第4話 数式よりも

三年は短距離走をしていた。姉貴達の番になり、それぞれがスタート地点で構える。そして、教師の笛の音で一斉に走り出した。徐々に姉貴が他の三人を引き離していく。高い位置で括られた髪の束が、揺れて乱れる様子は綺麗だ。


トップで走りきった姉貴は、膝に両手を当てて、荒い息を繰り返しているのが遠くからでも分かる。


姉貴は、努力型の優等生。


テスト前には納得のいくまで復習し、部活の練習は人の倍。そういう地味な努力の上で、姉貴は今の位置をキープしているのをひそかに尊敬している。


走り終わった姉貴は、ゴムでくくっていた髪をいったん解く。そして、首を振りながら、手のひらでかき乱すと、長い髪が波打った。


その姿に見とれていると、野太い声が耳に突き刺さってくる。


「……し、高梨!聞いてるのか!?」


視線を向けると、グレーの頭をきっちり整髪料で固めた数学の教師が、眼鏡の奥から、こっちを睨んでいた。


「この数式、解いてみろ」


そう言って、黒板をチョークで神経質に叩く。俺は重い腰を上げて立ち上がると、黒板まで歩いていった。


チョーク片手に、悪夢のように長い数式を眺めたが、さっぱり分からねぇ。


しばらく無言で立ち尽くす俺に、苛立った数学教師が言う。


「もういい!戻れ」


だから授業を聞いてないと、分からなくなるだと言わんばかりの態度で俺を席に戻すと、今度は間宮秀一を当てた。秀一はさっと席を立つと、まっすぐ黒板に向かう。そして、すでに頭の中で解いていただろう答えをさらさらと黒板に書いた。


「宜しい。正解」


数学教師の満足げな声を聞いてから、秀一は静かに席へと戻る。


秀一は、努力型の姉貴と違い、何でもそつなくこなす生まれながらの優等生。最初から秀一を当てろよな、と心の中で愚痴った後、授業終わりのチャイムが鳴り響く。


「また聞いてなかったのか?」


休み時間、俺の席に秀一が来て言った。


「こう暑いとな」


下敷きで扇ぎながら答える。


「冬は冬で、寒くてやってられないと言ってたな。つまり、年間聞いていない」


もっともな指摘を入れてくる秀一。


ああ、そうだよ。聞いてねーよ。


「窓の外見てたな」


不意に言われて、微かに胸が波打つ。


「三年か」


窓から校庭を見下ろし、秀一が言った。


「遠目に見ても、瑞希みずきさんは目立つな」


瑞希とは、姉貴のことだ。

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