていたのは軍のもの。いの一番にその監視、城内外警備のもの、直接はそういうことだ」

「そういうことでしょうね。アナタ部下の処分決めて魔王サマに報告して。ワタシはアナタについて減俸処分を進言するつもりです。それであの竜の腹が収まるかどうかは、アナタがた、それから親衛隊の仕事次第ですがね」

 魔女親衛隊長は眼鏡の位置を直し、

「先に逃走した近衛兵隊たちを含めて追跡中です。近衛兵隊の持っていた案件は我々が引き継ぎますが、しばらくは手が回らないでしょう。魔王軍にも協力を要請するでしょうが、ベイガッタ殿はよろしいですか」

「魔王軍としては要請に応える用意あり。狼については親衛隊の判断にお任せする」

 狼が魔法の効きにくい種族であることを考えると魔女親衛隊では無謀のように思われるが。ガゼルロッサはあまり見たことが無いけれども、近衛兵に狙撃手がいるように(狼と関係ないのでは?)近接格闘の巧みな魔女も親衛隊は擁しているということである(魔女である意味は?)。

「ガゼルロッサ、魔王の調子は」ルキフグスにぎょろりと目を向けられ、

「逆鱗の傷が深い。ご自身で癒されるのですが、前日もあり消耗が大きいようでしたから三日はお休みになるかと」

「妥当だね。お前、様子を見に行きなさい、余計に寝ているようだったら叩き起こしにね。お前が一番怒られずに済むだろう」

 買い被られているが寝起きの魔王は厄介だ。それに、そういうことは一般的に侍従にさせるのではないだろうか。いや今まで侍従の仕事だった筈なのだが、このおっさんは何故またウィンクなどするのだろう。宰相のそれは全く便宜ではない。

「七番はまだ生きているのだったね。八番と三日後まで死なせないようにしましょう」

 即刻命を取るのではないが、死ぬより辛い責めの手段が充実しているのが魔界である。ここで死なせては相手の戦意を高揚させてしまう可能性があり、生きて晒される拷問は抑止になるかもしれないのと、魔王のストレス発散になる。一石二鳥だ。

「あとは、客人だね。侍従長にお任せするよ。ガゼルロッサとアルメニには、してしまった貴族サマの後処理を頼みたいね。ワタシは今回の被害額の算出と予算の修正で忙しくする。ガゼルロッサも手伝いなさいよ」

「宰相閣下、わたくしへの要請が何となく多い気がしますが」

「魔王だってお前に雑務全般全部投げているでしょう。普段と変わりないですよ」

 酷い扱いの上理由にもなっていない、魔界の黒さが身に染みる。文句はまず、この混沌とした組織体制か。どうして魔王直属の配下で相談役の自分が魔王のモーニングコールを財務大臣から命じられているのだ、やるが。そもそもルキフグスが財政職をガゼルロッサに引き継ぐつもりなのは薄々承知だが、ふわふわした相談役の仕事もそのままさせられそうな気がしているのだ。しかし仕事はしたくないが魔王の執務室で魔王に張り付いていられるという最大のメリットを手放したくないガゼルロッサ自身の問題でもある。難しい問題だ。

「仕事したくねえ……」

「ガゼルロッサ。お前また考えてることがそのまま口に出ているぞ、口を縫い付けるかね」

 最悪のタイミングだ。こんなこともある。

「まあ、親衛隊は時間が惜しいでしょうし、一旦解散ですね。ガゼルロッサ一緒に来なさい」

「スカート捲った小学生かよ」「ガゼルロッサ」「いいえこれは考えたことがそのまま出たのではなく言おうとして言いましたぁ」「小学生なんですか本当に」

 宰相は先生みたいな口調というだけで先生ではない。自分に『お前』呼ばわりするのも、若いので舐められているだけである。気にしない。

 ガゼルロッサとルキフグスは広間奥の階段へ向かう。暗い上にそれ自体が黒い石で作られている地味な嫌がらせめいた階段は魔王の私室へ向かう何の変哲もない登り階段で、これといって仕掛けや隠し通路はない。せっかくなので罠のひとつでも仕掛けてみたいガゼルロッサである。

