第3話 赤い靴を前奏に

 黒い影のように狼獣人の女は壁に凭れていた。警備にあたる近衛兵にしては不真面目な態度やもしれないが、魔界の人材に生真面目さを求めてどうする?彼女は側近の姿を認めると、待ちかねていたとばかり、しかし小声で話しかけてきた。

「どうでした」

「放っておくそうだ」

「ふうん、放って。放って?嘘、あらあら」

 落ち着きなく辺りを見渡す女は近衛兵の八番。こんな様子だが仕事ぶりは手堅く、控えの間に二人の他人影はなく。

「良かったって言っていい?」

 側近は底知れない苦みを顔中に集めて答えた。

「ごめん。それはない」

 八番狼は口を曲げて言った。

「そう」

 存外ドライだな、と側近は思う。八番は人一倍愛嬌があって呑気、に見えるが、やはり同胞さえ咬み殺すのも躊躇わぬ狂った狼。

 ――側近には聞こえぬ声も他の妖魔ならば耳に届いていたとておかしくはないだろう、と食堂で八番狼を捕まえてみたら案の定であった。「大したことは話してなかったよ。復讐なんて珍しい話じゃないでしょ。」話していた場所が場所だけにそうだろう。「あのひとの仇なんて百も承知なんだけどネ!」口調に反して険しい表情は、側近と同じ地点へ着地したことを匂わせていた。――

「どう思いますか」

「三番がどうって?」

「宣戦布告では」

 魔王が放っておくと言うのなら側近も放っておくわけだが、彼女は裏切り者を許すようなお人好しではない。八番は歯を剥き出しにして唸った。

「近衛兵隊から反逆者なんか出したら名折れどころじゃないの。側近殿だってそうでしょ。知ってて魔王様の首、狙わせるの」

 確かに他の妖魔どもに知れたならばそれは瑕疵、しかも魔王の人事が疑われるのではないだろうか。最悪なのは感化されて下剋上ブームが起きる可能性だ。魔王自身は傲岸不遜を地で行くくらいなので気にも留めるまいが、よくよく考えてみると面倒臭い。

「秘匿できないかな」

 狡猾というより腰抜けの呟き。

「できないでしょ!だからあいつら食堂で話したんだわ!」

「復讐なんてよくある話じゃん」

「側近殿とわたしら狼に聞かせたの、反逆の意志を。暗殺なんてもんじゃなくて真っ向勝負でやる心算だよあいつら!」

 側近も薄々そんな気はしていたのだ。というか、ガゼルロッサに聞かせるために三番が話していたのは明白であって、彼が銀狼なのは側近たちくらいしか知らないだろうからして。

「まだ、はぐらかしてましたけどね」

「気休めだろ」

 とは言え潰すなら今しかなかった。

「八番やる心算だなお前」

「勿論」

 尻尾をぶんぶん振ってやる気十分である。

「三番狼を相手取って、勝てるのか」

「無理です、番号見てよ。わたしが勝ってるところ若さとおっぱいだけ。オーケイ?」

「何にもオーケイじゃないぜ」

 勿論側近はお手上げだ。よしんば八番と側近が手を組んだところで、相手だって三番と短足のタッグだ。本当に強いかどうかは知らないのだが、あの短足野郎は新しいタイプの悪魔だからか、あの見た目で規格外の魔力を積んでいる。悪魔と言ったら牛・人・羊の頭とガチョウの足、毒蛇の尻尾を持ち、口から火を噴くとかいうヴィジュアルの強さも規格外なのが様式美だというのに、これだから紀元後生まれはけしからんのだ。(側近もだが)八番も素直に頷く。

「わたしの手に負える案件じゃないのは分かってた。から一番ボスにもう話を通してる」

「先に言わんか」

「少数精鋭でやる、秘密裡に。魔王様の方針はともかく、三番の出方を見て一番が決める。面子がかかってるの」

 話が早い、もう近衛兵隊に全部任せてしまいたい。己に釘を刺してきたのを無視で丸投げしたらどう思うだろう、と側近の気持ちは低きに流れる。――別にいいんじゃない――

「忙しいときに悪いな」

「ほんとよ。明日っていわゆる舞踏会じゃん」

 魔界中の貴人を招いての享楽の宴、準備で側近も近衛兵も忙しい。華やかな舞台は誰のためのものか、考えると少し虚しくなる。いつも魔王はその座り心地の悪い漆黒の玉座で気怠い様子で頬杖をついて、やる気ない主賓の代わりに側近が気難しい悪魔の貴顕たちの間を飛び回り、どうして悪魔って古典的な贅沢が好きなのだろう?しかも古典派の悪魔だからヴィジュアルからとりとめもない。

