第54話 決戦Ⅱ

 煌びやかに鋭く伸びる左右対象の四対の翼は、まさに命を刈り取るにはふさわしい形をしていた。


 並の者ならばそれだけで圧倒される。だがこの場には、その程度で物怖じするような臆病者はいない。


 むしろこの状況に興奮すら覚えるのだろう。


 神々しく輝く、魔力を開放したカルマに飛びかかった一筋の黒い影は、その膨大な魔力ごと拳を打ち込んだ。


 吹き荒れる風と砂嵐。魔力と魔力が衝突し、大気はその衝撃で火花を散らしながら荒れ狂う。


「へっ!!……いいねぇ!!大口叩くだけの事はある!」


 魔王は、その拳を更に打ち込むように魔力を震わせ、重機で壁を殴りつけるかのような重厚な音を響かせる。その重々しい一撃を受け止めるのは翼一つ。それでも、カルマには表情一つ変えるそぶりすらない。


「……粗暴だな、魔王。」


「いいじゃねぇか!戦いってそういうもんだろ?」


 一目見るだけで魔王とわかるその男を、カルマはただ無機質に受け止める。無邪気に向かってくる魔王とそれをただ受け止めるだけのカルマ、だが魔王の潜在能力をカルマは未だ量りきれずにいた。快活な一撃の中にある本質を、未だ見抜けずにいる。それがやがて油断に繋がる事は明白だった。迂闊に反撃ができない。


 しかしカルマには、それよりも注意を向けている事がある。


「……お前は、何もしないのか?」


 勇者アルス、ここに来て彼が、カルマの記憶には無い力を解放しているのだ。その力が未知数なだけに、単純な魔力の質量でぶつかって来ている魔王よりも警戒が高まる。それこそ、先手でも打ってくれればいいものだろうが。


 何故かアルスは、剣を構えたまま動こうとしない。


「カルマ……お前は一体、何者なんだ?」


 アルスには、カルマの姿が天使か神にでも見えているのだろうか。多くの挫折や敗北から立ち上がってきたアルスの剣は、カルマの姿の前に絶望の瞬間を彷彿とさせられているのだろうか、小刻みに震えながら柄を強く握り締めている。だが今更、絶望や挫折に折れるような膝ではない。それに立ち向かう覚悟は既にできている。


 その相手が、カルマだという事を除けば、アルスはその剣を迷いなく振れる。


「俺が何者であろうと、お前がそこで何もしなければ世界は変わらんぞ?」


 アルスは、カルマを決して強いとは思っていなかった。ただ奴隷に満足な服も着せる事もできない、あげく舐めた態度を取られる情けない奴だと高をくくっていたほどだ。


 それなのに、それがまるで最強の存在のように目の前に立ちはだかっている。


 それを、身体がうまく呑み込んでくれないのだ。


「……どうした?描くのだろう?最高のエンドロールを。」


 確かにそうだ。俺は魔王と誓い合ったはずだ。この滅びゆく世界にせめてもの抵抗をすると。


 だが、自分たちの目の前に立ちはだかるこの男の目に、その姿が映っているとは思えない。


「どうして俺達の邪魔をする?」


 率直な疑問だった。だが、カルマはそれを鼻で笑って蔑むような態度で言う。


「お前たちが邪魔だからだ。」


 そこに、一切の容赦などはない。


「そうかよっ!!」


 それ以上の答えを求めるのは無駄だと、アルスの本能が動き出す。振りかぶられた剣は青白い光を煌びやかに纏いながら、ゆらりと放物線を描いて神々しい翼へと向かっていく。


一閃。蛮勇は弾かれた。大きく仰け反った体には埋めようのない隙が生まれ、刃となった翼は無遠慮に懐へと飛び込んだ。


紙一重の摩耗がチリチリと気味の悪い音を立て、アルスの腹の間に生まれた球を二つに割った。アルスはそれを待っていた。


「せああああああああっっ!!」


短く持った剣の柄と、魔力を込めた膝は蹴り上がり、翼を挟み打つ。二つの衝撃に挟まれた翼は逃げ場を失い、その威力を逃がせずに打ち付けられてしまう。瞬く間も無いほど、鈍い音と共にへし折れた翼が力なくカルマの元へ戻る。


