第16話 アイ・ウッド・ネバー・フォーゲッチュー♪
「ユーにミートしたミラクルはマイハートにリメンバー♪」と、ハチバンはジャスラックからギリギリ歌詞の使用請求が来そうな来なさそうなラインのことを口ずさみながら、ニースの海岸通りの道を走って、ずーっと向こうのほうまで行く。
さらに「アイ・ウッド・ネバー・フォーゲッチュー♪」と、これは英語でも同じ意味の桜の歌詞で戻ってくる。
アクレナさんはハチバンと二人分の、コーヒーの入った紙コップを持って笑いながら歩き、おれは自分の紙コップからホットココアを、冷めすぎないように気をつけて飲みながら歩いた。
おれとアクレナさんは歩幅が違うので、少しずつ差が広がり、ハチバンはおれの3倍速ぐらいの速さで、アクレナさんから50メートルぐらい離れると戻って来る。おれたち3人の距離が等距離になるのは何秒後か、ぐらいの、物理の問題に出て来そうな感じである。
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過去の、おれとハチバンの出会いとそれから1年間の物語は、ゆるゆり系小説がひとつできるぐらいいろいろあったんだけど、そこらへんを話すと長くなるし、どうせ嘘だと思われるだろうからやめておく。
あれは小学校4年生のとき、流れ星を見てたらいきなりそれが家に飛び込んできてペット系の淫獣に変わり、きみも魔法少女になって星のかけらを集めるのに協力してくれないかと言われた。集められたのは七人の少女で、野武士星人と戦って四人が死んで、ひとりが村に残ることになった。おれとハチバンは生き残って日本に戻った。ほら、いくらでも物語は作れるよね。
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ハチバンは今度は海岸に降りていって、一緒に降りたアクレナさんと砂、じゃなくて玉砂利のかけあいをしてはしゃいでいる。アクレナさんは引き続き笑いながらハチバンの遊びにつき合っているが、一応気を使って、腰から上にはかからないようにしている。ハチバンは容赦ないのでもう、アクレナさんはぐじゃぐじゃである。
おれは、何でも中に入っている非おしゃれバッグからタオルを取り出して、岸壁に敷いて腰をかけた。かたわらには遊んでいるふたりの、飲みかけの紙コップが並んでいる。昔のフランス映画みたいだなあ、とおれはふたりを見て思った。映画音楽で有名なフランシス・レイもニースの出身だったっけ。
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おれが用意したミニタオルをハチバンは受け取って、ちょっとだけ自分についた砂利を落とすと、アクレナさんに渡した。
ハチバンは海外旅行だから、ということで、履きなれているおしゃれブーツは同じだけど、ひまわり色と当人が言う薄めのリゾート風ブラウスと黒っぽいミニスカート、それにうす灰色の薄手のコートなので、すこし寒く見える。鼻の先と目元の影が少し濃くなっていて、なんかまだ酔っ払っているような感じだ。ていうか、明らかにドランカーズ・ハイである。
アクレナさんはハチバンに聞いた。
「ところでハチバンさん、ずっと気になってたんだけど、あなたがときどき、え、とか、うんそうだね、とか、誰もいないように見える方向に向かって言ってるのは、何?」
おれは、やれやれ、という感じで両手を広げて、肩をあげた。うまく説明してくれ、ハチバン。
「あたしには、ナオという友だち、というか恋人というか、がいます。その子、というか、その人は妖精さんで、その人の存在を信じる人にしか見えません。エア友だちじゃないですよ! ナオはみんなの、信じる力で生きてるんです。アクレナさんが、ここにいるぞ、と思えば、あなたにも見えたり、さわったり、声を聞いたりできます」
アクレナさんはハチバンの話を、微苦笑のかけらも見せないで真面目に聞いていた。この人はいい人だ。
しょうがないので、例のやつ、よろしく、とおれが頼むと、ハチバンはうなづいた。
「ちょっと、目をつぶってください、アクレナさん」
まずハチバンは自分の眉間に左手の人差し指と中指を当てて上下に動かし、次にそれをアクレナさんの同じ場所に当てた。向かい合ってやると指が反対になるので、背中のほうから手を回す。昔の新婚早々の奥さんが旦那さんのネクタイを結んであげるような、今の二次元キャラのレズカップルが愛し合うときみたいなポーズですね。
「はい、これであなたにもナオが見えるはずです」
これは映像的演出で、別におれが見えるようにする方法はいろいろある。
「え…え…、きみ、いつからいたの? ハチバンさんのガールフレンド?」と、アクレナさんは閉じた目を開けると言った。
その日のおれの服は、白黒のややこしい模様がついたゆるいパーカーと、その日の地中海と同じ色のパンツ、それにいくら歩いても疲れないスニーカー系の靴だった。
「最初からいました。ガールフレンドじゃなくてボーイフレンドです。あと妖精さんじゃなくて吸血鬼」と、おれは自己紹介した。
日は西にだいぶ傾き、夕景の影は次第に長くなっていた。
おれの部屋にあった謎の風景画には「Twilight in Summer」という文字が書かれていたが、とりあえずここ、ニースは冬なので、その絵に添付してあった「私はここにいます」の「私」を見つけるのは無理だ。
しかし、半世紀ぐらい前の絵だったら「いました」でもいいと思うんだけど、なんで「います」なんだろう。
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