英雄譚の始まりは争いの調べ
第7話 嘘吐き、卑怯者、裏切り者
「混沌の奔流をもろに食らって動くものとは思わなかったのだ。ヤキが回ったか。もうあれは身体やら魔力やらの話ではないからな、余程意志が強固だったとみえる」
しかしあんな姿では生きているまいな、と側近は思うのだが、問題はクリネラの方だ。豪速で飛び去り逃がしてしまった。悪魔と魔女親衛隊で追わせたのだが、文字通りの死に物狂いということだろう、突き放されてしまい足取りは掴めていない。魔力は枯れ尽きていそうではあるが、生きている限り最高のパフォーマンスで動きまくる辺りが本当にお似合いだった。
「さすがにあれは始末しないと示しがつかないですよ、魔王さま」
「お前らが揃いも揃って不甲斐ないからな」
「ふええ」
魔王だって犬一匹に手こずっているのだからあんまりな言いようだ。
「冗談だ」
手を振って、しかし無表情な魔王である。
魔王は寝台の上で横になっている。自分は大丈夫だと言い張るのを、側近が無理やり運んできた次第。魔王の私室、全調度品が真っ黒の落ち着く空間――少なくとも真っ黒焦げの王座の間よりも。竜はとにかく燃費が悪い生き物なのだ。傷のことを差し引いても、側近さえ初めてお目にかかったカオスブレスまで吐き出して大盤振る舞いだったのだから、おそらく一日二日は寝こけているだろう。寝る前にその二日分くらいの栄養も摂ってもらわねばならないし、諸々の許可も貰っておかなければならない。側近はこれからのことを思うと頭が痛くてたまらない。
「こんなに
「
あのルビーのきざはし!誰かが核爆発なんぞ景気よく放ったお陰で(そして誰かが混沌を景気よく解放したお陰で)、魔界で一番豪奢で醜悪で壮麗であるべき玉座の間がちょっと醜悪な座り心地の悪い椅子があるだけの広間になってしまった。もちろん修繕しなければならず、それは些細な額でもないのだが、仰せの通り相対的に些事である。側近は魔王の顎をとり、
「大事です。麗しいお躰にこんなに傷を遺してしまっているのですから」
顎の下が腫れている。かりそめの身体でもこうなるのでは、やはりあの弾丸はすぐに取り出して正解だった。傷口を拡げたかもしれないが最善だったと信じたい。
「なら、お前もだろう」
「いいえ、この通りぴんぴんけろりとしておりますゆえ。お気遣い痛み入ります」
「指、止まっていないぞ」
言われて慌てて手を放す。魔王の顎元に赤い痕が、側近の血である。指を噛み切った痕が塞がっていない。吸血鬼の再生能力からすればおかしなことであり、眺めた手は蝋のように白い。
「お前が思っている以上に魔力が枯渇しておるのだ。どうも頭に血が上りやすいようだからな。今日は何を食べた」
「ソイなんとかハンバーグと、エビフライと、塩ラーメンとチャーハンと冒涜的なたこ焼きです」
「昨日」
「焼き雛フェニックスと、オークとんかつと、雛フェニックスのから揚げ」
「一昨日」
「シーフードフライ定食……バハムートアンドチップス……天ざるうどん……テリマヨピザ、フライドフェニックス」
魔王が胸焼けしている。同じ部屋で話を聞いているアルメニも胸焼けしている。
「血は。生き血」
「飲んでないかも」
肉はよく焼いてある方が好き。
「貴様、貴様は吸血鬼なのだぞ!」
魔王が目を怒らせて声を荒げた。
ことによっては、殺しを仕掛けた狼や短足よりも怒られているのではないだろうか。何か釣り合わない。
「魔王さま、転化を進めるなと言いましたよね?」
「限度があるわ、馬鹿者。死にはすまいが今にこと切れるぞ。飲め、さっさと飲め。私のでもアルメニのでも」
アルメニが無言で腕を差し出す。珍しいことだ。ガゼルロッサとて、もちろん平時ならば魔王に喜んで咬みついているが、今そうする程狂えてはいない。ありがたい話である。
「いいけどあんた、今に生活習慣病で死ぬわよ。フェニックス喰い過ぎ」
悪魔に心配されているのでは話にならない。
