第6話 その魂に価値あるもの

「陛下におかれましてはお愉しみのところ悪いけど」

「指を銜えて見守る義理はないぞ」

 側近の意義に、沽券に関わるとばかり再び駆け寄ろうとする行く手を阻むのは植物の蔓。

「ヤ=テ=ベオ、捕まえ食らえ」

 命じているのは無論、クリネラである。背後に蔓の主である異形を従えている。

「感謝するよ、アルメニ、余計な虐殺をせずに済んだ」

 そうして呪文を低く唱え始める。言う間にも触手蔓を焼き散らすアルメニ。「あれに惚れたがあんたの最大の過ちよ、罪を言うなら」

 クリネラの足元から巨大な蔓が生え出る、それは最早樹木。薔薇の蔓のような棘のある蔓、しなる鞭のような蔓、種々の蔓が四方八方へ走り、側近と近衛兵たちの行く手を阻むのだった。

「言っておくが君たち幸運な雑魚どもは俺が相手だ、邪魔立ては決してさせない」

「何が邪魔立てはさせない、だ」苛立ちがそのまま声音に現れるガゼルロッサ。

 挑発を受けて、近衛兵の狼十六番は「やってみな」蔓をぶち切り銀狼へ飛びかかろうとする。「十六それはダメ!」八番が慌てて呼び戻す。十六番の眼前を魔王の毒棘ある尾が通過し、体勢を崩した十六番の足は蔓に絡めとられていた。

「何がだ、我ら凡庸の魔族が本気の魔王さまに近付く自体がまず困難なのに、貴様という奴は本当に何様か」

 血の剣を幾本も宙に浮かせ、近寄る蔓は軽くあしらい切り落とし、「たったのふたりでも愚かしくて挑発的なのに、ひとりで魔王さまに挑む冒涜!」と言いながら剣を力任せに投げる。

「いっ!」

 またも首元を掠めて虚空を貫く刃である。「成長がねえぞ」クリネラは手早く、使役生物を呼び寄せる。「『ハマドリアード』『グリュオン』『フォングス』」樹棲、粘液、毒茸。

 使役生物が植物ばかりと見て取るや、ガゼルロッサはアルメニの方を振り返る。空前絶後の超絶怒涛の悪魔、火炎に愛し火炎に愛された女を擁しては勝利の叫びを挙げずにはいられまい。しかし、アルメニは既にそれらを焼き払いながらも苦い表情。

「『進むほどに無限に湧き出る魔物を、次のために力を温存しながら補給もなく戦う』つらさね……」

「アレだって補給もなく戦ってるんだぞ」

「だってあいつにはないんだ」

 アルメニの苛立ちの在り処はガゼルロッサとは異なっていた。


 竜の鉤爪が狼目掛け飛んでくる。それを駆け抜け躱し、尾へ抜ければそこは毒の棘。大きく振られるそれを躱すため二つ足に転じて後方へ跳躍、振り上げられた腕を見る。間に合わない、人の足では避けきれず、四つ足には暇もないほどの一瞬。太刀を手に取り飛んでくる鉤爪を受け止める。

 ――太刀は丈夫だがやはり力が足りぬ。握り潰されることはなかったが、とてもではないが押し返せない。動けなければ踏みつぶされるか焼き殺されるか――

 突然足元を掬われ、そのまま引っ張られる。緑の蔓。狼は苦笑しながら、蔓に引かれるまま体を竜の胴体へ滑らせ退避、そのままの勢いで狼は四つ足へ、木の幹――馬鹿みたいにそこら中に張り巡らせている――を蹴って跳躍。竜の背中に爪を立てしがみつく。案外あっけなく鱗を突き破り深く食い込んでいるように見えるが、痛みがあるようには見えない。激しく羽撃く翼に阻害され、あえなく滑落する。その先に別の狼、七番に違いない。二匹とも躊躇いはない、七番が三番に組み付き、三番も喉首へ齧りつく。

