第14話 おれは日本で最後の文壇バーで酒を飲む作家だ

 いつのころからか、親父は小説のための取材を控えるようになった。

 加齢による出不精とか、おふくろを亡くしてからのうつ状態とか(親父の話によると、おふくろは死んだんじゃなくて自分の国に帰ったんだという。まあおれも葬式の記憶はないんで、普通に考えたら捨てられたんですね、親父は)、まあそれは納得できるよなあ、という理由もあるんだけど、不可解なのはあちこちに行くとあちこちで死体が生まれる、ということらしい。

 ホテルに泊まればベッドの下に死体、和風旅館の露天風呂で全裸死体、豪華客船に乗ると非常用ボートに正装した死体、海岸に行けば男女の心中に見せかけた他殺死体。

 あまりにも不自然なので、各地の県警や警察庁のえらい人は、はじめのうちはこれはシリアル・キラーなんじゃないかと、第一発見者である親父を疑ったらしい。しかしちゃんと真犯人が見つかるし、動機もトリックもあるので、非公式ながら文書として「内山田康夫(仮。本当のペンネームはちょっと出せない)さんは犯人ではないので、捜査に協力してもらうように」という通達があったらしい。

 親父の解釈は、自分は誰かの物語(それも人が沢山死ぬ系のミステリー)の登場人物、それも名探偵なんじゃないか、ということで、おれもひょっとしたら多分そうじゃないかと思っている。

「息子よ、お前ならまだ物語の中にがっちり組み込まれているわけではないから、たいしたことにはならないだろう」と、親父は言った。

 でもそれだったら、もしこの話が物語だったとしたら、作者は結末をあんまりがっちりと考えていない、ということにならないか。

 なお、取材ではない外飲みは、親父は普通にやっていて、おれは日本で最後の文壇バーで酒を飲む作家だ、と銀座で言っているらしい。もちろん文壇バーも文壇ももはや存在しない。あとその設定は東野圭吾がすでに使っている。

     *

 おれたちはその、どんどん使い物にならなくなっている観光地のニースの海岸に面した店で、さらに数本のビールを飲み、もしこのビールが萌えキャラだったら、という設定で、ビール瓶を使ってきゃっきゃと遊んでいた。みだらな真似は許しませんよブリュードッグさん、いやんまたシメイちゃん硬いこと言っちゃって、ちょんちょん、だったりなんかして(ここらへんは広川太一郎のイメージで)。

 とかやってるうちに、高級サラミと高級チーズと高級ポテトチップス(要するに乾き物系)しかなかったおれたちのテーブルに、アメリカンサイズほどではないが、こじゃれたフレンチな店よりは十分に大きなサイズの、うまそうなものがどんと置かれ、三十代の伊丹十三みたいなナイスミドルの、東洋人と思われる男性が、にこにこしながら席についた。

 カリカリになりすぎないで肉の油が生きているベーコンと、ひとくちサイズに切られたあつあつのジャガイモ、しっかり火が通っているタマネギに、塩・胡椒・バター・にんにくで味付けした、ジャーマンポテトだ。

「いや、お嬢さんの話があまりにも面白くって。飲むんだったらヘーフェヴァイツェン、おつまみはボリュームのあるものを」

 その男性は、観光地なのに濃い色のスーツと、白いシャツを着ており、さすがにノーネクタイではあるが、ビジネスのついでというか途中でふらりと寄ってみたという風体だ。もっさりぼんやりした親父とほぼ同じ年齢ぐらいとはいえ、きっちりはっきりした口調で、その男性はおれたちにドイツビールをすすめた。

「うまい! うまいですよおじさん! やっぱビールは油っこいもの食べながら飲むのが一番だよね!」と、ハチバンは口の中を液体と固体でいっぱいにしながら言った。

 ハチバンの設定は安定していないのだが、さらに食いしん坊の属性が加わったようである。

「申し遅れましたが、私の名前は、ビジネスネームもネットネームもアクレナ、と言います。仕事はまあ、映画と小説を扱うプロデューサーです」と、そのナイスミドルは自己紹介した。

 その名前を聞いて、おれは椅子から落ちそうになるぐらい驚いた。

 もしそれが本当なら、この人はおれのネット小説を読んでくれた最初の読者のひとりだ。

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