第2話 部屋でずっと会話しててもいいんだけど、そういう冒頭になっている物語って何かヘタに見えなくない?

 ハチバンはおれの部屋に勝手においている複数の服の中から、今の季節には少し暖かそうには見えないおしゃれで高そうな、女子力高そうな服(そう言えばその服は、以前オフ会に行ったときのものだった)を選び、その上から、昨日の夜のオフ会に着ていった、うさぎかきつねを思わせるうす灰色の、これは暖かそうで高そうなコートを着た。動物にたとえるならむしろ、お散歩を待っている犬だな。

 部屋でずっと会話しててもいいんだけど、そういう冒頭になっている物語って何かヘタに見えなくない? というのがハチバンの意見で、それは確かにそうなんだけど、別におれたちは物語の登場人物なわけじゃないんで、いや多分きっと絶対ひょっとしたら違うと思うんで、どうもハチバンの話には説得力があるようなないような、夢の中で夢の話をしているような気持ちになる。おれが読んだ物語(それによって金のやりとりが可能なレベルの完成度のもの)では、冒頭の数十ページにわたって延々と、主人公と登場人物が、ひとつの部屋の中で話をしているのもあるんだけど、その場合は相手が地縛霊だったり幼女だったり人形だったりするから、外に出て話をする、ということができないという理由づけがちゃんとあるし、ヘタに見えなくは全然ない。ネット小説にそういうのが多くて、なおかつヘタに見えるのは、多分何を書いてもヘタな創作者がいるからだろう。

 おれは吸血鬼の血を継ぐ者(という設定)だから、別にいいじゃん、だるいなーと思いながらメイクを含む女装をして、黒っぽい外出着に着替えた。まあ、図書館に本を返すのと、ビールを買い足す用事もあるから、そこからさらに近くの、パスタとカレーがおいしいという評判の店までスープパスタカレーを食べに行くことにしたのである。

 ハチバンは忠犬ハチみたいだからそういう偽名にしているわけじゃなくて、映画『十二人の怒れる男』で、容疑者の推定無罪を最初に主張し、陪審員の全員を説得し、納得させた男に由来するらしい。最後にこの男の名前(真名)はデーヴィスと明かされる。もちろんおれはハチバンの真名も知ってはいるんだが、物語の中に出すにはいろいろ問題があって。

 そしてハチバンの口ぐせは「納得できない」で、そんなにしょっちゅう使われるわけではないが、その場合はおれが泣く泣く、ハチバンに納得できる物語を考えることになっている。

     *

 おれが住んでいるマンションは親父が一番稼いでいたときに買ったもので、20階建ての一番下にはコンビニとスーパーがあって、2階と3階が図書館になっている。マンションは作られてから20年ぐらいは経っていて、あちこち経年劣化しているが(非常口の階段の手すりがところどころサビてるとか、そんな感じ)地下鉄も含めた複数の路線の駅もすぐ近くで、住むには問題ないし、景色はいいし、買い物も便利で、本は読み放題である。

 もっとも、そのマンションがあるのは目黒や世田谷、渋谷といった山の手ではなく(世田谷区には地下鉄はなく、荒川区には荒川がない。豆知識)都心の東寄りのほうで、買ったのは20階建てマンションの15階。ベストセラー作家といってもせいぜいその程度の稼ぎである。

 えー、なんで借りてた本、育児と料理の本ばっかなの、とハチバンはおれが返す本を見ながら言うが、神話事典とか古代の戦術書・歴史のような、おれが書いてる物語に必須の資料本は、しょっちゅう利用してメモするし、図書館にはなかったり貸し出しをしてくれない本が多いので図書館は使えない。物語に子供とその母親、そして料理をするならどんな料理が可能か、ファンタジー世界のヒントになりそうなものを借りてちょい読みしただけである。

 そんなハチバンは、「最近図書館に入った本」とか「本日返却された本」の棚などに漠然と目を通しながら、あ、これ面白そう、とか、時代小説やらミステリーの新しい作家の本を手に取っている。

 余談ですが、今まで市販されているたいていの現代を扱った物語には、図書館ばかり利用して本屋で新刊を買わない、という本好きなキャラは滅多に出てこない。本好きな、今ごろはナイスミドルの世代なら、中・高校生時代にせっせと図書館を利用したと思うんですけどね。金がないから。これは、もしこれが物語だったとしても、図書館で本を借りまくるキャラクターは出てくるのである。町の書店はほぼ壊滅してるし、漫画とライトノベルはどうせ図書館には置いてないから、電子書籍やネット書店で買う。

 ハチバンは結局、数年前のベストセラーの文庫化されたものを2冊に、時代小説をお試し的に1冊借りた。おれは家庭で気軽にできるアフリカ料理の本と、泣かせて育てる小学生の育児本、というのを借りてみた。

 そういうことをしているときに、帽子にうす黒色のコートと黒眼鏡で、こそこそとおれたちを見ている不審者を発見した。少し若いときのトム・クルーズに似ていて、背丈も同じようなそのナイスミドルは、おれの親父である。親父はさすがにミステリーの新刊ではなく、岩波書店の固い表紙の、古典文学の本を手にしていた。

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