第53話 決戦Ⅰ

 衝突する刃と籠手、激しく削り合う命の啼き声が響く。


「ウオオオオオオオオッッ!!」


 吐き出した気合は常人のそれではない。確かな使命に燃える勇気の一閃は、堅甲な魔を支配する籠手の守りを破らんと、じりじりと踏み込んでいく。


「くっ……いいねぇ!それぐらいじゃねぇと楽しめねぇ!!」


 押し寄せる波動にも怖じることなく、地面を抉った足裏に力を込めて踏み切る。


「うおらぁぁっ!!」


 そのままぐりん、と回転した体は、両腕をクロスさせた溝にはまったままの剣ごと巻き込んで、アルスの体をねじ伏せる。


「休むなよ!勇者ァ!」


 そのまま狙ったように倒れ込んだ、魔王のクロスチョップが勇者を襲う。


「くっ……このっ!」


 クロスチョップが鎧を掠めた寸前、咄嗟に出た前蹴りが魔王の腹部を打ち上げ、魔王の腕の波動が勇者の胸当てに亀裂を走らせた。


 転がった魔王の体はすぐに体勢を立て直し、身体についた土ぼこりを軽く払って余裕めいた笑みを見せる。対する勇者は、因縁に歪んだ表情が鎧の亀裂で浮かんだ焦りを隠せない。


「先制攻撃は俺の勝ち……って感じかぁ?」


「ふざけるな!お前なんかに負けるわけないだろう!」


 勇者が向ける剣先を、魔王は嘲笑うように空気を鼻で抜かせた。


「へぇ……ヴォルド相手に死にかけてたくせに、よく言うねぇ。」


「黙れ!仲間を殺すような奴に、俺は負けない!」


「ふぅん……仲間、ねえ……。」


 魔王は向こうに転がる、先程胸を貫いた部下の亡骸を見つめた。魔力に飲まれ、原型を留める事も叶わなかったそれは、無残にも朽ち果てていく世界の土に飲み込まれていく。


「むしろ、仲間だからこそ。だと思うが?」


「俺はお前を許さない!俺の仲間を、親父を、殺したお前だけは!」


 勇者の剣は大義を忘れ、憎しみに震えていた。だがそれは、怒りのあまりに慣れない剣を取った子供に等しい。その程度の気概しかない剣など、魔王の敵ではなかった。


 だが、そんな貧弱な刃でも、当たれば傷口ぐらいはできる。


「……どっちにしてもとばっちりだが、いいぜ。来いよ。」


 勇ましく振られる剣は、例えどれほど虚しい物であっても受け止める。それが魔王としての存在理由、勇者に立ちはだかる壁としての在り方だ。


 快活に挑発する魔王に向け、踏み込みと共に大きく振りかぶられた一撃が魔王を襲う。


「ただ受け止めんのも面白くねぇなぁ……ッ!」


 縦一直線に振り下ろされた一撃を、身体を回転させながら籠手に沿わせて受け流しながら、勢いそのままに振りかぶられた握り拳を突き出す。一撃を振り下ろしたアルスには大きな隙が生まれ、今から腕でガードしても間に合わない。


「ぐっ!……。」


 向かってくる拳とは逆の方向へ首を引っ張ったのは、咄嗟の苦し紛れな回避だった。だがそれが頬を掠めたのは、勇者としての戦闘センスだった。焼けついた感触のある頬に余裕を取り戻し、手首を切り返して横なぎに魔王の腹を狙う。しかし魔王も踏み込んだ右足を地面に埋め込ませ、突き出した拳をそのまま振り払うように体を捻る。


 両社の渾身の横なぎは、互いの頬と脇腹を抉りこむ。


 お互いの一撃によろめいた体を立て直そうとする。が、顔面に受けたアルスの視界は揺れ、魔王の姿が捉えられない。


 その隙を、魔王が見逃してくれるはずもなかった。


「【拳狼破ケンロウハ】ッッ!!」


 魔王の剣舞、拳から駆け出した狼の牙がアルスの鳩尾を穿つ。


「ぐはっ!?」


 木槌を打ち込まれたような衝撃に、瞬く程の間、呼吸の仕方を忘れそうになる。だが休む間もなく迫る魔王の手が、その刺々しい五指でアルスの顔を鷲掴みにして地に伏せる。


 叩きつけられた地面には放射状の亀裂が広がり、跳ね返ったダメージが更にアルスの脳を揺らす。


「がああああっ!!」


 痛みを伴わない激痛は、アルスの意識を容赦なく刈り取ろうとする。


 半開きの目に映る満身創痍の形相は、この戦い事態に悦楽を求める魔王の心を落胆させ、深い溜め息を吐き出させた。


「……あっけないねぇ。まだお前の親父の方が楽しめたぜ?」


 わざとアルスの戦意を誘うような挑発をする魔王。しかし、鷲掴みにされた腕を握り返すのが精一杯で、ろくに力すら入らない指とともに、アルスの意識は薄れていく。


「お前に……負けて……たまるか……。」


「そうかい?俺もお前程度に負けるつもりは毛頭ないが、せめて世界の終わりぐらい、派手な激闘を繰り広げて、有終の美といこうじゃねぇか。」


「なん……だと……?」


力なく握る魔王の腕に抵抗しながら必死に息を保つアルスを、魔王はただ笑って見下げた。


嘲笑うのでもなく、憐れむのでもなく、ただただ悲しみを堪える、静かな笑み。アルスには例えようのない違和感があった。


「そのまま死なれても困るから教えてやるよ。この世界にはもう、。魔王城は「無の領域」に飲まれた。この鎧が覚えている、僅かな存在した証を残してな。お前が守ろうとした物も、俺が壊そうとした何かも、何もかもなくなっちまった。」