 そして魔王は首をもたげて息を吸い込み、口の端から金色の火を漏らす。炎の息を吐き出す構えと横目に察知し、七番を突き放す。炎を吐くなら間違いなく七番は巻き添えであるし、狼たちは了解している。魔王に顧みられる命ではない――七番さえ。吐き出されるべき炎から逃げるため銀狼はとにかく駆けて炎から逃げ、七番はその背後へ掴みかからんとし――炎の着弾。

 まだ走り続けているということは避けたということである。七番の安否を確認する暇はないが、追ってこなければそれまでのこと。さすがに炎も連続で放てるものでもなく、息切れした様子の彼の上腕へ噛み付く。離させようと腕を振り上げられた勢いに乗り高い天井の宙を舞い、二つ足で落下する。握る太刀に落下の勢いを乗せ肩口を深々と刺し貫く。ようやく効き目のある攻撃ができたらしい、竜は振り落とすため激しく動く。太刀を杭にしがみつくが、衝撃で太刀は抜けてしまった。竜の背を体は滑り、急ぎ四つ足で火花を散らしながら踏ん張る。

 筋力だけでは鱗は裂けても、有効な肉にまで刃が届かない。――ならばもう一度繰り返すか――また背を駆け上がり、飛び上がり、上へ伸びていた木へよじ登る。少し全体を眺め渡せば、大広間はすっかり緑の中、黒い焼け焦げは瞬く間に次の緑に覆われる。クリネラの使役生物が好き勝手に触手を伸ばしているのだ。

 狼は落下の勢いで竜のうなじへ一太刀浴びせるつもりも、突如竜の体が反転し大きく開く口。――馬鹿でかい図体でこんなにも素早い――自由に動くことのできる屋外ならば攻撃を図ることさえままならないのかもしれない――とは言え生身にブレスを食らえば無事では済まないからね、防具ほぼなしは正直自殺行為だけど、ブレス食らいそうな時は普段魔法抵抗するときみたいに、躰に流れる魔法に集中するんだよ――体を巡る竜殺しの魔力に集中、せめて差し違えることを願って。上体を捻らせ重力落下に身を任せる。毒の息が放たれる、相手も的をつけて吐いてはいない!間一髪すり抜け、わずかに掠った足元は『弾いた』のが分かる。振り抜いた太刀は首元を一閃、深い手ごたえだ。ようやく血が滲む。


 魔王の血。側近ガゼルロッサは思わずそれを見上げ、「余計な事を考えた方が負ける!」樹棲の大群に突き飛ばされる。ガゼルロッサが腕を振れば簡単に吹き飛んでいく儚いニンフたちは、しかし鬱陶しい小蝿のように逃がしてくれない。「ご忠告をどうも、短足殿」いつの間にか呼び出している木人間トレントの上で魔力尽きるまで雑兵を召喚し続けるクリネラ、今は気を取られてはいけない。


 狼は無事緑の絨毯へ着地した。決め手に欠ける。魔王がこの程度の消耗を気にしていないのは、その振る舞いから明白。彼の逆鱗は、知っている、あの顎の下、登らなければ届かない。あの鱗一枚を突き破るに足る隙は未だにない。振り上げられる腕に食らいつき、四つ足で腕を登り、先程斬りつけた首元の傷へ爪を立てる。これとて今は竜殺しだ。魔王は上体を捻りそのまま倒れ込み、狼の体が床に叩きつけられた。低い声は愉しむように響く。