反撃に出ようとカルマは舌を巻くが、アルスの手元が目に入ると、思わず舌打ちを一つ響かせた。


上体を大きく捻る渾身の横薙ぎは、咄嗟の反応で飛び上がったカルマに躱される。ひらりと宙を舞ったカルマはそのまま、高所からの攻撃を試みるためホバリングする。


しかし、足元の影は色濃く映し出されていた。


振り返れば、組み合わせた両手を振り上げた魔王が待ち構えている。


「いらっしゃい……ませえええええええっ!!」


大きく反った体から振り下ろされた一撃は、余すことなくカルマの背へ打ち込まれる。舞い上がった時の倍の速さで落下していくカルマを、空を蹴って魔王が追う。そしてそれに合わせるように、地上のアルスも剣を脇に構えた。


 計算外だった。既に2人の連携は出来上がっている。手数と能力の優位に油断を自覚したカルマは、叩きつけられた衝撃に揺れる視界を閉じながら、己の心臓の音に耳を傾ける。


二つの息が重なる直前を狙い、耳を澄まして息を潜める。

 

「【天賦・―」


 波が漂うように触れ合う空気が引いた、その刹那。


「―螺旋駆刃ラセンクジン】」


 カルマの全身が荒々しく震えた。弾け飛んだ翼の破片が、無機質な大地を手当たり次第に切り裂いていく。


「チッ……【魔障壁】ッ!!」


「【プロテクト】!!」


 魔王と勇者が、それぞれ防御姿勢に入る。空中にいて逃げ場のない魔王は自分を覆い隠すように弧を描き、勇者は正面に障壁を張って散弾から身を護る。


 そのどちらもが、防御に徹して足を止めている。これで連携は崩れた。受け身を取って跳ね返った体は地面を蹴り上げ、障壁を展開して防御するアルスとの距離を詰める。


「【天賦・蛇影斬ジャエイザン】!!」


 カルマが翼の一つを剣のように振り抜き、放たれた斬撃が幾つにも枝分かれしてうねる。ぐらりと開いた蛇の牙が殺意を覗かせ、アルスに迫る。


「ぐっ!……このっ!」


 向かってくる蛇を撃ち落とそうとするが、アルスの剣撃はのらりくらりと躱され宙を泳ぐ。しかしアルスも、掠り傷程度はあっても致命傷になるような決定打は受けずにやり過ごした。


「うおおおおおおおおおっっ!!」


 最後の蛇を受け流し、僅かな反撃の機会を逃すまいとアルスが気合を飛ばす。構えられた刀身は赤々と燃え上がり、空気を焦がす。


 すかさずカルマも翼を密集させ防御する構えを見せた。だが勇者だけに気を取られれば魔王に背を突かれてしまう。蛇影斬でダメージを与えられないのなら、勇者への反撃は諦めるしかない。


 不意を突くように横っ飛びしながら、恐らく着地しているであろう魔王に気を配った。こちらに突撃して来る気配はない。むしろアルスの攻撃に合わせようと力を溜めているようだ。もし少しでもタイミングをずらされれば、程度の違う一撃が二度自分の命を脅かすことになる。


(今の俺はもう。致命傷だけは避けなければ……。)


 サムスとの戦いの爪痕がまだ残っている。かつてのように、強大な一撃を真正面から受ける強さはもう持ち合わせていない。


「【ショック・ウェーブ】ッ!……。」


 まさかこんなところでアホ娘へらに借りを作ることになるとは思わなかった。まだ出会って間もない頃に見たあの魔法が、この状況には最適だった。解き放たれた簡素な衝撃波は、真っ直ぐ力を溜める魔王へと向かっていく。


「ッ!?……。」


 向かってくる一撃。簡素な魔法ではあるが、膨大な魔力量を誇るカルマから放たれた一撃とあれば無視できない威力になる。受ければタダでは済まない。


 ショック・ウェーブは遮られるものも無く、真っ直ぐに魔王へたどり着いた。こんなもので倒せるとは思っていない。だが、目くらましにでもなればそれで形勢は有利になる。カルマは再び、反撃の機会を窺っていた。


 爆発ののち、反復した爆風が肌を掠める。これなら狙い通り、ダメージとまでいかなくとも、目くらまし程度にはなったはずだ。


 アルスに注意を向け、その一撃を待ち構えた。だがアルスは、剣を構えたまま力をため込み微動だにしない。まるで、カルマが距離を取ることを望んでいたかのように。


 それに気づいた瞬間に焦燥が走った。カルマはすぐさま魔王に注意を向け直す。魔王はショックウェーブを受け切りながらも構えを崩さず、その拳には凝り固まった魔力が蠢くほどに込められている。