アルスに衝撃が走った。まるで夢物語のような嘘を吐く魔王に、自分はまた遊ばれているのだと思うと、また別の怒りが込み上げてくる。


「ふざ……ッ、けるなあっ!!」


「ふざけてこんなアホなことが言えるかよ……。嘘だと思うなら思い出してみな。俺がお前から奪ったもの、お前が俺から護ったもの、俺たちが戦う理由、その意味を。」


 アルスは思い返していた。自分がこの男と対峙する理由を。


こいつに殺された父の仇を討つため。勇者としての使命を果たすため。それまでは簡単に思い出せていた。その意志も愛剣に乗っている。


だがどうだ、自分が背に抱えてきた物はなんだ?その背を押してくれたのは何だ?支えてくれたのは何だ?確かにあったはずなのだ。それなのに、何故か一つも


「どうして……俺は、俺はみんなのために!!」


「みんな?みんなって誰だ?」


「それは……いや、違う!!お前が、お前がまた俺から奪ったんだ!またお前が、俺から!!」


「何を?一体?どうやって?なぁ、お前は俺から何を守ろうとしたんだ?そのちっぽけなプライドか?仲間や民の命か?戦士としての誇りか?違うな。そんなもの、。」


魔王は顔を覗かせた。食い入るように見つめる勇者の目は泳いでいる。無様にも首を振り、自分のそれを受け入れないようにしている。


だがそんなことをしても、現実は容赦なく突きつけられる。


「なぁ、いい加減気づけ勇者。お前の本当の敵はヴォルドでもなければ俺でもない。この世界そのものだ。俺とお前が敵対する理由は、もう「勇者と魔王だから」しか残ってねぇんだよ。やっすいだろ?俺とお前が戦う価値なんて、もうそれだけしか残ってないんだぜ?」


 その事実をわかっていても、口にできるほど理解しているはずの魔王にも、それが受け入れがたい現実であることは、悔しさでうわづる震える声が証明している。自分たちが戦う事に運命以上の理由がないとは、これが勇者と魔王という、相対する二つの切り札が命を懸け合うにふさわしい理由なのか。


 この結末に、一体誰が納得できるだろうか。


「出まかせを……言うな……ッ、俺はお前を倒して……世界を救うッ!!それが俺の、俺の使命だっ!」


 アルスの拳が力強く握られ、その先にある正義の剣が勇敢に震える。


 だが、奥歯で怒りを噛み殺した魔王が、その胸ぐらを持ち上げ地面に叩きつけた。


 アルスの口から、凝り固まった血反吐が跳ねる。


「俺を倒して世界を救うだぁ?それが見当違いだっってんだよ!!いいか!?そもそもそれだけで世界が救われんだったら、てめぇの親父が俺の親父をぶっ殺した時点で終わってんじゃねぇかよ!!だったらこの現状は何だ!?意味不明なもんに消されていく世界!もう思い出せない大切にしていたもの!俺達が生きている理由!俺達が戦う理由は何だ!?その先にある結末は何だ!?問い詰めた結果がこのザマだ!」


 魔王の険しい眼差しはアルスを捉えて離さない。今アルスが対峙しているのは、魔王が苦しめられてきたこの世界の本当の姿だ。


 魔王もまた、多くの物を奪われてきた。だがそれは先代勇者やアルスにではない。むしろ彼らからは多くを得てきた。怒りや悲しみ、喜びや安寧、王としてあるべき姿、戦いから多くを学んできた魔王にとって、激戦を繰り広げてきた彼らはまさに、人生における師であり友である。


 彼もまた、残酷な世界に奪われてきた被害者なのだ。ただ一人、世界が向かう運命に抵抗を続けてきた彼は、その運命から目を逸らそうとする共に怒り、震えているのだ。


「お前は何と戦ってきた!?何を守れた!?何を救えた!?答えろ勇者!お前はその勇気と度胸で、その剣で何を救って生きてきた!?」


 魔王の問いは、勇者としての存在価値を試すものだった。これに答えられなければ、何故勇者としてここまで戦い抜いてこれたのかがわからなくなってしまう。


 アルスの口は、何度もそれに立ち向かうように開いていた。


 だが、その奥から響くのは、絶望に霞む嗚咽だった。


「……酷ぇもんだろ、本当に。頭おかしいんじゃねぇかってぐらい。まともじゃいられねぇ、命を奪い合う瞬間に快楽を求めなきゃ、ここじゃ武器を手に取ることすらできねぇよ。」


