第57話

本当に酷い世界だ。こんなに弱い人に、こんなに強がらせて滅んでいく。


「カルマ……私はあなたが嫌いだった。いつも偏屈で、卑屈で、嫌味なほど冷たい事しか言わないあなたなんて、人間じゃないと思ったぐらいだった。でもそうじゃない、あなたのそれは全部優しさだった。自分が同じ目に遭っていたら、きっと誰もがそう望んだ。でも誰だって、自分が悪者になるのは嫌だから、誰かが傷つくことから逃げて、自分が傷つかないように守っていただけだった。」


カルマの言葉は、苦しみから逃げたいわけでも、この世界を見捨てたいわけでもない。ただそれが、正しいと信じているから。


それが、世界を救う方法だから。


「私達はあなたみたいに強くない。きっとこれからも、誰かの苦しみに寄り添う振りをして、自分の苦しみから目を背けようとする。自分の弱さに目を背けたまま、弱い誰かを助けようとする。でも、それでいいんだね。私達は強くならなくていい。あなたが強いままでいてくれるから。」


ヘラの腕が伸び、原型をとどめていないカルマの頬に掌があてがわれる。その曲線を指筋でそっと撫でると、ふわりと起き上がった上体と共に、持ち上がった唇が柔らかく重ねられる。


静かに絡ませた舌先が糸を引く。熱を帯びた甘い糸は、名残り惜しむかのように残って切れた。


「あなたが私を救ってくれたこと、こんな私を抱きしめてくれたこと。必要だと言ってくれたこと。とても嬉しかった。」


蕩けた眼差しの向こうにあるのは、運命を呪う熱く煮える涙。


「カルマ、あなたを愛してる。」


そして、それがもう一度頬を伝って落ちた時、眼差しは、覚悟の炎を滾らせる。


「愛しているから……私が殺すッ!」


 もしこの世界をカルマが救うなら、カルマを救えるのは、私しかいない。私が救ってあげなければ、カルマは永遠に、世界を救い続ける苦しみに囚われてしまう。


 そんなの嫌だ、あなたはもっと笑って生きなきゃいけないはずなんだ。


「うっ……ああああああああああああっっ!!」


 雄叫びと共に、鞭に押さえつけられた手足に力を籠め、抉りこんだ地面ごと引き剥がそうとする。持ち上がった土塊はボロボロと鞭の手から零れ落ち、ヘラの手足に絡みつきながら離れまいと締め付ける。


「こんなの……っ!!」


 絡みつく鞭に動作を制限され、思うように力が入らない。だがこれが魔力の塊ならば、魔法の使い手であるヘラにはいくらでも対処する方法がある。


 どんなに不利な状況に陥っても、サディスから譲り受けた相棒だけは手放していない。


強制遮断シャットアウトッ!!」


 流し込まれた魔力に乗る思いを汲み取ったプラズマアメジストは、その思いをさらに増幅させながら、赤紫の輝きを眩いほどに放出する。魔力の鞭は、その光の差し込んだものから徐々にドロドロと地面へ滴り落ちていく。


 解放されたヘラの体。だがそれを、安々と逃がしてくれるような相手ではない。


「【ゲル・ラプチュア・リヴァイアサン】!!」


鞭は牙をむき出しにしながら蛇に姿を変え、しなやかな体をうねらせながらヘラに襲い掛かる。向かってくる蛇の牙を防ごうと杖を構えるヘラ。だがそのその予測を裏切るように膨張した蛇の体が、噛み痕を杖に残したまま爆ぜた。


「ぐうっ!?」


 吹き飛ばされる体は姿勢を崩し、受け身を取ることもままならないまま背を打ち付け地を滑る。


「はぁ……はぁ……。」


 死んでもおかしくなかった一撃。飲み込んだ息が胸を打ち付け、呼吸がますます苦しくなる。


「あぐあっ!!……ぐぅぅ……ぐあああああアアアアアッッ!!」


 その向こうで聞こえる咆哮。もはや人としての姿を保つことすら難しいカルマの体が悲鳴を上げる。純粋な紫色の魔力体とかした左足の指が、ボコボコと蠢いて破裂する。彼が魔法を発動するには、大きな代償が伴ってしまうのだ。