「なかなか、鋭い痛みだ」

 魔王は転がる狼へ右腕を振り下ろし、慌てて左へ抜ければ、左腕の方が素早く狼を掴み上げ、肋が軋む。――力を更に加えられる前に。急ぎ二つ足で抜け落ちたが、真正面から来る火球へ間に合わない。一瞬だけ、痛みと熱さ、逃げ出したくなるような恐怖が狼の脳裏へ降りてくる。歯を食いしばる、一度耐えているのだから。幼い子供にだって耐えられたのだから。全身を金の炎が包み込み、皮膚を舐め回す。流れる魔法の上を、焦げる痛みを残し炎はすり抜けたが、右目、右腕は燃え上がる熱さに沸騰するようだ。百五十年ぶりの感覚である。――感じない、動かない――一度焼かれた箇所だからなのか。――思い出せ、慣れている筈だろう、右腕を使わないで魔王を倒してやろうとあの時だって、信じていたじゃないか。調

 狼は右上肢を放棄しても駆け上り、竜の首へ食らいついた。左の爪があと少しで顎の下へ達するのに、魔王は気付いた。

「結構」魔王の瞳が金色に爛々と光り、同じ冷たい金色、深い漆黒、純粋な白がその身体の其処此処から漏れ出した。側近が慌てて霧となり離れ、悪魔も近衛兵も同じく退避する。クリネラはそれを初めて見るが、やっぱり魔王の派手さには敵わねえなあと思っていた。せめてとクリネラはユキに巡らす魔法に出来る限り注力するが、体力の消耗をも感じ取ってしまう。――HPヒットポイントの1でも生きていればどうとでもなる――

 竜の外骨格が浮き上がり、輝く混沌カオスが爆発するように放たれた。何がブレスだ。狼は回避のとりようもなく、ただ何とか身体は形を保っていたが、全身にねじ曲がったような痛みを覚える。そもそも実際あちこちが曲がっていたが、体を押さえつけられたため確かめることもままならない。燃えるような右腕だけが、何故か今は動く余地を残す。鼻は利かないし目が霞む――

「燃やし尽くしてやろう、焦がれた父母の元へ逝けるぞ」漏れ出す火炎で焦げるほどに顔が近い。その顎に逆鱗が、近く遠くにある。思わず力ない右腕を振り上げるが届かない。右の瞼に過去が焼き付いている。右腕を炎の中に伸ばした、あの子に届かない、届かない……。

 力を無くし垂れた腕が何かに当たる。右腰のホルスター、お守り。

 届けと以外何も考えず、リボルバーを抜いた、竜の首が息を吸うため仰け反り、狙いをつけるどころではない弾が不思議と真っ直ぐに放たれたのは、運命を引き付けたということか。――ようやくか。


 そうしてその弾は、悪魔が核の魔法の起爆と竜殺しの殺傷を捩じ込んだ一発だけの弾、それが将に逆鱗へ吸い込まれていったのだ。目を剥く魔王、吸血鬼は更に蒼白になりながら駆け出し、悪魔は、竜へ魔法を放った。核爆発の魔法の強烈な爆風は魔王さえ吹き飛ばした。無論狼をもである。


 閃光と煙が収まる頃、逆さまにひっくり返ったガゼルロッサが見たのは、力技で吹き飛んだ狼を抱いた悪魔が羽撃き逃げようとするところだった。頭は鮫、体は大鴉、鳥の翼にコウモリの翼、虫の羽根、魚の尾、クリネラである。典型的な悪魔に見えるその身体の特筆すべきはジェットターボが付いている。これだから現代っ子は!しかしそんなものに構うものか、勝手に飛んでいけばいい、それどころではない。自身も吹き飛ばされたガゼルロッサだが、転がるように竜の元へ飛び寄る。魔王が倒れているのだ。

「魔王さま、無事と言ってくださいまし」

「無事」

 微睡むような眼で側近に答える。

「余裕のあるお言葉、安心いたしました」

 言うなり側近は右の人差し指を食い破ると、その顎、打ち抜かれた逆鱗に触れ、ただの拳銃にしては甚大な傷に指を突っ込む。

「いきなり突っ込むものがあるか……」

「抵抗がないのでよいのかと思いまして」

 昨日から血の剣を投げすぎて、便利でスマートな魔法を使う余裕がないのである。流れる血が銃創の奥を探り、銃弾を運び戻ってくる。それを苛立ちのまま握りつぶすガゼルロッサ。