 ここで争う事すら無意味なのかもしれない。もう世界を諦めて、静かにその瞬間を待つべきなのかもしれない。あるいは自分の分身である魔王城と共に、終わりを迎えるべきだったのかもしれない。勇者の体から離れた魔王の背には、あまりにも多くが乗り過ぎている。


 だが、そうしなかった理由は単純だ。


 立ち上がるのは、自分だけではない。


「ふざけんな……ここまできて、今更自分の全てを否定しろって言うのか?死んじまったあいつらの事も、助けられなかったみんなの事も、全部忘れて受け入れろって事かよ!!」


 例えどれだけ傷だらけになっても、その行動が全て無意味だったとしても―。


「そんなの……できるわけないだろ!!」


 登り燃え立つ炎、込み上げてきた思い全てを燃やした蒼炎は、滑らかな輝きを放ちながら乾いた世界を煌びやかに映し出す。


 どんなに絶望しても、どんなに未来が無くても、どれだけ望みが無くても。


 この勇気は、意気揚々と立ち向かっていく。


「……あぁ、そうだ。そうだよなぁ!勇者ァ!」


 アルスは、確かに勇者としてはまだまだ未熟なのかもしれない。自分の力を過信し、圧倒的な力の差を見せつけられ敗北するのは、勇者としてあるまじき姿だ。ましてやそれに挫け、立ちあがれなくなってしまった瞬間もあった。だが、そうではない。いかなる苦境にも決して信念を曲げず、己の勇気を信じて戦うことが、勇者に求められるべき素質である。アルスはしっかりと、先代勇者である父親からそれを受け継いでいる。


 それは魔王も同じだ。勇者に立ちはだかる最強の敵として、勇者が本当の意味で強くなるために立ちはだかる最後の壁としてあるべき姿を、魔王もまた受け継いでいる。


 この二人が出会い、お互いを魂からぶつけ合う事は、例え世界が滅ぼうとも止めることはできない。


 対峙する光と闇、青空と星空、正義と支配。


「どうせ滅びゆく世界なら、存分に滅ぼしてやろうじゃねぇか!!最高のエンディングと共によォ!!」


「魔王……俺はお前を倒すためにここに居る!世界が救えなくても……お前だけはお俺が倒す!!」


 構えられた拳と剣。張りつめた緊張感は世界すらも揺らす。


 一つ、景色が割れた。


 強く踏み込んだ足、振りかぶられた剣、力の込められた拳。


 互いのありったけを込めた渾身の一撃同士がぶつかり合う、その寸前。


 間隙に入り込んだ、一滴の差し水が波紋を浮かべる。


「【天賦・羅刹斬】。」


 無数に円を描いて飛び乱れる斬撃が、二つの必殺の一撃を相殺していく。世界から崩れる音が静まり始め、巨大な力が一つの魔力の塊に飲み込まれていく。


 やがて静まり返った戦場で、唖然としながら向かい合う二人の間に立つ一人の男。水晶のような外見の内側に、鼓動のような点滅を繰り返す光を宿した大剣を携える彼は、まるでひび割れた世界の亀裂を塞ぐような気魄を醸し出している。


 彼はアルスと魔王を交互に見つめ、構えを解くと溜め息を吐いた。


「……盛り上がってる所に悪いが、これもまた、世界の選択なのでな。」


 世界の最期に華を添えると決めた二人の間に立つというのは、そのまま残酷な世界の選択を受け入れるつもりなのだと、二人以外の誰もが見てもそう思うであろう。


 だが、彼の瞳からは、そんな諦めの意志一つですら見当たらない。


 真っ直ぐ、未来を見つめる瞳だ。


 その違和感の正体に気付いたアルスがはっとして指を差し向ける。


「お前は……カルマなのか?」


 閉じられた瞼が、その答えだった。


「お前たちの答えは決まったか。なら、もはや何も言うまい。お前たちはお前たちの信じる道を進めばいい。だが……それは俺の道とは違い、俺の道の妨げになる物だ。だからここで、止めさせてもらう。」


 愛剣を地に突き刺し、その柄頭に手を添える。大剣の鼓動は速まり、脈を打つたびに加速していく。それはまさに命の叫び、生そのもの。


「俺は世界を救う。例え、何を犠牲にしてもだ。」


 固く閉ざされた瞼が開き、脈は更に加速していく。


 それが無音になった刹那だった。


「【シン・カルマ】」


 魔王とアルスを襲ったのは、頭からなぎ倒されそうなほどの突風と威圧感だった。閃光に包まれたカルマとその愛剣は一つの魔力体となり、その姿を変えていく。撫でるように添えられた光の線が刃となり、我先にと集まった光の粒がやがて翼となり、背中から伸びた刃にも思える鋭い翼は神々しくピンと張り、その威光を見せつける。


 これが、世界を滅ぼす二人に立ちはだかる、最期の救済。


「……さぁ、奪い合おう。この世界の命運を。」


 ここに、真の戦いの火ぶたが切って降ろされた。

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