 カルマの意表を突くように、魔王の口角がにやりと上がった。


「勇者ァ!!合わせろ!!」


 掛け声とともに魔王が大きく踏み込んだ。めり込むほど地面を抉り、真っ直ぐカルマの懐へ飛び込んでいく。


「【ノヴァ・エクリプス】ッッ!!!」


 その時を待っていたかのように、アルスの振りかぶられた勇剣が大きく弧を描きながら振り下ろされた。目に映るものを焼き尽くしながら猛進して来る、圧縮された膨大な熱量が魔王の拳と重なった。


「【竜砕魔轟拳リュウサイマゴウケン】!!」


 闇の中で蠢く魔力が、焦げ付く炎を取り込み息吹く。遮るものを焼き尽くしながら、魔王の拳と共にまい進する竜の牙。


 カルマは悟った。これが二人の全力だ。今出せる全てを持って、自分にぶつけに来ている。


 並大抵の防御では受け切れない。足の裏に力を籠め、灼熱の闇を迎え撃つ。


「うおおおおらあああああああっっ!!」


 魔王の拳を、カルマの翼が集合して迎え撃つ。既に翼の何枚かが折れた感触と、何度も体に伝わる衝撃がその威力の高さを物語っていた。


 このままでは、押し負ける。


(……ここが、全ての終着点か。)


 だが、そもそもこれを受け切る必要などない。カルマがこの場に現れたのは、勇者と魔王を倒すのが目的ではない。そして、彼らの全てを振り絞った一撃がここにある。


「……もらうぞ、その力。」


 カルマは拳を受け止めながら、自分の体を魔力体に変換し始めた。そしてドロドロと溶けだした体は、灼熱と気魄の一撃を徐々に包み込んでいく。


「なっ……。」


 予想外の行動に魔王の体が僅かに引いた。だが魔力体となったカルマの一部は、それを掴んで離さない。


「てめぇ……何考えてやがる!?」


 魔王の抵抗はほぼ意味を持たず、竜砕魔轟拳は徐々にその力を弱めていく。しかしカルマも今までのようにはいかず、膨大な魔王の魔力に体が悲鳴を上げていく。


「こんな量の魔力……並のやつなら取り込んだだけで暴発する。やっぱりお前、只者じゃねぇな?」


「……お前と同じ転生者だ。」


「へぇ……にしたって桁違いだ。ロクな死に方してねぇな?」


「ほう……お前もその口か。」


 カルマの試すような口草に、魔王もまた試すようないじらしい笑みを浮かべた。


「あぁ……ろくずっぽ当てにならなかったけどな。てめぇも見飽きただろ?この世界の終わりように。」


「……そうだな。」


 静かに頷くカルマ。魔王はそれを更に助長する。


「この世界は救えねぇ、ひたすら無に飲み込まれる。俺達がどれだけあがこうと、変えられるのはせいぜい終わり際ぐらいだ。ありがとよ、お前の登場は最高の演出だった。どうせなら派手に逝ってくれ。」

 

 他人の魔力を吸収しすぎればどうなるか、それを魔王が知らないはずもない。純粋な黒のオーラを噴出させながら、更に拳に込める力を増していく。無理やり翼で喰いとめているカルマには、その拳を遮る翼の数が命を繋ぐ残り時間といってもいい。


 その先があるなら、間違いなく五体がはじけ飛んで、壮絶な死に際となるだろう。


 それを世界が望むなら、それもいいのかもしれない。


「……だが、それでも救えるとしたら、お前はどうする?」


「……あぁ?」


 理解のできない問いかけに、間の抜けた声が裏返った。しかし向けられた眼差しは、冗談を言えるようなものではない。それが更に、混乱を加速させる。


「お前、頭湧いてんのか?」


「……そうかもしれん。誰もが諦めたこの世界を、神でさえ滅ぼそうとしたこの世界を、たった一人の人生の為に救ってしまおうなどと、狂っているとしか表現しようがない。」


 両者のぶつかり合う意志は更に力を増す。地は抉れ、空は逆巻き、近づこうとするものを寄せ付けない。


 二つの存在し合う世界は均衡している。だが運命は残酷で、どちらも居合わせることはない。それは互いに譲る事のできない矜持だ。


「この世界は滅ぶ。確かにそれは止められん。だが滅びの先にあるのは終わりか?それが本当に俺達の最期なのか?なら俺達がここにいる意味は何だ?誰がその答えを示す?」


「……何が言いたい?」


 魔王のはしゃぐような快活な形相が険しくなる。


「もしこの世界の終わりが俺達の終わりなら、始めから俺達など存在する意味はない。それでも世界は俺達をここに呼び、そして巡り合わせた。ならこの世界が本当に望んでいるのは何だ?」