「ほんとだ、明日っていわゆる舞踏会じゃん」

 ――不意に飛び出した男の手には剣と銃。露払いは大広間に緋色の花を咲かせ、玉座めがけ紅玉の階段を駆け上がる狂乱の獣――困惑と怒り、嘲りの観衆――あろうことか銃撃の伴奏で踊る剣戟、冒涜的な魔術のステップ「いやあかんわ」側近にはありありと見える、惨状と化す豪華絢爛悪趣味昇天ペガサスMIX盛りの玉座の間・大広間。酷さは現状と変わらないかもしれない。だがそれでは、

「武闘会じゃん……」

 側近とて好きでこんなことを呟いたわけではない。


 生体研究室植物班の悪魔は鬱陶しそうに答える、

「短足?今日はもう帰ったんじゃないの」

「そうでしょうともね」

 分かっていたとも。明日がXデーならば、二人は最早二度と職場に戻るまい。三番狼は非番、八番に確認済み。狼のことは狼に任せた。吸血鬼が悪魔の面倒を見る筋合いはないが、悪魔に悪魔の面倒なんてその方が碌なことにならない。

「行きそうな場所に心当たりって」「ありません」「だろうね」

 そしていきなり指標を見失っている。

「あの短足野郎、普段から城内あちこちふらふらしてるからな。捕まえにくいポケモンみたいに」

 それに、城内にいるものかどうか。襲撃の準備をどこかでしているのか……していない気がする。どうにもあいつは適当な悪魔だから。

 側近もまた宛てなく、赤い霧となって拡散する。練度が不足しているためにその範囲は焼け石に水。既に勘だけで動いていた。

 ――これで人間か。笑えるじゃないか。

 拡散した意識の思考は靄がかかったように茫漠として、思索には不向きだ。しかし何となく生前の記憶を探るときにも似た感覚。ガゼルロッサはまず死んで、吸血鬼になったために生き返ったのだとばかり思っていたのだが、世界は割り切れないことばかりらしい。短足も転生者だが、同じくらいに生前とは遠い記憶なのだろうか。

 黒い森は城の北側に寝そべるように広がり、あまりに深く未知で、側近でさえ海の底のような静けさに底知れぬ不気味さを感じる。獰猛な獣の気配や地獄の化け物の重圧、それらの恐怖は姿が明らかであるだけマシなのかもしれない。今は彼も森を漂う不気味な赤い霧として恐怖演出のお仲間だ。何ら確証はないが、この深き森があの二人のイメージにぴったりだな、くらいの勘でやってきた。そして鬱蒼と茂る暗緑の木々を縫い、水の流れる音を聞き、

 ――流れる水は渡れないんだが

 ともかくその方へ。

 ――何もなかったらどうしようか

 その時は狼の様子でも確認して仕切りなおすか。

 ――出会ってしまったらどうするんだろうな

 どうするもこうするも、拘束あるのみではないか。

 少しだけ拓けた川べりは思ったよりも清廉な印象だ。死んだ巨木が横たわり、その上には天使が座っている。天使なわけがあるものか、ここは魔界だ。

 金髪碧眼短足の悪魔は赤い霧を見つけ、にたりと意地悪い笑み。

「よくぞ。あるいは、迷子かね」

 よりにもよって真正面から鉢合わせだ。側近は仕方なし元に戻り、

「散々探したのにその態度だ。やれやれ」

「何かお探しで?」

「てめえだよ」

 自棄の吸血鬼は血の剣を抜いた。

「そのもの魔王陛下暗殺企ての疑あり!」

「待てよう」あくまで笑みは崩さない「証拠もなしにひどくない?それにアルメニの方がよっぽどしっかり企ててない?ガバルガドス・スカーレットの方がよっぽどしっかり疑わしくない?」