「校長室呼び出しですか」

「お前のでかすぎる独り言の話は終わりですよ」

 魔界の宰相はそこまでに暇ではない。

 単純に近くて他の者がいない場所を選んだのだろう。ふたりは控えの間に入り、用意の椅子に腰かける。

「お茶を淹れましょうか」

「結構です。お前が水晶を渡されたということでの話ですがね」

 話し出す宰相の手には紅茶があった。ティーカップ(ソーサー付き)は白地に赤でシジルが描かれているらしい。

「彼がちょっと失敗しているのですよ。何と言いますか、世代交代でしょうね」

「魔王配下のってことで」

 No.3が裏切る近衛兵といい、しょうもない側近(自分のことだ)といい、心当たりはある。

「竜種が長命で、治世も長くなってしまって。即位当時の側近たちは隠居したり死んだりで、あと、あのひと友達少ないですしね」

 宰相にも少なそうだ。

「情勢が安定してきてからですか、百年くらいかけて側近候補を育てておきましょうと、それが失敗しているんですがね。その頃掻っ攫ってきたのがお前ですね。それとアルメニですか」

「その言い方ですと俺の育て方に失敗したって言いたげですな」

「その意図はありませんが失敗しましたね。誰が主君に欲情しろと言った」

 生憎だが育てられて性的志向を決めたのではない。宰相はビスケットを(彼はいつも袋を持ち歩いているが、中は嗜好品から宝飾品まで雑多に詰め込まれている。驚いたことには、そういう魔法の袋ではなくただの袋である。混沌だ)齧りながら、

「お前とアルメニと足して二で割ったら丁度良かったのに――そこで本題です」

 そして紅茶を一口。喉を潤したのだろう。

「ふたりで魔王直属部隊を組織しなさい。魔王軍と親衛隊に負けないヤツですよ」

「無理でしょ」

 ガゼルロッサは頭を抱えた。また、大それた要請を文官の自分に振ってきた。それに、アルメニ主導の部隊なんぞ作ってみたところで、今日と同じことが起きるだけではないか。

「お前がちゃんと手綱を握れば、忠誠心はさておき忠実な部隊にはできるでしょう?お前はできる子ですよ?」

「ムカつくおだて方はお止めいただきたい宰相閣下」

 苛立ちを隠さず、宰相はと言えば特に気に留めもしていない。

「なぜまた直属部隊なんて話に。今やっと一組減ってくれたところではないですか」

「そうなんですよね、内部の派閥争いなんてしている場合じゃあなくなるとは思うのですよね。」

 彼の話し方は話している内容とは裏腹に悠長なものだ。

「外部からの問題が今に起こると言っている」

「起こるのかもしれませんし、起こさないといけなくなるのかもしれませんし。その時すぐ動いていただきたいのですが、今の魔王軍はどうも魔王と性格が合わないみたいですから、もう少しコンパクトでノリがいい、できれば信用できる者を選抜しておいてほしいなあと。せっかく一組減ったところですからね」

 もう少し説得力のある動機の言い方があるだろうとガゼルロッサも呆れるのだが、一方で性格が魔王とやっていくにあたって重要なウェイトを占めているのもよく分かる(具体例は自分だ)。魔女親衛隊も悪いとは言わないが、構成員の種族が限られているのは今時よろしくないとはっきりしたところである。

「アルメニとも良好な関係でありつつ一歩引いたような。そういう集団があれば、後々も便利ですから」

 もう集める前提で話を進めようとしている。宰相(本部からの出向)の提案ということはほとんど命令なのか。

 ガゼルロッサは髪を掻き上げ唸り声で渋々了承した。どう答えても了承と受け取られるのだ。

「その子たちがゆくゆくはアルメニの側近ですよ。」

 空になったティーカップに、またいつの間にか紅茶が満たされている。

「その心算なのでしょう、お前は」

 一瞬罠を疑い、リスクを考え、「そうです」軽く答えた。

「なぜアルメニを?」

「さあ、魔王さまがそうしてほしいように、何となく思われたものですから」

 その言葉を聞き、宰相は爆笑した。

「あはあは、お前は期待を裏切るか裏切らないか一方にしなさいよ。何を話せばいいのか分からないではないですか」

「察しがいいようで何も察していなくて悪かったですね」

「良いですよ。お前は隠し事はやりませんからね」

 優しく言っていただいて恐縮である。そのまま自分のために買い被っていていただきたい。

「では、まだワタシからはお伝えすることはない、ということで。ただお前、覚悟決めておくのですよ。合の時が近いと言っても、門の鍵がいつ顕れるかなんて分かりませんから。ワタシやお前、魔王が用意していること全て、この一瞬後にも無駄となるかもしれない。そういう時にお前の諦めの良さを見せてほしいものです」

