第5話 穢れを雪ぎに降り来る獣

「仕留めたかって言ったら分からんって、狼どもの面子も随分と適当なものだね」

 燃える赤髪の女悪魔は小馬鹿にした口調で述べた。――悪魔とは大体において小馬鹿にするものだ。

「逃がしたのか」

「どうかな」

 目を逸らせるガゼルロッサ。城内はいずこも慌ただしい空気で、控えの間も有象無象が入れ替わり立ち代わり現れる。

「つまりそういう理由だからあたしに教えてくれてるんでしょ、側近殿」

 自身もまた『側近』と呼ばれるアルメニ・アートス・ウルティナスは、ふふんと自信ありげに鼻を鳴らす。

「襲撃があれば動ける駒、ま、臣下の端くれですから、当たり前に対処するけど。その場合、前日の段階で結局仕留め損なってるヒトたちってとっても哀れな感じ」

 アルメニは血のような緋色のドレス――本人に足りない色気を補う大胆な露出のシアードレス――を身に纏っていた。舞踏会の戦闘服である。炎の意匠を黒で刺繍した中には金色の花を埋め込んでいる。赤髪はすっきりと纏め上げ、金のリコリスが飾られている。ついでにガゼルロッサを述べれば同じく緋色のサッシュベルトの黒タキシードに表は黒、裏地が深紅のマントを引っ掛けている、吸血鬼のイメージを全く損なわない無難なファッション。

「ただ、諦めることね、穏便に済ませるってのは。ド派手な夜になるよ」

 ダークレッドの唇の端が満々の自信で持ち上がる。何に対しての前向きさなのだろうか、ガゼルロッサは最悪の展開を思い描いて胃が痛い。魔王の死?そんなものは杞憂だ。ゲストと修繕の心配をしているのだ。

「だからさ、俺が言いたいのは、お前や魔王さまがテンション上げて広間で花火打ち上げかねないからせめて敵を狙ってくれってこと」

「あは、下らん心配を。巻き込まれる方が悪いって決まってんのよ魔界ここでは、やわな豚どもを一掃する好機チャンスにもっと胸を躍らせなさい」

「来賓全員邪魔者と抜かすか、分かるけど。分かるけどさあ」

 本音と建て前が乖離しているのは、まだこの身が魔族に成り切っていないからだろうか。アルメニが現状をかき乱したいのは分かるが、この手の反逆者どもを面白いの一言で臣下に引き入れる魔王とは。懐かない野良猫がかわいいのだろうか。その気持ちなら分からなくもない。ガゼルロッサは大袈裟に溜息をついた。

「魔王さま、舞踏会ごと来客ぶっ潰してえんだろうなあ。物理で」

 その気持ちは分からなくもないガゼルロッサの本音は、魔王の御心のままである。仕方がない、最善を尽くすとしよう。善さの判断はあまりにも難しいが、最低限は己の身を護ることからだ。


「いーい、。まず俺が固有魔法を投下するからね。これでアルメニとか悪運がいい奴を除いて障害物は柱に至るまで全て排除される見込みだよ」

 狼は肩を竦めた。

「えげつない計算だな」

 羨ましいくらいポジティブでもある。天使さながらの碧眼が興奮で潤んでいて、言っていることの醜悪さとのバランスがとれない。この短足の考えていることときたら、少し分かるかと思えばまた遠ざかるといった具合で、元人間の癖に悪魔らしさの塊だ。

「固有魔法だから予備動作ゼロ損失ゼロで放てはするけど、出力全開でぶっぱしちゃうと半径数キロに影響が及んでしまうから、すっごい集中して威力を抑えているっていうのは覚えておいて。小回りが利かないから直接クロスさんの援護に回るのは難しいと思ってて。アルメニとか悪運がいい奴の相手しないといけないし」

 小回りが利かないなどとよく言う。だから固有魔法を使っているところを見たことがなかったのだ。アルメニはよく火炎を撒き散らして小火ぼやを発生させているが、彼に言わせると小回りの利く魔法なのだろう。

