第45話 なんかハチバン、無慈悲な殺されかたされないかな

 おれの車、というか、ハチバンが運転している赤いアルファロメオは追い越し車線の前方を行く紺色のロードスターをヘッドライトで脅して走行車線に追いやったけど、後ろ姿でなんとなく、キツネ色の運転手の隣に大きくて赤いのが見えて、すれ違いのときに確認したら、やはりおれの後輩のデコボココンビであるカオルとアキラだ。

 カオルはおれたちに、やあ、って感じでにこにこしながら手を挙げて、おれも、悪いね、って感じで手を上げた。知ってたの? ってイチバンに聞くと、なんとなくそうじゃないかな、って思ってた、とハチバンは答えた。

     *

 たいていの物語の登場人物は、これは誰かの物語の世界で、自分はただのその世界の登場人物なんじゃないか、なんてことは考えない。考えても仕方がないことだというのと、考えると話がややこしくなるという理由による。あと、おれのいるこの世界がリアルで、そのようなことを考えているのだとしたら、それは精神が病んでいる。つまり、世界と自分との関係をこじらせている。

 おれの物語を考えている誰か(作者)がいるとか、おれは世界中の誰か(読者)に監視されている、と思いはじめたら、なんらかの方法で、そのこじれきった想像から抜け出さないといけない。

 高速道路で、どの車も逆走してる、と考えるよりは、自分ひとりが逆走している、と考えたほうがいい。それが世界と自分との正しい関係だと思う。

 ただ、今まで物語を山ほど書いていて思うのは、その中でおれは人を殺したり殺されたり、それもときには何百人という単位でだったり、萌えキャラや推しキャラだったりするものを話の都合でひどい殺しかたで片付けたりするんだけど、そういうのってつまり、あちらの世界がリアルだとしたら、そこで生きてる人たちはどう思うんだろうな、ってことだ。

 これが、つまりこの世界が誰かの物語だとしたら、おれたちは高速道路で事故死するってことはない。そんな物語は聞いたことはないからね。

 おれが不安なのは、なんかハチバン、無慈悲な殺されかたされないかな、って。

 そういうことを考えるようになったのは、おれの体の中にいるアルコール星人のアルくん(アルチュール)と対面の会話ができるようになってからだ。アルくんは、おれが酒を飲まない限りは眠っていて、おれの体からは出てこないので、ひょっとしたらアルくんって、アルコール依存症の人が見るような幻覚なんじゃないの、と、おれは聞いてみた。

「何言ってるんですか、旦那にとっては幻覚でも、あっしにとっちゃあ、あっしはリアルですぜ」と、アルくんは力強く言った。

     *

 冬の日暮れは早く、おれの家を出たのは昼すぎぐらいだったが、もうあたりは夕景に染まっていて、前方を走る車の照り返しがまぶしかった。

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