第50話急襲Ⅱ―Ⅰ
一撃を受けて吹き飛ばされた体は、まるで衰えを知らない勢いで岩肌に打ち付けられる。打ち付けられた衝撃で粉砕された大岩は無惨に崩れ落ち、見えない壁からずり落ちるように小柄な体が地に伏した。
霞む目の色は灰色。眩む意識に呼応して華奢な体が跳ねる。
「ガアアアアアアアアアアッッ!!」
それはもう人が出すような声ではなく、獣の咆哮に近かった。荒れ狂う魔力を抑えきれなくなった体は鎧と一体化し、刺々しく、禍々しく暗黒に染まっていく。彼の愛剣は意志を持ったように明滅し、その溢れ出た魔力を喰らっていく。
その様子は、離れた場所で呆然としていたアルスが愕然とする。
「あいつ……まさか悪魔を降ろしたのか!?」
それはおおよそ勇者と呼ばれる者にふさわしくない、死に際の病人と同じ蒼白の顔色に染め上げられる出来事だった。
悪魔降ろし、自らの肉体を魔力に喰わせ強力な力を得る諸刃の剣、並の者が行えば魔力に精神をのっとられ命尽きるまで暴れまわる。恐らくウォルドは、自分の精神が保てなくなるギリギリまでその身を喰わせ、飲まれたのだ。ヴォルドほどの実力者が喰われてとなれば、その潜在能力は計り知れない。
少なくとも、今のアルスにはどうすることもできない相手だ。無力を握り締める拳が痛む。
「ア”ア”ッ………グウウオッ!!」
もうまともに喋る事も出来ない歪な鋭さをもった顎が唸る。涎なのか、あふれ出す魔力なのかわからないそれをぼたぼたとこぼしながら、吹き飛ばされ虫の息となった少女の下へ歩き出す。
眼下にあるそれは、いとも簡単に踏みつぶせそうだ。
「グウアアアアアアアアアアアッッ!!」
獣は優越感に浸りながら、その最後を脳裏に思い浮かべた。
空気が、焼けつく。
「―【焦炎】。」
巻き上がる烈火。獣をいとも簡単に取り囲んだ炎の渦は少女の体を飲み込んでいく。
「グウウウッッ!!?」
突如として巻き起こった炎の嵐に動揺する獣。眼下に捉えていた少女の姿はもうない。
風が、その禍々しい頬を撫でた。
「―【裂空】。」
一筋、歪んだ顎に入る直線。それは烈風を誘引し、無情にも獣の顎を切り落とした。自身の【烈風】の攻撃力をただ一点のみに集めた、タマが戦いの中で編み出した渾身の一撃は、悪魔降ろしで硬化した鎧さえも断ち切って見せた。
「グアアアアアアアアッッ!!」
痛みに悶える獣。その感覚に囚われてしまうようならばもはや敵ではない。
相手が獣なら、狩人に利がある。
「―状況不利を肯定。【
この場においてこれと対峙できるのは自分しかいない。もはやそれは「敵」と「自分」の世界。そこに出し惜しみなど一切必要ない。
己の持つ、全ての力を解き放つ。
「【我が身に眠る戦神の魂。我が身を喰い、それを纏い、蹂躙せよ。】」
それはリミッターを解除するためにプログラムされた言葉。本当の強者と出会った時のためだけに用意された最終手段。それが発動するのは死に際と、自身が必要だと判断した時。
タマの瞳が、赤紫に染まる。きゅうと細く締め上げられた瞳孔は、見つめる獲物を逃がさない。
背中から溢れだす純粋な紫の魔力が放射状に伸びて広がる。制御しきれない膨大な魔力が体の中で蠢くのを感じながら、その心が昂っていくのを感じる。
やがてその瞳に、真っ赤な涙が浮かび、頬を伝う。
「―私は、NST-001。全ての命に「赦し」を与え、世界を終わらせる為に造られた人形。故に、あなたを解放します。」
NST-001、のちに一人の死なない少年に「タマ」という名をもらう少女は、生まれてからすぐに自分の生みの親を殺した。彼は世界に絶望し、死ぬために彼女を作り出した。
彼女は「全ての生命を殺せ」という命令を果たすためだけに生きてきた。だが、本来は違う。
彼女の主は「世界を救え」と彼女に命令した。絶望の中に僅かな希望が欲しかった。しかし残酷にも、彼女の思考回路が導き出した答えは、「その命を終わらせ、それを救いとすること」だった。
