第50話:決別

「で、何故ここに来たのじゃ?」


 その日の昼、山の上の寺まで一人で出かけた俺は、和尚と差し向かいで茶を飲んでいた。


「茶が飲みたくなってな」


 いろいろと理由はあるのだが、あの妖怪姉妹と一緒にいたくなかったというのが大きいのだろう。


「里を救えなかったことを気に病んでおるのか?」


 妖怪少女と一緒にいたくない理由は、和尚の言ったとおりだが。


「……隠しても無駄か」


 俺は恐らく、誰かに責めて欲しいのだろう。何も出来なかった俺を。無力な俺を。里の連中を軒並み見殺しにして、一人のうのうと生きている俺を。


 俺に純粋な好意を向けるあの姉妹には、不可能なことだ。


「自惚れるな、たわけが。人と関わることを恐れて隠遁した臆病者に何ができる?」


 だが、和尚はその望みをこそ傲慢と叩き斬った。


「だが俺は霧の影響を……」


「ならば、霧など気にせず自儘に森の庵で暮らしておればよかろう。それがお主には似合いよ。誰も頼んでおらぬ使命なぞ背負わず、自分勝手に惰眠を貪っておれ」


 少女に出会う前の俺なら迷わずそうしていたであろうことが俺のすべきことだったと、和尚は突き放すように言い切った。


 そうなのだろう。そうすべきだったのだろう。


 俺が、俺のままで居るためには。


「頼んできた奴なら、いたさ」


 俺はもとより、誰に頼まれようと知らぬ存ぜぬを通し、面倒ごとには関わらぬ卑怯者だった筈。少女の頼みを聞き入れたあの瞬間、とうに俺は壊れ、砕け散っていた。


「左様か。のう、森の……人は、そう多くの荷物は負えぬよ。このジジイが、仏の道のほかにはなーんにも抱えておらぬようにな」


 俺の、自分では忌々しいとしか思えない変化をどう捉えたか、和尚は説教の種類を変えた。


「人の命など背負うなと?」


 和尚は首肯した。


「左様。お主に背負えるのは、せいぜいが女童二人といったところよ」


 女童二人というのも随分と重いうえやけに具体的だ。


 てっきり、己自身だけなどと言われると思っていたが。


「それは……」


 まさかあの二人を、俺に背負えというつもりなのか。


「お主のしたことは、千年前には誰もできなんだ。それで十分よ」


「俺は何もしていない」


 俺が何をした。妖怪を封印などしていない俺が、あの妹妖怪が無自覚に里の連中を皆殺しにする間、ただ困惑し当惑し、何の解決にもならないことばかり考えていた俺が、何をしたというのだ。


「もう、逃げるのはやめい。後生じゃ、森の。お主にしか為し得ぬことよ。あの妖怪姉妹を、お主の手で幸せにしてやってくれ」


 何から逃げるなというのだ。後生などといって俺に懇願する和尚は、俺に何を期待しているというのだ。


 先ほど霧など気にせず自儘に暮らしていればよかったと、つまりは逃げていればよかったと言った和尚が、今更俺に何から逃げるなというのだ。


「和尚は何を言っている」


 一人のうのうと生き残った罪から逃げていいのなら、俺は何の罪から逃げてはならないのだ。


「少しばかり特別な生い立ちの寂しがり屋を封印し、千年の寂寞に押し込めた悪行の報いが末裔に降り注いだのよ。なれば森の、彼女達に償いができるのは、生き残ったお主のみよ」


 俺はその瞬間、和尚へのなけなしの愛想が尽きた。自分の罪からは逃げ、他人の罪を背負えなどとよく言える。


 何よりそれの意味する、『俺』ではなく、『彼女達を封印した者達の末裔』として彼女たちの前に立てという要求を、俺の全身全霊が拒絶していた。


「断る。俺は俺の意志であの二人とともに生きる。千年前の因縁など知ったことか」


 俺は曲がりなりにも少女の恋人だ。そこに余計な怨念を、千年前の償いなどという怨念を持ち込んでたまるか。


「それでよい。同じく、里の壊滅など知ったことかと言い切ってみせい」


 見事に乗せられた。したり顔の和尚を見て俺が思ったのは、ただそれだけだった。


「帰る」


 立ち上がった俺の胸に、不思議と悔しさはなかった。

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