「なんて深くに、おいたわしい」

「側近殿も無茶苦茶じゃないですか」

 寄ってきた近衛兵が呆れている。

 遠くではクリネラが壁を体当たりで吹き飛ばし、そのまま彼方へと飛び去って行く。ジェットターボで。

「誰も彼も、道理を通す心算もないか」

 愉快と言うように、竜は息を吐いた。金の火が、僅かにこびりつく緑を焼く。


 目も鼻も利かないが耳は聞こえる。おまけに相棒がよく喋るのがまた僥倖である。

「クロス、あ、ごめん、ユキさん、おおい。おおい」

「ああ」

 声が出るのも良い。奇跡とまでは言わないが。

「ああ、生きてるよ。良かった。目は開かないのか、今は逆にラッキーだな。今全力で逃げてるところだからねえ」

 風鳴りと、聞き間違いでなければ機械的な、ジェットターボとでもいうような音が聞こえてくるが。細かいことを気にする場合ではないだろう。

「逃げ切れる気がする。追っ手は全然追いついてないし、時々アルメニ殿の攻撃がケツに当たるくらいだよ。アルメニはすごいね、魔法のTPOを理解してるね」

「魔王は」

「当たったよ。ああ、ごめんね。慌てて逃げてしまったからどうなったかは分からないんだ。でもさ、生きていたらさ、もう一度殺りに行けばいいんだって思ったらさ」

「そうか」

 殺されるために行くのだと思っていた。差し違えてでもではなく、たとえ傷の一つもつけられなかったとしても、のうのうと生きているのが怖くて。初めて彼に挑んだときには。結局それは変わっていなく、やはり殺されに行くようなものでのうのうと生きている情けなさもあって、しかし、今はまだ希望のようなものを信じているのが違っている。

 さらさらと聞こえるのは葉擦れの音。こいつ、また森に逃げやがった。笑いたい気分だ。余程好きなのか、クリネラはいつも北の森なのだ。もしかしたら、北の山に連れて行きたかったのかもしれないが。

「狼さん。クロス、ごめん。ユキ、あとさあ、また俺が知らない名前言ってたでしょ……ハクマ?もう、どれなのかね。ダーリン?聴いてる?」

 それは全部俺の名前だ、お前が呼んだ全部が。リン。

 答えてやりたかったが、どうにも口が動かない。


 地面に横たえた彼は今現在、赤黒くべたつく何かで、肉塊とさえ形容し難かった。あの顔の爛れた火傷の痕が、今はむしろ面影を留めている方である始末だ。早くしないと身体の境界が崩れ去ってしまう。アルメニの追撃を振り切るのに時間がかかってしまった。

 鮫の口からほのかに光るエクトプラズムを吐き出す。クリネラが今までせっせと集めた人間の魂である。全ての魔物の代表、魔王が負わせた傷を、魔界の諸侯が癒してくれるわけがないのだ。この魂をエネルギーに何とか自分でやるしかない。幸い潤沢に惜しみなく全魔力、注いでしまって構わない。

「ユキさん、たとえ足が無かろうと腕が無かろうとどうにでもなるんだよ。生きてい」

 クリネラは、復讐に意味があると言ってほしかった。そういう話をしたかった。

「ああ、死んでいるのか」

 夢をみるには形が無さ過ぎた。

 骨を浮かせた泥みたいな遺骸の上に臥せって、もう動きたくなかった。それでは仕方がないのでのろのろと起き上がる。

「心中を、したいんですけど」

 穴を掘り埋めてやる。『狂骨』をその上に刺す。墓標にはオーバースペックだ。

「馬鹿狼さんが昔の女へ遺品の宅配を頼むから……!」

 ダンダン、とその地面を踏み鳴らし、ぽろりと涙を流して、北へ悪魔は飛び去った。

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