彼女はただひたすらに殺した。ひたすら赦した。その命を生贄に、この体を依り代に。全て背負うと、全て飲みこんできた。たった一人の少年に出会うまでは。
彼は自分とは違う世界の救いを自分に示した。ならばもはや、この力は必要のないものなのかもしれない。だが今、彼女の目の前には、確かに赦しを必要としている存在がある。世界を救う事に囚われ、己を魔に落とし飲み込まれてしまった罪を背負う者が。
瞼の裏に浮かぶのは彼女の生。殺してきた感情は、湧き上る魔力と共に溢れだす。
きっと自分は、それに耐えられない。だからこそ、タマは今まで機械のフリをしてきた。その感情を押し殺し、その意志を塗りつぶしてきた。それも全て曝け出さなければ、あれとはまともに対峙できない。
悲しみ、後悔、苦悶、憂鬱、そんな悪しき感情の塊である自分を、それでも必要としてくれた主に、この身から振り絞った懺悔の涙を。
そして、優しい日々に、感謝の笑みを。
「グゥゥルアアアアアアアアッッッ!!」
獣の方向が瓦礫を粉砕する。その圧だけで縮こまってしまいそうな体を低く構え、吹き付ける風の波の間を切り裂くように駆け出した。タマの動きに合わせるかのように獣も動き出し、その間にある空間全てを巻き込みながら二つの衝撃がぶつかり合う。
ゴゥゥゥン、と大地に沈んだそれは、地鳴りを響かせながら大地を抉り巻き上げていく。捲れ上がった土畳が吹き飛び、離れた場所にいるアルスに向かっていく。アルスはそれを腕でガードして、腕と腕の隙間から壮絶な鍔迫り合いを見つめていた。
「くっ……あの女も悪魔を降ろしたのか!?」
ぶつかり合う魔力の量はほぼ同じ。だがアルスには違和感があった。ヴォルドの魔力は禍々しく黒ずみ、悪魔降ろしの特徴的な色を顕現している。しかしタマのそれは、純粋な魔力の象徴である純度の高い紫であり、何よりも魔力自体が生きているように見える。人一人軽々と飲み込んでしまいそうな大きな顎、流線形でありながらも力強いシルエット、そして剥き出しになった鋭く太い牙。
アルスは、その生き物を知っている。
「まさか、あれは……「竜魂」なのか!?」
もはや伝承の中でしか存在していない幻の生き物。かつては信仰の対象ともされていた最強の生物。今は「無の領域」に飲まれてしまったが、その地域から持ち出された資料にある、その力を授かって生まれてくる子供を「竜の御子」と呼び、彼らが特別に宿している魔力を「竜魂」と呼んだ。
無の領域は記憶すらも飲み込んでしまうため、シルエットのとある場所にアリアが厳重に保管しているが、それを知っているのは自分以外には父とアリアだけだ。それも存在したという記録だけで、実物を実際に見たことがある訳ではない。
そんな未知の力が目の前にあると知れば、興奮しない戦士などいない。
ぶつかり合う巨大な力と力が鎬を削る。獣と爪と化した大剣が荒々しく双刀を打ち付け、タマはそれに手数で対抗する。甲高い金属音が途切れることなく青空を穿ち、更に剣撃の応酬を加速させる。
キン、キンと金属音が跳ねる度に、獣の大剣の刃が綻んでいく。戦士として熟練したお互いの目は、それを見逃さなかった。
獣は自分の愛剣の悲鳴に気づくと、禍々しい黒で染まった魔力で尻尾のような形を作り、先端を高速で回転させると、それを槍のように伸ばしてタマの体目がけて連突する。目にも留まらぬ速さで繰り出される突きを、肌に触れる空気の波を感じながら反射的に躱していくタマ。やがて痺れを切らした獣が足を払い上げようとした、その瞬間を見逃さなかった。
地面を蹴り上げ宙を舞うタマの体と二本の刀、十字に構えられた刀身の奥には、獲物を捉えた狩人の目。
「【
感情の昂りをそのまま叫んだ。蹴り上げられた空間が巻き上げられ、高速で回転した体は、その牙を剥き出しにしたまま獣へと突進していく。
8の字を描いていた残像は螺旋になり、獣の腕から容赦なく鱗を剥ぎ取っていく。腹で受け止めた黒剣は威力に耐え切れず、その刀身には徐々に亀裂が広がっていく。
