第13話 うめーです、このフレンチビール!
親父が金を出してくれたので、おれたちは冬のニースにいる。
冬のニースにいる若者は、老人と中国人の観光客に奉仕する者ばかりで、バカンスに来ているフランス人はあまりいない。要するに、ちょうど半世紀前の若者が昔の思い出のために来るような街だ。日本だと熱海とか潮来みたいな感じ。
プロムナード・デ・ザングレは海岸通りに走っている道で、確かにヤシの木っぽいものが植えられていて、遊歩道も作られていて夕日がきれいだ。おれたちはもうじき死ぬ老人たちを見下ろすカフェにすわって、軽い食事とアルコール飲料を摂取していた。
「うめーです、このフレンチビール!」と、ハチバンはクローネンブルグ・ブランを飲みながら言った。世界で一番美しいそのビール瓶は濃紺で、おれたちが見ている地中海のほぼ冬の海の色に似ているはずである。
取材だから一番高いホテルに泊まってもいいよ、と親父は言ったが、今どきの007の映画でも古くて高いホテルなんかには泊まらないことになっている。
クローネンブルグはフランスで一番知られているビールのブランドだが、そもそもフランスではビールがそんなに飲まれているわけではなく、おれたちもサングリアを飲んでいる中国人観光客に下層階級のような目を向けられた。とはいえ、おれたちふたりが窓際の割といい席にすわれたのは、まあ客寄せですかね。なんとなく安心そうで、安く飲めそうに思えるのか。観光地値段なんで、街で買ってホテルの部屋で飲めば5分の1の値段ですむものを、おれたちは5倍の値段で飲んでいる。
「こんなのがうまいのかよ、フレンチというよりただのレモンビールだよこれ。あと、同じ会社の違う色の瓶のビールもあって、それはまあ悪くないんだけどね」と、おれは言った。
ハチバンは日本では20歳以下なのでアルコールは禁じられているが、フランスその他ではそうでない国もけっこうある。なかなかうまいこと考えてますね、この話に作者がいるんだとしたら。おまけに取材で行きました、ってことで、旅費・宿泊費・飲食代その他、全部経費で落とせる。おれの場合は一応、親父の代理取材なんだけど、大丈夫なのかね。コート・ダジュール殺人紀行とか、プロヴァンス鉄道殺人事件みたいなのをちゃんと書いてくれるかな、親父。
*
話はすこし前に戻る。
「この写真は、えーと、その、ベトナムだな。旧サイゴン、現ホーチミン市の海岸で、撮ったのはベトナム戦争の帰還兵で、いろいろつらいことが多かったけど、田舎に戻って、妻や子や孫たちに看取られながら平和に暮らしている。そんなところに、かつて男の所属する部隊に村を焼き払われたベトナム人の子供が、ナイスミドルの中年実業家になって、裏では殺し屋稼業をやっていて、アメリカ各地にいるその部隊の生き残りを殺している」と、おれは物語を作った。いくらでも作れるなこういうの。
「その役は俺だな」と、トム・クルーズに似ている親父はようやく酔いから覚めて、おれの部屋に勝手に置いてある自分のジャージに着替えて話に参加した。
「いや、東洋人の役をトム・クルーズがやるのは無理かな。殺し屋の役だけだったらできると思うけど」と、おれは言った。
「納得できないのは、そもそもベトナムじゃ沈む夕日見られないんじゃないの? それじゃシルベスター・スタローンだって納得しないよ」と、ハチバンは言った。
「そんなことないよ! ちょっと南のほうに突き出ている岬があって、その西側だったら大丈夫なんだ。ブンタウで検索してみろって」
ハチバンは、ぐぬぬ、という顔をしたけど、なんか街の雰囲気は確かに東洋っぽくないんだよね。だいたい、ベトナム帰還兵が描いた絵にまつわるミステリーって、もうあるんじゃなかったっけ。うろ覚え検索だとうまく見つからない。
「取材に行こう。じゃなくて、お前らが行ってきてくれ」と、親父は言った。
「ニースの警察署長に連絡するから」
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