第15話 ネット小説なんかも読まれてるんですか?

 物語を作るのは楽しいし、それは読者がいてもいなくても楽しいんだけど、読者がいることがわかるともっと楽しい。

 一週間、各話のviewが0であっても書き続けたし、1000になっても書くのを怠けたりはしなかった。

 この楽しさは何なんだろうなあ、それは物語を作る側になってみないとわからないかもしれない。

     *

 多分、作家と読者が会った場合、ドキドキしてしまうのは読者、という物語のほうが普通なんじゃないかと思う。あの作品を書いた人がリアルで同じ空間の息を吸っていて、笑ったり困ったりしてる、わー感激、どうしよう、みたいな。でも、おれは、作品に興味を持つことはあっても作家に興味を持つことはほとんどない。まったくない、と言ってもいいぐらいだ。みなさん、これが物語だったとして、この物語の作者に会いたいなんて思いますかね。

「それって、具体的にはどういう仕事をしているという設定なんですか」と、そんな気持ちのおれを置いておいて、ハチバンはアクレナと名乗った紳士に質問した。なんだよその「設定」ってのは。

「日本の小説をアメリカやヨーロッパの国々に売ったり、映画化権の交渉をしたりする。そりゃ三島由紀夫と村上春樹は世界中に有名だけど、実は小川洋子や伊坂幸太郎も英訳より仏訳のほうが早かったんだ」

 伊坂幸太郎『オーデュボンの祈り』は、リョコウバトに関する悲しい話がメインテーマになっている物語なんだけど、仏訳ではオーデュボンによる表紙イラストがベニイロフラミンゴの、それも一部だけが使われている。いろいろ台無しな表紙だけど、フランスのマスタートン賞っていう、日本の泉鏡花賞みたいな賞の、翻訳長編部門を受賞している。

「あー、アメリカの編集者は日本語がわからないから、仏訳で日本人作家を見つけてたんですよね」と、ハチバンは言った。これは本当です。あと、アメリカの編集者は中国語もアラビア語も、ヒンドゥスターニー語もペルシャ語もわからない。知ってる外国語はスペイン語とフランス語だけ。

 おれは、指でハチバンをつついて、おれについて聞いてみてくれ、と小声で言った。

「ネット小説なんかも読まれてるんですか?」

「うん、はじめは仕事とか考えなくて、息抜きみたいな感じで読みはじめたんだけど、けっこう面白いのがあるよね。もう200ぐらいおすすめレビュー書いて作者フォローしてるし」

 おれはすこしがっかりした。それじゃ、おれのことなんか覚えてないだろうな。読者が作品のことを覚えていない度合いは、作家が読者のことを覚えていない以上である。この話読んだ気がするんだけど、どんな話だったっけ。誰が犯人で、どんなトリックだったっけ。それが、いい話であればあるほど思い出せないのは、うまいビールの味が、うまかった、ってこと以外には思い出せないのと同じだ。物語と味の記憶は、どこでどんな風に鑑賞したり味わったりしたかという、時の記憶と関連づけられる。夏の暑い日の午後、冷たいコーラを手にして読んだ大江健三郎とか、冬の西日が当たる中で猫を抱えながら読んだセリーヌとか。

「あ、あの、こういう話知ってますか、ナイスミドルの作家がある日目が覚めたら30年前の女子高生になってて、その世界では妹である主人公を溺愛する兄が刑事で、連続殺人犯がいて…」

 自分が昔書いた話だけど、あらすじを言われると恥ずかしい。

「知ってるよ! え、あなたも『おれの妹がそんなにナイスミドルなわけがない』読んだんだ。若い子にしては珍しいね。あれって、そう言えば犯人は誰だったんだっけ」

「それは、あたしが…あたしの…」

 おれはハチバンを肘でこづいて、指を一本立てて、首を横に振った。

 おれ、もしくはハチバンが、その物語の作者だとこの人には言わないで。

 アクレナさんは、リアルとネットを関連づけて欲しくない人のような気がする。

「はい、もうずっと昔から好きでした」と、ハチバンは答えた。

 そうだねえ、ネットに載せるには全然未熟なおれの物語でも、ずっと昔から好きだって言ってくれてたのはハチバンだったね。

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