「野菜も食べてるし……」
「おい、バハムートアンドチップスの
アルメニのそれには答えず、ありがたく腕に牙を突き立てる。悪魔の血は流れ出た時から既に黒く、舌には塩辛さばかりが感じられ、あまり美味ではない。その方がガゼルロッサには都合よい。あまり夢中になって吸い尽くしたことが何度あったか。否、何度もと言うほどのことではないのだろう。生粋の吸血鬼は己よりもう少し我がままなようであるから。
アルメニが目を閉じて浅く深呼吸する。
「うええ、気持ちわる。痒くなったりしないでしょうねこれ」
「俺は蚊じゃねえよ」
「陛下、狼ですが」
ガゼルロッサを無視してきりっとした顔で切り出す女悪魔。
「そうだな。先ずは近衛兵隊だな。それから北の山の残党ども。責任をとらせねばな?」
見せしめ。そうだろうということはその場のふたりも十分承知していた。
「その、近衛兵隊の狼どもなのですが」
魔王も分かっているだろうに。ガゼルロッサは血交じりの唾を呑む。
「魔王様の護衛に就き、あの大広間に居たのは、四番七番八番、十二番、十六番。七番は虫の息でしたが、まあ全員生きています――半分以上居りません」
「城内にも」
「城内にも、ええ、護衛に就いていたもので消し炭になった無能もいたでしょうが、他の持ち場も非番の狼も」
ガゼルロッサが退避を命じた近衛兵は十四番だったか。
「一番や二番が無能だと思うかね」
魔王の目が細くなる。
ふたりは玉座の間に、玉座の傍にいた筈である。襲撃したのは『三番』だというのに、あの無遠慮な爆発以来彼らの姿を見ていないのだ。言ってみれば、近衛兵隊のトップどもは――ということはすなわち近衛兵隊は――
「五匹はなんと忠実で高潔な獣だろう。あやつもそう言ってよい。命を捧げたのだ」
魔王にではない。玉座にでもない。
「死に怯え逃亡した腰抜けの犬どもを探し出し我が眼前に引きずり出せ。その間に私は、銀狼を根絶やしにしておこう」
起きたらな、と魔王は欠伸をした。
二番がこんなに嘘を吐くのが下手っぴだとは思わなかったのよ。嘘を吐かないんだから。
「残念ながら」
手には銀に似た灰色の髪がひと房、パサパサしていて癖毛気味。黒髪総髪の男狼は続けた。
「逃がした」
その夜。側近が魔王に三番狼を告発した夜。狼たちは全員詰所に集められていた。三番を除いて。
「見つけ次第殺す手筈では」
四番が二番を詰る。「なぜ連絡しなかった」
「さあ、ちょっと眠ってもらおうと思ったら、眠らされていたってところだな」
「あんたは……」
怒りを隠そうともせず、四番は二番の胸倉を掴んで、
「近衛兵隊がどうなるか分かっているのか」
「四番。今は」
一番が制して、皆に緊張が走った。
「四番、お前が思う通りだ。近衛兵隊は解散する」
誰かが奥歯を噛み締める音しか聞こえない、重い沈黙。沈黙は苦手だ――
「まだ。まだです。遠くに逃げたんじゃありません、絶対に明日、殺しに来るんだから……」
「そう思うか、八番。絶対に明日、殺しに」
「はい」
白髪の狼は妙に落ち着いていた。低い声は何となく安心する八番である。
「玉座の間で」
八番には確信があった。三番の格好つけたがりなところ、破滅的な性格、本当は強い接近戦。お坊ちゃま育ち、精神だけは高潔。そして、派手好きで破天荒で破滅的で三番狼を魔法でのしてしまうクリネラ。
「クリネラの固有魔法は爆発です。招待客を木端微塵にするのは造作ない、と思います」
「詳しいのか」
「見ました……見せてもらいました。あいつは全部話しちゃうんです」
「仲がいいからな、お前らは」
今、そんなことを言われても、苦しいだけなのに。
「すぐにでも、また探しに行くべきです」
進言して、一歩引いた。自分も、と七番。十番も。
「見つかれば。三番を犠牲にするだけで、ああ、万が一ではあるが二番の鳩尾に蹴りを入れた分の処分を受けてもらうだけで済むかもしれないな。見つかれば」
「あんなもんただ酔っ払いの喧嘩だわな」