「そんな規格外の魔法はお目にかかったことがないな」

「ええと、原子の核分裂反応のエネルギーを利用した爆弾の爆発?を再現する魔法なんだけど」

「あ?」

 魔法だと言えば何でも魔法になるようだ。

「安心して!仮定で宇宙自体のスケールを小さくすることで規模をコントロールすることができるから、意味がないほど小爆発にもできるんだよ!その分ロスタイムは生じるけどそもそも待機時間なしではさすがに強すぎるんだからね」

「俺が何を心配すると思っているんだ」

「それに人外に有害な放射能もありはするけど魔族には関係ないからね!気にすんなよ!」

「お前が気軽に魔王を殺そうとする気持ちが少し納得できた」

 気軽に殺せるからである。

「竜殺しの魔法は攻守ともに効果を発揮するよ。とは言え生身にブレスを食らえば無事では済まないからね、防具ほぼなしは正直自殺行為だけど、ブレス食らいそうな時は普段魔法抵抗するときみたいに、躰に流れる魔法に集中するんだよ。打撃で受けた損傷は回復してやれるかもしれないけど、こと彼の毒なり炎なりに関しては地獄の諸侯の援助は期待できないからね。ハンカチ持ったね、お弁当は?車に気を付けるんだよ。聞いてるか、君」

 見えない床のフロアからはなんと玉座の間へのショートカットが存在する。上手に落ちるのがポイントだ、途中で霊薬を拾っていくこと。その見えない床に腰かけ、不自然に真っ暗な奈落を眺めながら、狼と悪魔は打ち合わせているのだった。当日現地で固まる襲撃計画では察知するのも難しかろうて。皮肉である。

「この場所のこの閑静な雰囲気からして、二番は本当に折衷案でお伝えしてくれたのだろうか」

「やりたいようにやっただけだろ」

 厳粛なる殴り合いの結果、二番は三番の髪を持って殺したと伝えるか取り逃したと伝えるかは勝手に決め、勝手にどこへなりと行くことにした。髪では弱いが他に提供できるものもないので、腕力で納得させた次第。

「俺もユキさんの体毛ほしい」

「気持ち悪い」

 答えながらも髪を適当にひと房、ナイフで切り取る。しみじみ眺めると脂気が抜けているのか全く綺麗ではない。懐紙に包んで渡す。

「え、くれるの」

「お前にじゃない。俺の故郷に持ってってくれないか。もしリクカって銀狼が生きていたら、彼女に」

「お断りだわ。そんなん、自分で持ってけ、馬鹿狼さん」

 唇を尖らせて懐へ仕舞い込むクリネラだった。「俺にくれよ。遺品の宅配は受け付けておりません」

「じゃあコルトとS&Wオートとリボルバー

「ばっか、今から使わないのかよ」

「使わない」

 魔王には役立たないし、雑魚はクリネラが散らすというならなおさら暴発のリスクがある文鎮である。そもそもこの骨董二挺は趣味みたいなものだったが。

「お前が持つ方がまだ使えそうな気がする。だろ」

「うーん」

 クリネラはバレルやらシリンダーやらマガジンやら薬莢やらひとしきり弄り回した後、リボルバーを神妙な顔つきで返してきた。

「やっぱりこっちはユキさんがお守りに持っておけば」

「確かに二挺もいらないか」

 お守りなら仕方がない。後腰のホルスターにS&Wを戻した。文鎮があった方が落ち着く気もする。

「ふたりで分け合うって感じが、なんかいいしね」

 悪魔が緊張感もなく、へらっと笑った。

「行く?」

「お前のタイミングで始めてくれ」

 気持ちの方は、もういつでも。

「あ」クリネラは指を鳴らして、「、いってきますのキス忘れてた」

「お前、俺が死ぬ前提で準備しているよな」

 お陰で心残りが少ない。皮肉だ。


「もう来ないんじゃなあい」

「気が緩んでいるときが一番危ない」

 側近たちは囁きあう。大広間のどこに身を寄せようかと辺りを眺めまわしているのはガゼルロッサ。悲鳴と金切り声からなる魔界の宮廷舞踊曲がなるべく聞こえない場所がいいと言う。

