第9話 潮目

 クリネラ・クリムゾン・スプラウトはこと切れていた。森の地面に倒れ伏し、口に入った草を食べて吐き出した。

「塩ラーメンから飯食ってないしな」

 食事だけでなく、なりふり構わず使った魔法によって魔力が枯渇している。せっせと集めた魂は使ってしまったし、持っているもので役に立ちそうなのはコルトガバメント。

「こんなわけの分からないところで寝るのか。熊とかいるのかな。クロスはこういう……足跡とか……見つけるの……」

 頭からさっと血が抜け去ったような、眩暈のような、魔力抜けの頭が次第に動かなくなってくる。

「なんで独り言で……俺は消耗をして……馬鹿か」

 身体が振動を感じる。足音だ。何かが勢いよく駆けてくるのだ。クリネラは身を固くした。死んだふりをしよう。

 悪魔は目を閉じて(眠たいのだ)、地を伝い響く音を聴く。近付く足音は、違いない、四つ足の獣の足音。いや違うのかもしれないが、よく似ているといえば似ている狼の――

 クリネラは目を開けた。目の前の獣と目が合う。

「狼ばっかりだな」

「死んだふりかあ」

 茶色の狼は鼻先でクリネラを転がした。

「動けないの?今から死ぬところ?」

「お前は、あ、十六」

「おおう、そうだよ。ツォンルウ

 変な名前だ。クリネラは転がされながら漢字キャラクターを当てる。近衛兵隊の狼が名前を教えてくれるのは珍しい。近衛兵がこんなところをうろついているということは、さしずめ、自分を探しに来たのだろう。

MP切れマジックポイントのこりイチだよ。腹も減った。お前は俺を探しに来たってところだろ」

「いやあ、おっさんに構ってる暇はないんだな」

 ――おっさん。おっさんではない筈だ、ユキさんくらいからがおっさんの筈だ。魔界のキャリアで言えばスーパーぴちぴちの若造だぞ。――

「喋らないところをみると本当に力尽きてしまってるようだね。実を言うと、近衛兵隊は解散した。今は僕も追われている。だからおっさんを転がしてる暇はないんだよ。このとおり、あんたが必死こいて逃げてきた道のりも、狼程度が必死こいて半日ほど走れば、追いつくからね」

 ならばどうして延々と転がされているのか。悪魔もさすがに勘付いてきた。どこかへ運ばれているのだ。

「よく逃げてきたね」

 思い出した。この狼、魔王の護衛で八番とわいわい言いながら蔓に捕まっていた奴ではないか。開いた口に森の土が入ってくる。

「まあ。三番は、死んじゃったの」

「まあ。そう、死んだ」

 クロスだったら、と夢想する。俺を運ぶときは首根っこ咥えて持って行ってたぞ。荒っぽくひっくり返されて気分は最悪である。

「八番がさあ、無茶苦茶暴れてさあ。あの暴れっぷりは三番に勝ったね」

「緋良?」

「七番は置いて行かないといけなかったけど、他は結構……確認できないけど……逃げたんじゃない」

 その口振り。「緋良は」「今頃は多分もう」生き急いだか。

 嗚呼、吐くものがないだけで吐きそうだ。土が不味い。土を吐くために口を開ければ土が入る。

「加減した甲斐があったな」

「やっぱりそんなところだと思ったよ短足野郎」

 回転速度が上がる。

「あんたが本気出して三番を支援してたら……」

「お前らこそしゃんと命賭けんかい」

 鐘がふふんと鼻を鳴らす。

「もう賭けてるよ。北の山、行くんだろ。女々しく」

 ――雄々しく行って大往生を遂げるのだ、この餓鬼。―――それで、もうこんな無駄な会話では口は開かない。

あそこは今に火の山になるよ。銀狼の生き残りも魔王が根絶やしにするだろうからね。一番二番が知らせに駆けてるけど、あんたがふるぱわーで飛んでいけばさぞかし早く着くだろうなあ」

 どん、と仕上げに突き落とされたのは沼の中のようだった。そんな殺され方があるだろうか、一体自分はどれほどの恨みを買っているのだろうか。心当たりは潤沢にあり驚くことはないが。

 不味い。口の中いっぱいに不味いものが広がる。地下水路の溝臭さには負けるが、ひどく苦くかつえぐみがあり、緑に濁っていることもあって、まるで草を磨り潰したかのような。そして何となく健康になれそうな気分になる。不味い、もう一杯。

「緑効青汁!」

「おおう、自力で上がってきたね。素晴らしい薬効だ」

 緑を滴らせながら辺りを見渡せば意外性もなく緑の沼だった。魔界の森の緑の沼が、まさか毒ではなく回復ポイントだったとは。期待外れである。そういうことも時々はあるのが魔界だ、地獄ではないのだから。

「こんなスポットに長居してちゃ、捕まるのは時間の問題だけど。だから僕は行くけど、竜って活動したら二、三日寝るってさ。豆知識ね」

 少年狼が下手なウインクをする。人狼だからウインクができるのか。

「腹減ったなあ」

「礼もなしに何だね君は、不躾な。おらっ」

 ぶつぶつと文句を言いながらどこからか何かを咥えて、クリネラに投げて寄越した。ツンデレか、と受け取ったのは、ビーフジャーキー。

「犬だからなのか?」

「文句があるなら返してよ」

 文句のつけようもない。「俺もね、好きだよ。これは」ひと齧り。

 その濃縮された肉感と噛むほどに溢れる肉の旨味、絶妙な辛さが青汁とのマリアージュを奏でる。不味い。

 ジャーキーを噛みながら意味は特にないがウインクをすると、鐘はくるりと背を向け駆け出して行った。あっさりしたものだ。

「しかし、北の山って大雑把な地名だよな。行きゃあ分かるようであればいいが」

 この百年は魔王の治世も安定しており、魔界で大きな争いはなかった。クリネラも魔王城と人間世界の行き来が多く、広大な魔界の周縁域まで観光するような余裕なく過ごしていたのである。人間世界も数多くあるが、魔界のように奇天烈で趣味の悪い風景はあまり見たことがない。あるとすれば、それは侵略を仕掛ける仲魔の仕業だ。

 魔界の情勢が安定すると、力ある魔族は人間世界へ積極的に進出するようになった。人間の魂や肉体は魔界では重要なリソースなのだ。その侵略にはガス抜きの効果もあった、が、十年は前だったか、魔王は人間世界への渡航を許可制と改め、魔界の領主が持っていた侵略権を制限した。これは魔王主導で計画的な侵略を進める腹積もりだと、好意的にみる魔族もいたが、好意的な魔族なんて字面がそもそも、美しいドブネズミみたいなものだ。加えて、現魔王が即位した当時の主要な配下は既に前線を退いている。

 図らずもこれが潮目となるだろう。

「それとも、謀ったのか?」

 それはとても悪魔的だ――俺みたいに――

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