一瞬の今を君と~臆病な月~

あきる

臆病な月の恋


 スマホを操作して、着信が無い事を確認し、ふうっと溜め息をついた。

 

 アドレスを呼び出しては迷い、メールを打ちかけて削除する。

 ソファーの上にスマホを放り出し、一分もたたないうちにまた手にとる動作を、幾度となく繰り返していた。


「ねぇ、フミちゃん。さっきから何やってんのさ」


「!!!」


 背後から声を声をかけられて、びくりと体が跳ねた。

 わたわたと手の中でスマホが躍り、危うく床に落としかけたところで、ガシッと握りしめる。


 八つ当たり気味に声を掛けてきた相手を見上げれば、呆れ顔で見下ろしてくる異母弟おとうとと目があった。

 一体なんの用だと視線だけで訊ねた。


「あのさぁ、そんなに気になるなら電話でもメールでもいいからすればいいじゃん?」


 指先で頬を掻きながら、苦笑いを浮かべる相手からふいっと視線を逸らす。


「別に何も気になってなどいない」


 否定すると、すっと伸びてきた手がスマホを奪っていった。

 抗議の言葉をあげる前に、異母弟おとうとはとんでもない行動に出た。


「えーとなになに?『調子はどうだ、最近連絡がないから体調を崩してないか心配だ。お前の声が聞こえなくてさびし』」


「ーーっ!!」


 慌ててそれを取り返し、作成途中のメール内容を削除した。

 なんてことをするんだコイツは……。

 声に出して読むな。


「送信すればいいのに、何で消すかな。寂しいのなら、ヒロさんにそう伝えたら良いでしょ」


「……」


ヒロさんもフミちゃんから電話してあげたら、喜ぶと思うよ?」


「仕事の邪魔になる」


「ならないって!寧ろ活力だから。人に思いがけない行動をさせるのが恋だ!そして、孤独に立ち向かう心を支えるのが愛だ!命短し恋せよ男子……はちょっと無理だから、恋せよ男?恋しろよダンディ?」


