第55話 決戦Ⅲ

 沸々と膨らんでは弾ける感覚を噛み殺し、構えた剣の先を向けるアルスと対峙するカルマ。気合と忍耐力で、魔力の暴走を寸前のところで踏み留めている。あまり時間がない中で、これをアルスと戦いながら制御し続けるのは難しい。


 それでも、大願はもう眼の前にある。


「お前……魔王の魔力を喰ったのか?」


 アルスは驚いていた。恐らく魔王の魔力を喰らったことに驚いているのではない。あの圧倒的な魔力量を取り込んだうえで、尚もこうして自我を保っているというのが恐怖なのだろう。行為に怯えているのなら、その剣先は怯まない。魔力の暴発は勝手に起きるもの。わざわざ怯えながら待つことはないのだ。


「ああ。……だが足りない、俺と、こいつと、そしてお前の力が、俺の目的のためには必要だ。」


「目的?……何のつもりだ?」


 この世界において、ここまで自分の目的に執着するものも珍しい。それも、人からすれば至極どうでもいいものではなくて、全世界の人間を巻き込んでいくような、そんな大それた大迷惑を働くやつなんて、無の領域に世界が呑み込まれ始めた頃からはもういない。


 誰もが、そんな事はしても無駄だと悟らされたからだ。


 だからこそアルスは尋ねた。自分の知らない何かを、この男は持っているかもしれないと感じ取ったからだ。


「……お前には関係のない事だ。時代の敗北者。」


 そんな期待を、カルマは嘲笑う。


 時代の敗北者、救う価値のない世界を救うために生まれた勇者など、まさにそう表現するほかないのだろう。アルスにも胸の内に込み上げる怒りこそあるが、それを吐き出したところで楽になれるとは毛頭思わなかった。


「俺達はいわば生贄だ。この世界、この状況、この瞬間の為に捧げられた生贄だ。去り行く時代に、俺達の名は刻まれない。ならここでお前が何をしようと、どうという事はないだろう?」


 アルスは唇をかんだ。その直後、気が付けば体は地を跳ね、横なぎに構えられた剣がカルマの首を目がけて寝かせられていた。


 一閃。甲高い音が幾重にも重なって世界を揺らすとき、どこともわからない世界の切れ端が綻び始めた。


「俺は勇者だ!俺は皆を護るためにここに居る!だけどそれはもう叶わない。誰も護られることを望んでいない。誰も護ることもできない。……だがこんな最後は認めない!俺は最後の最後まで、勇者として立ち向かって見せる!!」


 溢れ出る勇は蓋世。蒼白く世界を照らすその輝きはまるで蒼天のよう。どれだけ世界が廃れようとも、見上げる空だけは変わらず青い。アルスの放つ輝きは、それを体現しているかのようだ。


 それでも世界の滅びは止められない。絶望した彼に、それでも魔王は「有終の美」を提示した。世界に絶望したのは彼も同じだ。だが彼は、アルスに諦めない選択をくれた。


(諦めたら終わりだ!世界も、俺達も!だから最後まで、醜くもあがいて見せる!)


 倒すべき相手に教わるとは皮肉だが、それがアルスの剣に勇気をのせている。


 決意のこもった重みのある一撃、出会ったあの瞬間からは想像もできなかったその強さに、カルマは自らの翼を震わせる。


「…………虚しいものだな。」


ふと、重たくのしかかるような声で呟いた。


「……何がおかしい!?」


アルスが目を疑うのも仕方がなかった。魔王の魔力を吸収し、今にも暴れ出しそうなそれを抑え込みながら、魔王の一撃を相殺するだけの威力を持ったアルスの一振りを受け止めているカルマに、


それなのに、まるで時代に抵抗するアルスを嘲笑うかのように、カルマの口角が小刻みにヒクついているのだ。


アルスは一撃に更なる力を込める。これ以上の余裕を持たせないために、魔王が作った好機を逃さないために、今ここでこの化け物を仕留める。その気概を刃に乗せる。


だが、硬い鱗で覆われたカルマの翼はビクともしない。それどころか、さらに硬度を上げている。


「なんだ……なんだその力は!!?」


アルスも負けじと力を上乗せする。だがそれよりも、カルマの防御が上回る速度の方が早い。


「もし世界が少し違えば、お前は世界を救えたかもしれない。争いの火種を消し、平和への道しるべを灯し、人々の安寧を見下ろし微笑むような、安らかな眠りを与える陽の玉のようになれたかもしれん。」


それでも諦めを知らないアルスの剣が、ギシギシと硬く閉ざされた殻を打ち砕かんと威勢を上げる。


だがカルマの翼は、そんな勇猛な刃でさえ飲みこもうと、刀身に殻の残骸を走らせる。


「だがそうはいかんのが絶望だ。絶望には正攻法で挑んでも勝ち目はない。そもそも勝利など無い。永遠に挑み、戦い、あがき、もがき、苦しみ、打ちのめされ、立ち上がり、伏せられるのが絶望だ。お前の勇がどれだけの光を放つとしても、それだけ闇がお前を飲み込み続ける。お前はわかっていたのだろう?この戦いに意味などないと。だが魔王の背中に触発され、お前は世界を諦める事に恐怖した。身勝手な戦いに大義を貼り付け、その勇んだ剣で世界を壊しただけだ。何も、何も変わりはしない。世界は、お前では変えられない。」