「おおおおおおおおおおおッッ!!」
叫び声と共に斬撃は強さを増していく。押し込めていた感情全てが乗った刃の一撃、タマの瞳に映っているのは、自分の罪、苦しみ、暗闇、絶望、それらの先にある希望、光。放射状に伸びては消える閃光の余波は更に輝きを強め、無機質だった瞳に光を灯し、絶望に堕ちた獣の鱗を剥がしていく。
亀裂は軋み、綻びから光の筋が獣の目を刺す。
「グゥゥウアアアアッッ!!?」
ピシッ、ピシッと乾いた音の直後だった。鋼鉄よりも遥かに硬い黒剣は破片を撒き散らしながら宙に溶け、勢いそのままに突進した双刀は禍々しく隆起した鎧を貫いた。獣の牙が真っ黒な噴射液で染まり、ドロドロとまとわりついて固まる。
首元を深く抉る、致命傷に至る一撃。
「……弔いを。」
魔に身を喰わせた悪行を、タマはその死をもって赦し、黙する。吹き上がる鮮血の雨に、誰もがこの壮絶な打ち合いが決着したと確信した。
だが、まだ魔は血肉を貪っている。
「―グゥゥオオオオオオオオオアアアアアアアアアアッッ!!!」
咆哮。しかしもはやそれは断末魔だった。致命傷を受け意志を完全に失った体が魔力に飲まれ、そのまま受け皿として動いているのだ。
呼び声に呼応したのは主を失った眷属。即ち、散らばった剣の破片。
「ッ!!まずい……逃げろっ!!」
アルスが叫んだ時にはもう遅かった。既に無数に散らばった破片が刃をギラつかせ、無防備に開いたタマの背中に狙いを済ましている。
そして、耳を劈く摩擦音。
ドシュッ!ー
「…っく、あぁっ……。」
あらゆる方向から一直線に飛ぶ無数の刃の破片が、タマの華奢で柔らかな体を貫通し、非情なほど真紅に染め上げていく。何度も何度も突き刺さっては貫き、やがて双刀は離れ地に寝そべり、穴だらけにされた膝は崩れ落ち、タマはうなだれるようにしてその場にへたり落ちた。
視界が、赤く染まる。
「グオオオオオオオウウッッ!!」
目の前の獣は唸りを上げながら、その爪牙を鋭く突き立て満身創痍のタマへと向けた。
体は動かない。恐らく神経を断たれたのだ。傷口の割には痒い程度の痛みしか感じない。辛うじて上がる首でそれを見上げた。
最期ぐらい、
「ごめん……なさい……カルマ様。」
必要だと言ってくれた、生きる意味を失った
ーそして、どうか世界を。
身勝手を瞼の裏に浮かべながら、視界の奥を幸福で濡らした。
「ウオオオオッッ!!ー」
獣の爪牙が少女の額に突き立てられた。
刹那、一筋の黒線。
爪牙が、少女の額を紙一重で行き止まる。
「ーガアッ!!」
硬直した獣の体。喉の奥からは嗚咽と、剥がれ落ち光の粒となって世界に溶けていく禍々しい鎧の破片。
その大口をを、一本の腕が易々と貫いていた。
「……まさかこんなことになってるとはな。ちょっと自由にやらせ過ぎたか?」
翻るマントのようなものは裾が破れズタズタになっているが、その身体は細身ではあるが筋肉質で、特に肩から肘にかけての隆起が鋼を体現している。
「ま、いいか。どのみち来たし、もうどうにもならねぇっぽいしな。……やれやれ、しかし魔に堕ちるとはよっぽどだな。他の三人がこうなってなきゃいいが……。」
アルスは、その全てを見ていた。少女が凶刃に倒れた直後に現れた黒い輝き。禍々しくもなく、ただ純粋に黒い力。
そして、忘れるはずもないその姿。
「魔王が直々に来たってのに、歓迎の一つもねぇってのは寂しいよなぁ。なぁ、ヴォルド?」
腕を引き抜くと、姿を取り戻した戦士の無様な亡骸が転がり、その表情は白目を剥いて
崩れ落ちた。
「魔王ウウウウウウウウッッ!!」
アルスは体の震えを吹き飛ばし、その怒りの乗せた剣を握って猛突し、間合いに入った所で大きく振りかぶった。
魔王と勇者、運命に呪われた二人の間に、宿命の火花が散らされる。
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