 激しい亀裂音に劈かれる世界が震える。


「俺は……その答えを知っている。」


 カルマの決意とも取れるその言葉に、僅かでも喜びを感じさせるものはない。


 だが、力強かった。


「……いいねぇ、そういうの。嫌いじゃないぜ。」


 自分は試されている。その状況が、魔王の遊び心を躍らせる。だがこの場にあるのは遊びではない。互いの生き様が、ここに集約されているのだ。


 ならばこそ、魔王は魔王らしく、全力で遊びにいく。


 魔力の質が変わった。より一層濃く、強く確かな存在感を放つ。


「ぐっ!……。」


 カルマの身がたじろいだ。これ以上むやみに翼で威力を殺そうとすれば魔剣がもたない。


 魔王はついに、純粋な力で勝負に出た。


「だったら賭けようか!俺の全力を飲み込んでみろ!てめぇの見る先がクソッタレじゃねぇのなら、これぐらい受け止めて見せろォ!!」


 純粋に、量だけならばカルマにも劣らない魔王の魔力が流れ込んで来る。


(このまま吸い続ければ爆発する……だが吸収をやめればダメージになる。どうすればいい……どうすれば……。)


 自分を二人詰め込むような圧迫感、吸収しきれずに放出された魔王の一撃は、既に一部が武器となって体に傷を増やしていく。受け流そうとすればそれこそ、反動に耐えきれずに体が吹き飛んでしまうだろう。カルマには、魔王の一撃を全て受け切るのみしか生き残る方法がない。しかし受け切ったら受け切ったで、今度は魔力が暴走を起こしてしまう。


 知識や経験では生き残れない。カルマは、この瞬間に自分の運命を試されている。


(俺がもう一人いる感覚……なら!!)


 ひび割れた翼を凝視し、潤いを奪われた唇を開いた。


「【シン・カルマ】。」


 その言葉の後に、悲鳴を上げた翼が滑らかさを取り戻しながら、その姿を更に大きく優雅な曲線を描いたものに変えていく。やがて重さに垂れ落ちた翼は鱗のように大地に覆いかぶさり、外観を竜の外皮のような堅甲さを魅せていく。


「魔法の二重詠唱!!……いいねぇ!!もっと楽しませろ!!」


 魔王の魔力が更に大きく噴き出した。その全てが相対する怪物を飲み込もうと蠢く。だがカルマも、魔力を吸い上げる量と速度を上げていく。


 互いの存在を賭けた我慢比べ。その激しい力のぶつかり合いに、両者は言葉で表しようのない恍惚を表情に露わにしていく。


 それは誰にも邪魔することはできない。触れる事すら叶わない聖域は、彼らが求め続けた「戦い」というものの真実。


 命を燃やす瞬間は、儚くとも己の存在を満たすのだと、彼らが向かい合う姿が物語る。


「……おい、一つ聞かせろ。」


「……なんだ。」


「お前、世界を救ったらどうするつもりだ?」


 誰もが世界を諦めた。誰もが滅びを受け入れた。そんな世界を救う価値なんてない。


 それをわかっていながらそうする彼が、どういう理屈で動いているのかが、魔王には純粋に疑問だった。


 カルマは、そんな疑問を、呆れながらも微笑んだ。


「好きにするといい。」


「……いいねぇ、最高だ。」


 期待していたのとは違うが、それが魔王には、少し嬉しかったのだろう。


 噴き出していた魔力が消え、底の尽きた魔王は膝を折ることなく、ぐらりと揺れた体がそのまま横なぎに倒れ伏した。


 力尽きた体で横たわる魔王の表情は、満足感だけではない何かも感じさせるような、生を謳歌したような表情だった。


「……魔力切れで力尽きたか。」


 うずく体を抑え込みながら、まだ対峙するべき残された相手を見つめるカルマ。


「さぁ、次はお前だ。」


 ボロボロの体で牙をむくカルマに、アルスは気魄溢れる刃を向ける。


 

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