 何を言っているか分からない。いきなり意味深な言葉を並べてそれっぽさを演出しているようにしか聞こえてこない。『』なんて漢字を使ってるあたりが如何にもそうだ。悪魔なんてこんな奴ばっかりだからマジに受け取るかあほくさ話終わりかよスッカスカな午後のひと時を過ごしに来たんじゃないぞ。

 ガゼルロッサは神妙に頷いた。深淵な空気作りである。

 ――後で魔王さまに訊けばいいしね――

「話終わりなら俺もう行きます」

「またお前は理解を放棄したね?」

 ビスケットの二枚目を食べ出す宰相を後目に立ち上がり、階段を下る。

「忙しいので。色々としないといけないみたいですから。誰のせいかは存じませんがね」

 後ろからの「やれやれ」を聞きながら、踏み落とさないように注意深く階段を降り、

「側近殿お、終わった?貴族の確認したいんだけど来賓のリストって」

 大広間で炭の彫刻を検分しているアルメニに呼び止められる。

「自分でするこたないだろ、側近の悪魔が」

「ふうん。珍しいことを言う」

 意外そうに。

「もう少し大事な用事ができたらしい、俺とお前に」

「あんたとはイヤかなあ」

 悪魔との挨拶のようなものである。クスリと笑って女悪魔が寄ってくる。

「どこの誰が誰が骨も残さずぶっ飛んだのか、ってくらいなら俺の部下にやらせる」

 ぱきん、と指を鳴らすと、赤い霧と共に配下が二匹現れる。

「部下の赤き大蝙蝠、サイモンとガーファンクル」

 アルメニにお辞儀をする二匹。アルメニは何か堪えるように俯いている。

「もっと……もっと何か無かったの」

「じゃあ任せるぞ、お前たち。アルメニはちょっと」

 そうして魔王直属部隊のことを携帯(魔力を用いた通信特化魔法具。人間が『携帯』を使っているのを見て「あっ、それいいな」と模倣して作られたことに由来)に打ち出して伝える。アルメニは水晶端末から放たれる光をじい、と見つめて、

「楽しくなりそうじゃん」

 にたりと笑った。

「でも閣下があんたに話を持ってきたのが癪だわ」

「俺がバカだからに決まってんだろ」

 そしてアルメニはバカでないので、

「何企んでるんだか」

 じとり、と睨まれる。

 まだ「お前を魔王にしたいので」などとは言えない。言ったとしても(ガゼルロッサではあるまいし)まともに受け取るかどうか。

「それでも乗るだろう?」

 ガゼルロッサはそれでも変化、乱雑、混沌を好む悪魔のことであるからすんなり承諾するだろうと踏んでいた。どうせアルメニのことだから、既に自分の駒を集めているのだろうし。

「あたしの都合がイイ奴を集めて構わないんでしょ」

「お前が使いやすいって言うなら優先する」

「おや、正気なの側近殿。あたしの友達なんてしょーもないのばっかりだけど?」

馬鹿野郎ばっかやろ、俺だってそいつ等と魔王さまが末永くよろしくどうぞって心算じゃないわい」

 皮肉っぽく笑ってみせ、例の携帯に打ち込む。

『近衛兵隊が抜けた隙間に捻じ込んでそのまま最大勢力になるだけの勢いと圧倒的な力、ついでに魔王配下としてのポジション取りなんぞに収まらない野心ある馬鹿であれば尚良し』

「手綱は俺に握らせろ」

 アルメニは文面とガゼルロッサの顔を見比べて、少し訝し気に眉を顰めた後、

「やれるもんならやってみろよ」

 ガゼルロッサの胸元を軽く小突いた。

「分かった。お悔やみの手紙はあんたに任せるから、あたし狼女をちょっとシメに行こうと思ってる」

「了解だ」

 広間を出てアルメニと別れ、自室にお悔やみの手紙を書きに行きはしない。蝙蝠に書いてもらう。

 魔女親衛隊を挨拶もなしに潰すのはどうかな、と思ったのである。

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