 立ち上がらなければならない。こんな残酷な結末に、早くピリオドを打たなければならない。


 彼を、救うために。


「はぁ……はぁ……、はあっ!!」


 決意を込めた銀杖を支えに立ち上がるヘラ。気合を吐きながら新たな魔方陣を彼の周囲に生み出した。


 彼女に持てる、最強の一撃。


「【炎水雷風・狂鎖連撃エレメント・ディザスター】アアアッッ!!」


 彼と共に歩んだ時間の全てをこの一撃に乗せる。爆発は海を干上がらせ、雷鳴を呼び覚ましながら吹き荒れる。必死の世界に閉じ込められれば、いくら不死身のカルマとて無事では済まない。


 轟音とともに飛び散る血飛沫。それが大地へ還っていくと、そこには確かな存在を示した大地が固まる。カルマの魔力が、「無の領域」を上書きしながら、新たな世界を創造しているのだ。


 それは紛れもなく、世界の救済。かつて消えていった者達が、もう一度戻るために生み出された場所。


(……これでいいんだよね?カルマ。これがあなたの望んだ結末。あなたが背負った運命……。)


 風に運ばれ飛び散っていく彼の命の息吹は、消えかけていた世界を彩り創り変えていく。滅びかけていた世界が、もう一度息を吹き返そうとしている。


「グウウウウアアアアアアアアッッ!!」


 しかし、カルマの中に眠る獣はあがき続ける。咆哮と共に飛び出たのは、羽を模った一対の凶刃。吹き荒れる嵐をものともせず、空を切り裂きながら真っ直ぐヘラへと突き進んでいく。


(しまっ!!……いや!!」


 猛進した羽は勢いよくヘラの右わき腹と心臓を抉る。だが羽の動線を見きっていたヘラは、心臓付近にだけわずかな防御魔法を張り、後ろに引いた左足で痛みを堪えきってみせた。体の熱が奪われ、血の気が引いていくのがわかる。【炎水雷風・狂鎖連撃】を優先したためだが、これでは自分もそう長くはもたない。


(これじゃダメ……もっと、もっとだ!)


 ヘラはエレメント・ディザスターを維持しながら魔方陣の組み換えを始めた。普通の魔法使いでは、魔方陣を組み替えただけで効果が切れてしまうが、ヘラは複数の魔方陣を同時に操る事ができる。自分の持てる長所を生かした、最善の作戦。


 文字通り、次の一撃で全てをぶつける。


「カルマ……これで終わりにしよう。あなたの願いは、もうあなただけのものじゃないんだよ。」


 魔方陣に込めた力は、光、光、光。ありったけの輝きを、世界の生贄を救うために込める。


 熱い目頭を喰いしばって、喉が焼ききれそうな程に叫ぶ。


「【裁定を、ヘラの名のもとにおいてジャッジメント・フロム・ヘラ】!!」


 消えていく世界に打ち上げられた 巨大な閃光。絶望に陰り、苦汁に沈んだ暗黒の世界を隅々まで照らしていく。


 そしてその中心にいるのは、世界を救うために狂気に堕ちた英雄。打ち上げられた意味を持たぬその体は、光の生贄となったように、その破片を世界の隅々まで散らばらせていく。そしてその破片は、失われた世界に姿形を取り戻し、かつて全ての生き物が永遠に感じていた姿を取り戻していく。


 あぁ、終わったんだ。彼の悲願がようやく果たされた。もうこんな苦しい思いはしなくていいんだと、止まらない頬の冷たさを拭いながら、引きちぎれそうな胸を必死に抑え込む。


 その時、その心を体現するかのように世界が割れた。ヘラの放った魔法の負荷に、滅びゆくはずの世界が耐えられるはずもなかった。時間と空間から切り離され、別の次元へと落ちていく。


 それすらも、彼の救済で元の姿に戻るのだろう。だがそこに、彼と彼と共に歩んだ私の影は無い。だがそれでもいいと思った。世界の生贄が、彼だけである必要はないのだ。それなら、私は今まで通り彼の隣に居たいと、ヘラの胸の内は騒いでいた。


 世界の復活を見守りながら、彼女はゆっくりとどこかへ歩んでいく。


 立ち止まり、膝を落とし、地面に横たわるそれを抱き上げ、どこか遠くへと消えていくシエンダふるさとを見つめながら見送った。


 そこに悲しみなどなかったのは、抱き上げた少年が、安らかな表情で笑っていたからだ。

 



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