第4話 フィリップ・マーロウの図体がでかいのは、レイモンド・チャンドラーのせいだ

 ネットジャンキーのナイスミドルが一番恐れていること。それは、自分の名前(真名)で高校生の娘に検索されることである。

 そんなことは比較的どうでもよくって。

     *

 ハチバンは大学1年生で酒が飲めず、おれは大学3年生で飲んでも問題はない。だからハチバンはオフ会の翌日でも少し寝不足だけど平気で、ブランチのドライカレーパスタをばくばく食べており、二日酔いのおれはスープカレーパスタをこねくり回しながら食べている。ハチバンは昨夜、おれの家に来るまでに3回地下鉄を乗り換えて尾行をまいたと言い、おれはぐでんぐでんで家から100メートルのところでタクシーから降りて歩いた。

 おれのネット小説を読んでいる人たちによる秘密のオフ会は年に4回ぐらいやってて、それはおれがだいたい年に4つぐらいの話を完結させるからだ。メンバーは毎回6から8人ぐらいだけど、4から5人ぐらいは違うメンバーになるようにやっている。メンバーは、ハチバンがトランプみたいに加工した読者のカード(ネットで仕入れた情報限定)を数十枚広げて伏せて、その中からおれが選んでいる。不公平にならないように、顔とか性格では選ばない。小説の作者はハチバンってことになってて、この先、この登場人物はどうなるんですか、とか、この人は殺さないですよね、みたいなみんなの意見を聞く。ハチバンは、どうしたらいいのかなあ、とか、なるべくひどくない方法で殺すよ、みたいに適当に、おれが答えるよりも多分上手に答える。読者は圧倒的に女子が多いんだけど、男子の意見も参考にしたいので、ふたりぐらいは呼ぶ。おれはみんなの質問とハチバンの回答を、目立たないようにメモする。動作とか会話のリアクションは、ネットでは得られない情報なので、じっくり観察して小説のモデルに使うことにしている。

     *

 親父はおれたちより少し遅れて、食事をしている洋食屋にやってきて、カウンターでカキフライを食べながら店長と話をしていた。そのうちに常連が親父の周りに集まって、雑談したり高笑いしたり、夜の飲み会の相談などを大きな声でするようになる、というのがいつものパターンである。

 スランプになる前の親父は、毎月描き下ろしでミステリーを1冊出していて、その合間に新聞の連載小説を書いていたから、毎年十数冊の新刊が、今はもうない駅前の書店に並んでいたこともある。だって書けちゃうんだから仕方ないだろう、というのが親父の話で、書けなくなった理由のひとつは、朝起きたらまずビールを半ダース飲むという一時期の生活のせいだった。

 今はもう、朝から酒、というのはやめて、午前中だけ仕事をすることにしたから、年に何冊かは本が出せるんだが、そんな作家はミステリー作家に限らずどの分野の小説書いている人でも今や数人しかいない。親父はシリーズの探偵ものの話をいくつか持っていて、それが時々テレビドラマになったり映画になったりするから、その原作料が入り、さらにアメリカでも舞台をアメリカにしたテレビドラマになっている。だから親父(とおれ)は売れっ子作家時代よりほんのすこし貧乏になっただけだ。しかし肝心の小説のほうは、新刊出してから3か月ぐらいしか売れない、と親父はぶちぶち言う。新古書店と図書館のせいやね。親父も紙の本なんかやめて電子書籍だけにすればいいと思うんだけど、そこらへんが古い考えの人間なんだろうな。

     *

「ときどきおれは、というよりしょっちゅうかな、自分というものが実在するかどうか疑ってるんだ」と、おれはハチバンに言った。

「つまり、おれって、親父が書いた小説の中の登場人物にすぎないんじゃないか、って。だって、こんなに小さくてかわいい名探偵なんて、おかしいだろ」

 おれがそう言うと、ハチバンはおもむろに、口のなかのパスタを飲み込んで(口にしていたものが炭酸飲料とかだったら、派手に吹いていたに違いない)、リアルのテーブルを叩きながら大笑いをした。

「『なんでそんなに大きいの』『ぼくのせいじゃない』って、レイモンド・チャンドラーの小説、探偵役のフィリップ・マーロウのセリフだよ」

「そうだな。で、フィリップ・マーロウの図体がでかいのは、レイモンド・チャンドラーのせいだ。その探偵は、自分が誰かの創作物の中の登場人物だとは気がつかない探偵だけど、おれは気がついている」

「とりあえず、小さくてかわいい、ってのは置いといて。あたしの主観でもナオは男子にしてはすこし小さめで、少し美少年すぎるね。女装するとよけい目立つし。でもさ、こうも考えられない? ナオのお父さんは、ナオが書いた物語の登場人物のひとりである、って」

「うーん、その考えはなかったな」

 などといろいろ話していると、べつにおれたちのせいで大きいとは思えない、身長180センチで体重0.1トンぐらいありそうな、短かい髪の毛を立てて目つきの悪い、昔のパンクロッカーみたいな格好をした男性が入ってきた。ハチバンがハチだったら、ブラストのヤスさんに毛を生やしたみたいな感じになるところだけど、これはおれが高校時代から知ってるアキラという、おれの大学の一年後輩だ。

「こんなとこで会うなんて珍しいねえ。何その花束。あたしへのプロポーズみたいな?」と、ハチバンは声をかけた。

 アキラは確かに花束を持っていて、ハチバンとは昔つきあっていたこともあったという設定で、今は赤面している。

「ていうか、俺のほうこそ、なんでここにハチバンが、って感じなんだけど」と、アキラは言った。

「あー、ナオの住んでるとこがこの近くで、一緒に食事でも、と思って」

「ナオちゃんとかって、お前がずいぶん前から言ってるエア友だちだったっけ?」

 アキラの言葉に、おれは手にしていたスプーンを皿の上に落として愕然とした。

 …おれは、ハチバンが頭の中で作ったエア友だちなのか?

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