「確かにな」側近は素直なので全面的に認めた。

「だが魔界では疑わしきは罰せよ、疑わしくなくてもでっち上げよと言う」

「いや聞いたことがない」

「俺はともかく狼連中が貴様らを嗅ぎまわっているところだぞ、魔王さまのお手を煩わせては面目が立たないからな」

 切迫感に欠ける脅しだ。

「俺はともかく狼さんは慣れてますよ、そういうの」

 切迫感に欠ける返しだ。

「それで実際どうなんだ」

「え?知らないよ。狼さんに訊いてくんない」

 クリネラは肩をすくめた。

「俺、狼さんに付いていく覚悟ばっちりあるってだけなんで。付いていく方向性が小さな庭付きの家に子犬とあなた~でも迷わず付いていくよ?」

 そんなシチュエーションが叶う場所は魔界に存在しない。

「でもお前が焚きつけてんだろ」

「勘違いしなさんな、より良い人生を送るためのサポートみたいなもんだ」

「言い換えてるだけとしか聞こえない」

 サポートメンバーだとか嘯いている奴が事実上の主戦力というパターンもあるだろう。

「それで、どうする。やるのか」

 小首を傾げて挑発する悪魔に、側近は、

「ものども、かかれ」

 使役生物である森に巣食う夥しい数の蝙蝠を呼んだ。不意を突かれてクリネラは腰かけていた巨木の上から滑り落ち、

「卑怯!数の暴力!卑劣!」

 無数の蝙蝠につつかれながら叫んだ。

「照れるなあ」

 血の剣を叩きつけるように、右腿を刺し貫く。流れ出した血が土を黒く染めた。次の剣を取り出す。クリネラは痛みに顔を顰めてはいるが、蝙蝠を払いのけながら、呪文を唱えている。

「『這い出よ、這い出よ、ヤ=テ=ベオ、這い出よ』……」

 ガゼルロッサは足元に違和感を感じ飛び退けば、後を追うように木の根や蔓が地中より這い出す。襲い来る木の根の数本を切り落とすが、数本には脚を絡めとられ転倒。

「ああ、いきなり、これだから魔族って。側近殿の剣くらい捌けるもんだと思っていたが」

「嘗められたな、このご時世に剣術が主力武器メインウェポンなんて」

 言い返すが様にならないのはお互い様だ。とはいえ、慌てて呼び出した魔物に大した力はないらしい。力任せで拘束を引き千切る。

 その間にクリネラは翼をはためかせ宙へ浮き上がり、今だ剣が刺さったまま血を滴らせる右腿に治癒の魔法を試みている。その剣はガゼルロッサ自身の血であるというのに、暢気なものである。

 血の剣が形状を変え、無数の血の針が更にクリネラを貫いた。

「ああ!痛い!」

「貴様そんな体たらくで魔王さまを殺せると思うのか!」

「なるほど、側近殿の剣ってそういうのなんだね、なるほど!」

 悪魔は下唇を噛んで頷きながら、己の下肢を切り落とした。

「そうだよ、どうせ死なないんだから失血とか余計なことだった。悪魔ってすごいね」

「そうだ、お前はもう少しおぞましい立ち回りを勉強しろ。悪魔だぞ」

「どうも忠告感謝する。血と痛みを捧げます、『アバドン』よ。『土の上にありては逆らわず、深淵の鍵持つ支配者、汝の御元へ全ては落ちる、アバドンの金の冠』」

 今度はガゼルロッサが叫ぶ番だ。見えない巨石が全身を圧し潰すような感覚に目を剝く。決して会話に気を取られていたのではない、魔法の完成が早いのだ。

「やれやれ、側近殿が会話に気を取られていなかったら危なかったな」

 本心かどうかは分からない。何しろこれまで、拘束ばかりで攻撃されていないからして(楽観的に見れば余裕がないのかもしれないが)おそらく癪だがこれは手加減なのだった。腹が立つやら悲しいやら。

「だったら、さっさとかかってこい、貴様」

 呪詛のごとくに低く呟いて、全身の重みに力任せで耐え右手に握っていた剣を力任せで投げつけた。「いっ!?」生憎喉元を掠めるにも至らなかったが。

「知らなかった……側近殿、物理で殴る吸血鬼なんだね……」

「知らなかったか。魔族の貴種たるもの吸血鬼、竜の子は小細工を必要としない」

「小細工はしてたでしょうが」

 虚勢を張るのもまた吸血鬼たる矜持のため、勿論内心では冷や汗が止まらない。短足(今、足は無いが)は痛みに免疫がなさそうだから、間合いを詰めてしこたま殴れば勝機もあるだろうが。魔法の拘束でこちらは飛ぶどころではないし、相手が降りてくる訳もなし。相手が自分ならここで止めを刺してしまうか、もしくは、退却。――余計なことしなきゃよかったかな。

「腐っても側近だな、またお目にかかりましょう」と捨て台詞を吐いて、悪魔は宙を滑った。残されたのは見えぬ巨石で潰されているガゼルロッサ。

「ああ、魔王さま、申し訳ないです、短足一匹潰せなくて……」

 魔法が解けるまで休憩を余儀なくされ、独りごちるばかりである。

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