アルスは唇を固く締め上げた。


「……だったらなんだ!それしかできない俺に、他にどうしろと言うんだ!俺は勇者の使命を果たせなかった!それでも、どんなにカッコ悪くても、どんな情けない最後になっても、俺は勇者でいると決めたんだ!それしか……それしか俺にはできないんだ!!」


蒼白い翼が焼け付くような温度を纏って噴出する。バチバチと弾けながら燃え盛る花火の粉が、カルマの体に僅かに焼き付く。


カルマは、その輝きに目が眩まぬように瞼を閉じた。


「…………そうか。だが、そんな絶望にも立ち向かう術がある。……ただ狂えばいい。狂気的な程に求めればいい。飢えて涎を撒き散らす犬のように、渇き舌を垂れ出すロバのように。例え世界が暗く閉ざされても、濃淡さえ忘れなければ形は残る。色をつけるのは、また世界が救われてからでいい。それでも、まだ遅くはないはずだ。」


「……何が言いたい!?」


「……お前の力は、世界を護るためにあるものだ。なり損ないの敗北者として、世界とともに滅びる必要などない。」


「ッ!?……。」


カルマの掌がアルスの剣の刀身をつかんだ。その直後、握り手から生まれた抉り傷が蒼白い炎を吸い上げていく。


「ぐっ…………ぐおおおおあああああああっっ!!」


「ッ!?、お前……何を!?」


痛みどころではない、全身の血管をくまなく灼熱が焼き尽くしていく。それはもはや言葉にできない。ただ自分のありとあらゆる細胞が、灰色に変わっていく様を延々と味わい続ける。


「魔王の魔力に加えて俺の魔力まで……お前、死ぬつもりか!?」


「死んで死ねるのなら本望だ!!……俺は……俺は死ねん!この世界を救わない限り、俺は永遠にこの世界の滅びと共に生き続け、救われない恐怖を流し込まされ続ける!!その苦しみが、苦しみですらなくなったそれを飲み込み続ける地獄が、お前に想像できるか!?」


言葉どころではない。その一言一言を耳に入れるだけで、気が狂いそうなほど途方も無い時間が頭の中に流れ込んでくる。アルスはその悶絶苦を必死に剣で振り払う。


終わりだ、彼に飲まれてしまえばすべて終わってしまう。それがいいのかもわからない、わからないからこそ、体は恐怖のあまり足掻き続ける。


「寄越せアルス!貴様の力を奪って、俺は世界の生け贄となる!!俺の渇いた心を満たすため、滅んだ世界に、希望の潤沢をもたらすために!お前を、お前の魔力を喰らう!」


カルマの体が、打ち波の如く怒涛の勢いでアルスの魔力を吸い上げていく。


「ぐっ、ああああっ、ぐあああああアアアアアアアアアッッ!!」


カルマの咆哮が天高く響き、綻びで秩序を失った世界を揺らし、崩していく。


「がああっ……ぐっ……おおっ……。」


カルマの手が、アルスの剣から離れた時、ろくに力の入らない膝を、地面に剣を突き立てて支えるアルスがいた。


「こいつ……本気で……俺の魔力を持っていきやがった……。」


目眩、眠気、柔らかな涼風が肌を撫でたのにも気づかずに、アルスの手が剣から離れた瞬間に、ひび割れた大地がその体を受け止めた。


「ふっ……ふはは……っ、フハハハハハハハハハ!!」


高笑いが虚空に響く。空気は冷たく、渇いた風は大地から潤いを奪っていく。更々とした砂煙が、かまいたちを尻尾を追っていく。


「これで……これで全て揃った……世界はようやく終焉する。待ち望んだ瞬間がようやく、俺たちに光をもたらして……。」


ぼこり-。


突然に、カルマの丁度心臓のあたりが隆起した。


止まる時間、軋む空間。


ボコボゴボコボコボコボコボコボコッ-。


「がるあっ!?……ぐっ、オオッ……ウ″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ッ″ッ″!!」


それに追随するように、カルマの全身が隆起しては蠢く。暴れのたうちまわるその様子は、まるで体の中に蛇を飼っているかのようだった。


その刹那、世界が揺れる。


「ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ッ″ッ″-」


もはやそれは人のものではなかった。ドロドロと溶け出す全身から、穴という穴から暴れでてくる魔力体が悲鳴を上げながらのたうちまわる。


世界を背負い、その全てを受け止め続けた体はもう保たない。使命に駆られ囚われた愚かな運命を、滅びゆく世界は見守ることしかできない。


それを止められるのはただ一人。


この世界に取り残された、最後の一人。


そのつま先がふわりと、渇いた大地に降り立った。


「カルマ…………。」


淡い水色の魔装束を纏った少女が、生まれ変わった救世者の前に降り立った。


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