第51話:終着

 状況に振り回されている間に、いつの間にか異変が終わっていた。


 俺の経験した、ここ一月ほどの異変を一言で言い表すならそうなる。結局俺はあの異変に対して何も出来ていないし、誰一人救えてなどいない。


 俺らしいと言ってしまえばその通りなのだが、俺のやってきたこと全てが無意味だったというのは、なんともやるせない話だ。まあ、俺のような卑怯者には似合いか。


 だが少なくとも、これからやることは決まっている。少しばかり俺らしくない気はするが、これは間違いなく俺自身の意志だ。


 自宅に戻った俺は縁側に腰掛けて、夕焼けに紅く染まる空に向かって溜息を吐き出した。


「何を塞ぎこんでいるのですか?」


 いつからそこにいたのか、右後ろに立っていた少女が俺の隣に腰を下ろした。


「いつものことだ」


 一般基準で考えれば、塞ぎ込んでいない時などない。何しろ俺は無駄なことを無駄に考えるのが趣味なのだ。


「そうですね。私も、あなたのそういう顔は好きです。でも……あまりそういう顔をして欲しくもありません」


 そういう少女の表情は、よく読めなかった。


「どっちなんだ」


「恋心は複雑なんです」


 そう言われては、反論のしようなどない。


「そうか」


 俺は、恋心というものに関しては素人もいいところなのだ。


「見てください。霧が晴れて、遠くまで見渡せますよ」


 話が途切れるなり、少女は遠くに目をやった。どうやら今まで望むべくもなかった、取り留めも無い話をただ重ねる恋人らしい時間でも過ごそうという心づもりらしい。


「戻っただけだ。俺は見慣れている」


 それが分かっていても気の利いた台詞を返せない己を、今ほど恨んだことはない。


「それでも、あなたが晴らした霧です。これは、あなたが私に見せてくれた景色なんですよ」


 少女は、俺の無粋極まる台詞を気にした様子もなく微笑んでいた。俺と一緒にいながら細かいことを気にしていては疲れるだけだと学習したらしい。


「俺は何もしていない」


 俺はといえば、その逆で何一つ学習していないかのようにつっけんどんな台詞ばかり口にしているが。


「いいえ。あなたは私から逃げず、この場に留まってくださいました。それだけでなく、妹を叱り、抱きしめ、過ちを正してくださいました」


「それは単なるなりゆきだ。俺が何かしたわけではない」


 流されるだけで何一つ自分の意志と努力によって成し遂げたわけではない俺と、まさに自分の意志と努力によって妹を救ってみせ、ついでに人嫌いの俺の恋人となったこの少女では、それだけの差が生じるのも当然といえば当然か。


 だが、少女の見解は異なるらしい。


「ではどうして、妹はそんなにもあなたに懐いているのでしょうね?」


 少女が慈愛めいた微笑みを向けた俺の太股には、少女の妹が頭を預けて眠っていた。のみならず、俺の左手はその頭をなでていた。


「……いつの間に」


 気付いていなかった。膝枕で寝かせているばかりか、頭を撫でているというのに。


「あなたらしいですね」


 何が俺らしいのかは言わないまま、少女は俺の肩に頭を預けた。


「どうした?」


「これでも嫉妬してるんですよ?」


 可愛いことを言う。……可愛い? 俺も随分と素直になったものだ。


 少女が何に嫉妬しているのか分からぬまま、空いている右手で少女の頭を撫でてみた。


「お前もこうして欲しかったのか?」


 少女は何も言わなかったが、恐らくこれで正解なのだろう。


 里の人間を誰一人救えなかった俺がこの姉妹に何をしてやれるのかは分からないが、いつぞや誓ったとおり、俺の一生を捧げるとしよう。


 この口うるさく鬱陶しく面倒くさく哀れで健気な、この上なく愛らしい妖怪姉妹に。

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狂った妖怪は人としてむしろ正常 七篠透 @7shino10ru

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