「魔王さまはまた玉座から動かれないな」

 ルビーの階段の上では、魔王が落ち着かなさげに漆黒の玉座に腰かけている。

「また尻が痛いとか言ってる頃合いとみた」

「そんなに気になるなら行ってどうぞ」

 アルメニが肩を竦め、ついでに首を回すと、天井の暗がりにクリネラを発見してしまったのである。

「ガゼルロッサ!」

「あれは見えない床のフロアから落ちてきたか!」

 クリネラがふたりを認め、人差し指を口元に当てて「しい」と笑いかける。

 アルメニはガゼルロッサの科白に分かっているなら手を打て、と口に出すことはせず、唐突に火炎の魔法を無差別に放ち、自身は柱の陰にガゼルロッサともども身を潜めた。

 突然の炎上に文句と罵声を上げながら広間の妖魔は散り散りに扉へ走り、魔王は落ち着き払った様子で立ち上がり

「しまった。余裕こいちゃった」

 クリネラは天井で苦笑い。

「赦してくれ――」

 閃光と高熱が、轟音が、人影なき広間を埋め尽くす。

 次いで爆風がその中心から放たれ、気味悪い彫刻の数々に焼けて彫刻同様になった魔族の残骸は吹き飛び壁に打ち付けられ、砕けた。

 側近ふたりの隠れた柱も、中ほどから折れた。ガゼルロッサは吹き飛びそうなアルメニを左腕で抱え込み、右手は柱にめり込ませていた、というよりいつの間にかめり込んでいた。折れた柱は彼らに当たることなく、丸太のように転がった。

「もうあいつが魔王でいいよ」

 アルメニが呆れかえって言う。

 扉の外にざわめく妖魔、近衛兵にガゼルロッサが叫ぶ

「退避しろ!扉を閉ざせ!」

 ガゼルロッサにも、この惨状がクリネラの固有魔法、地獄の諸侯への嘆願を必要としない魔法だと察しがついていた。有象無象があっという間に消し飛ぶくらいなら魔王に手を煩っていただいた方が簡単安全安心である。

「きれいになった。ユキ、いいよ」

 飛び降りた男、三番狼、クロス、それら魔王から与えられた名以外で呼ばれた彼は大太刀一振りだけを持っているかに見えた。これから致すことを思えば不自然でさえある軽装で、広間に降り立った。模様のように赤黒い右腕の焼け爛れが顕わである。

 側近たち、陰に潜んでいた近衛兵たちが彼を取り囲もうと躍り出るが、それよりも前にルビーのきざはしを滑り降り、彼の目の前に対峙したのは魔王である。

「ご挨拶だな、銀狼の若君」

 無表情にその顔を覗き込み、

「腑抜けがようやく死にに来たと聞いて心嬉しく思うたぞ」

 その爛々と光る満月の瞳を睨み返し、牙を剥き出す狼。

「命などは呉れて遣る、預けた魂を奪り返しに来たのだ」

『狂骨』の柄を強く握りこみ、潰えた故郷の名乗りを上げる。

「我こそは、北山銀狼は首領白峰崩牙が子白峰雪丸白魔!」

「よかろう、余は四代魔王白竜のフィーザ。北狄首魁の子白峰白魔、貴様の仇だ」

 言うなり魔王は禍々しい黒霧を吐き、その躰を竜の身へと変化させる。体中を白く輝く鱗が覆い、その上に黒檀の色の艶やかな外骨格が装飾品のように絡みつく。広げられた翼もまた異様、黒々とした薄い骨の板、その間に白い薄膜が渡され、更に真白で鋭き羽根が覆いかぶさっているのだ。その巨躯はこの大広間、玉座の間の支配者であることを知らしめるように。これが為に天井を高くしたのだ。

 対する人狼もまた、銀に似た灰色の被毛は全身に、牙は厚く、爪は鋭く――そしてその躰が持ち得るものこそが今は竜殺し。巨大な狼の姿となり、とは言え竜たる魔王の半分ほどもなく、その首元へ登ることから始めなければならなかった。

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