「……意味が分からない」


 もういいから放っておけと、ひらひらと手を振った。

 体の力を抜いて、ソファーに深くもたれかかる。

 背後から異母弟おとうとが抱きついてきた。

 なんだ?と視線で訊ねる。


 ぐりぐりと頬を擦り寄せてくる相手の頭を、よしよしと撫でてやった。


「俺、史ちゃんに甘えるの大好き。ハグもちゅーも幸せいっぱいになるぜ。史ちゃんは?幸せ感じない?」


「……どうかな」


「なんだよ、龍二りゅうじさんロンリー。史ちゃんのイジワルに泣いてしまいそーです」


 でっかい図体をして……子どもみたいな異母弟おとうとなのだ。


「わかった。わかった……仕方ないヤツだな。弟に甘えられるのは兄としとは嬉しいよ」


「ありがと。でもさそれって兄弟限定じゃないよね。頼られたり優しくされたりするのは誰だって嬉しいと思うし、それが恋人同士なら尚更じゃない?」


 にこにこと笑いながら異母弟おとうとが言った。

 人嫌いな癖に何を言っているんだと思わないでもないが、口にはしないで「それで?」と先を促した。


「兄弟でもこんなに幸せを分かちあえるなら、弘さんとはもっと大きな幸せを分かちあえるんじゃない?とゆーわけで、電話しなよ」


 ソファーの上のスマホを拾い上げ、手の中に押し込んでくる。


「言い分は分かったが、却下」


「なんで。説得力なかった?」


「いや、十分だ」


 じゃあなんでさと、むくれるお節介の頬を軽く摘んでやる。

 お前の言いたいことも、心配してくれる気持ちも良く分かるよ。でも。


「僕がすがれば、あいつは逃げ道を失う」


「なにそれ」


「……お人好しってコトだ。自分のことより、相手の事を優先する。なにかをヒトに与えてばかりだ」


「あのさ。たぶんソレ、史ちゃん限定だから」


「そんなハズがない、あれは性分だ。出会ったときから変わっていない。愚かしいほどの優しさだ」


「……………ああ、うん。なんか、ごちそーさま」


 なにも御馳走した記憶はないが。

 おかしなヤツだな。


「それに……どんなに言葉を尽くそうと、どんな正論を掲げようと、世間の偏見と差別にまみれる関係だ。申し訳なくてこれ以上は望めない」


 あの日。

 震える手を握ってくれただけで、十分すぎるほどの幸福を貰ったのだ。



 繋いだ手はいつか、離れてしまうだろう。

 想いは嫌悪に変わるだろうか。


 恐怖はいつも心のどこかにある。

 それでも自分から手を離す勇気はなかった。

 ただ、いつか離れていくあいつを責めない覚悟だけを決めている。けれど、それは決して優しさではなく、弱さなのだろう。

 だけどそうしないと、とても一緒には居られない。罪悪感に、息も出来なくなるからだ。


 すりっと頬を寄せてくる異母弟おとうとが、静かな声で言った。


「そんなに、何もかも抱え込まなくてもいいじゃない。恋はひとりで出来ても、恋愛はひとりじゃ出来ないって知ってた?」


「……恋も恋愛も同じ意味だろう?」


「恋はひとりで育むもので、恋愛は育んだモノを相手と分かちあう事だよ。分かち合うものが愛なんだってさ」


「なら、僕に出来ることは、身勝手な恋だけか」


「そんなことないよ。俺とはちゃんと分かち合えてるじゃん」


「……龍二りゅうじ


 お前とあいつでは色々と違うだろう。

 立場も違えば、分かち合うモノの種類も異なる。


「相手の意見も聞かずに結論をだしちゃうから、恋から進めないんだよ。俺の話はちゃんと聞いて答えをくれるのに、弘さんが相手だと10歩ぐらい離れたとこにいようとするよね、心が。例えそれが相手を思っての行動でも、ううん、それなら尚更、ちゃんと理由を伝えなきゃ駄目だよ。俺だったら嫌われたのかなぁと思って泣くね」


「……今日は随分とあいつの肩を持つな」


「2ヶ月の放置が哀れ過ぎて。弘さん生きてるよな」


「便りがないのは元気な証拠だろう」


「そうだね。心が元気がどうかは知らないけど。さてと、真面目な話にも飽きたし、お出かけしよーっと。貴重な休みに心身をリフレッシュってね。史ちゃんもさ、ちょっと買い物にでも行ってくれば?落ち込んでる気持ちが少しはマシになるかもよ」


 それじゃあね、兄さん。愛してるよ。

 軽い口調でそう言うと異母弟おとうとは僕の額に口付け、鼻歌交じりに部屋を出て行った。


 異母弟おとうとが“史ちゃん”ではなく“兄さん”と呼ぶのは、大抵が気恥ずかしい時だ。

 余裕なふりをして出て行ったが、真面目な恋愛話が苦手な異母弟おとうとの内心は「これ以上はもう無理だから。マジな空気に堪えられない。だって俺は節操無しの遊び人だからねー」といったところだろう。


 普段は静観しているくせに、思わず口を挟むくらい、僕は挙動不審だったのだろうか……自覚、がないわけでもないけれど……。


 ふうっとため息をついた。

 異母弟おとうとの言葉を何度も反芻する。


 “相手の意見を聞かないから、恋から進めない”

 “嫌われたのかなぁと思って”


「二人で分かち合うことが、恋愛か」


 すっと目を閉じて、大切な誰かを脳裏に思い描いた。

 太陽のように快活な笑顔がそこにあった。

 少し記憶を遡ると、高校生のあいつがいる。この頃はケンカばかりしていた。

 その前は中学生。このあたりの接点は殆どない。浮かんで来る記憶は横顔くらいだ。


 そして、出会った頃の僅かな思い出。


 今と変わらない、明るい笑顔だ。

 その笑顔が、とても好きだった。

 そして今も変わらず……。


『待ってるから!』


 ぱちりと目を開けた。

 数秒、瞬きを忘れた。


 それは幼い頃の約束。

 果たさなかった約束だ。

 幼い子どもの精一杯。

 純粋でひたむきな彼の想いのすべてを、僕の愚かしい嘘が台無しにした。

 たった一つの隠し事は、誰もが持つ微笑ましい幼い恋を、罪深い二度目の恋へと誘う愛おしくも苦い初恋へと変えてしまった。

 

 後悔はいつもあった。

 優しい恋人に、申し訳なく思う。

 しかし僕はきっと、何度でも同じ道を選ぶだろう。

 もし、人生をやり直す事が出来たとしても、あいつが差し出す手をとらない自信はない。


 何度でも茨の道に引き込んでしまう。

 なんと身勝手だろう。

 だから、酷く申し訳ない。


(龍二の言うように、散歩でもしてくれば、鬱々とした気持ちも晴れるだろうか)


 ソファーから立ち上がり、携帯と財布をポケットに押し込んだ。

 外に出ると心地よい陽気だった。

 空は青く澄み渡り、暖かい春の日差しに心が少しだけ軽くなった気がする。

 

 待っているとそう叫んだ幼いあいつを、もう一度、脳裏に思い描いた。


 手を太陽にかざしてみる。

 眩しいその輝きを宿した笑顔に会いたくなった。

 いまもまだ、幼い頃と同じ気持ちで、言ってくれるだろうか。

 待っているよ、と。

 必要だと、欲してくれるだろうか。


「……会いに、行ってもいいか?」


 空を見上げながら、呟いた。

 同じ空の下にいるあいつを想う。

 身勝手な恋を終わらせて、お前と“恋愛”をはじめても構わないだろうか。

 逃げ道を奪って、苦渋に満ちた人生しか与えられなくても……それでも、側に居てくれるだろうか。


「ひとりで勝手に結論をだすから、恋から進めないか」


 異母弟おとうとの言葉を反芻した。

 唇の端に笑みを浮かべる。


 春の日差しの中を歩み出す。

 身勝手な恋にピリオドを打って、身勝手な恋愛を二人で始めるために。




 

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