二番が肩を竦めて、視線を遠くへ外す。
「見つけましょう」
渋い顔で言うのは五番だ。いや、皆似たような顔はしている。口に出したか出さないかだけなのだ。
「三十分後、また捜索をする。それまでは」
一番の顔ときたら、まるで感情がないみたいに普段通りで。
「見つからなかったときの話をしよう」
そう、しぶとく考えなければ。八番は重い空気を吸った。十六番が手を挙げて、
「総員で陛下の護衛にあたりましょう。他の持ち場は魔女親衛隊に協力を仰いで、狼で封じ込める。陛下のことですから……それでよしとは思いませんが……」
この子ってば、もう、余計なことを言ってしまって。事実そうだろうけれども。
「陛下の見せしめは躊躇ないぞ」
「その見せしめを実行する部隊ですので、我々は」
七番が皮肉交じりに言う。こんな時に皮肉なんて言うのは二番か三番の役回りなのに。二番は押し黙っている。
「我々が全員断頭台となれば、魔女どももしばらくは躾けられた犬の真似をする」
「四番」
ちょっと自棄なんじゃないのか。四番は金髪を掻き上げてオリーブ色の目を見開く。
「私たちは陛下に命を捧げた身なのだ。已むを得ない。どのみち、逃げ出すような腑抜けの犬も同じ結果になる。私たちは……あの竜に傅くことで同胞を護ってきたのだ……同胞殺しと呼ばれながら……それがどこへ逃げ出せばいい。ただの同胞殺しに成り下がるのか、俺たちは」
八番は思わずびくりと顔を上げた。俯いていたのだ。皆同じだ、帰る場所はない。自分たちはそういう覚悟でやってきた狼、の筈だ。
「戦うことを止めた裏切り者の狼に帰る場所はないのね」
六番が澄ました顔で諦めたように口にした。
「そうだな」
だが、澄ましている一番が何か諦めているようには見えない。
「そろそろ限界なんじゃないかと思ってたんだ。実は。俺みたいなのが一番で、魔王様に親兄弟嬲り殺しにされたユキ坊が三番。反乱分子のスパイやってた祢屋が二番。まともな奴は大体死んだから、てめえしかちゃんとした奴はいないらしい、
六番が笑った。
「戦えっていうんですか。まさか」
「だってお前ら、命を捧げるなんて柄じゃないだろ」
どうだろう、それは――
「魔族なら命が惜しいと言うべきだ。こんなところで働いていたもんだから妙に染まっちまったな」
一番が大袈裟に息を吸い、
「誰が命を捧げるに相応しいか。魔王か、魔王に蹂躙される同胞の銀狼たちか」
あ、と八番は気づく。どちらにしろ殺されるのは近衛兵隊と銀狼の生き残りたち。もし言うように魔王を裏切るなら、
「わたしたち全員が裏切るなら、全狼の反抗的分子が盛り上がります」
「盛り上がるって」
十六番が呟いた。
「魔王も黙っていません。人狼種に対してです。一番」
皆気付いている、わたしのように。
「それは戦争ですよ?」
一番は獰猛に口の端を吊り上げている。
「仕方がない。ずっと続いていたんだ」
記憶の断片が低い声で語り掛ける。過去であるものかと、あの火傷の痕をさすりながらクロスは。わたしの、父のいない家で。向かってきた兄の友人を射殺したあの夜。なるほど、三番、悪魔に唆されたからではないのね。あなたが悪魔を唆したのね。馬鹿野郎。
わたしの帰る家はない。
重い沈黙を破ったのは、やはり、八番。
「どちらにしろ、全員が尻尾巻いて逃げることはできないよ。三番に加勢するのだって得策じゃない、あのひとは死ぬ。魔王警護の狼を囮に他の皆は逃げるの」
「八番」
「魔王に魂を捧げてるやつがいるなら一緒に捧げればいいわ。結果は同じ。何かに命を賭すことを、あと数分のうちに決めてしまえるお馬鹿さんは魔王警護の任に就きましょう。
――ああ、なんて嘘を吐くのが下手っぴなの。拳を突き出したのはいいものの、震えているじゃない。わたしには、帰る場所がないだけなのに――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます