第49話 見つめる者、見届ける者。

 長すぎる大剣は背に携えることにした。魔石で作られた大剣は、魔力次第で好きな形に変えられるとは言うが、特別何もなければこのままにしておきたい。あくまでこれは「借り物」であり、「預かり物」だ。先代勇者から受け取ったこの名もなき水晶の剣は、転生前の世界でいう斬馬刀のような出で立ちで、つまりは並大抵では扱いきれず、剣に振り回されてしまうのである。そのため、軽く手に馴染ませてきた。


 外が騒がしい。爆発音や衝撃音、建物はいくつか倒れ地面も抉れている。この街に強い魔力が集まっている。恐らくヘラ達三人と四楼が対峙しているのだろう。一筋縄ではいかないだろうが、心配するほどではない。


 まずは、自分の役目を果たすことだ。


 城の守りは存外ザルであった。守衛兵など一人もおらず、代わりに飛び散った血痕と鎧の残骸が道のりに散らばっているばかりで、挑戦者を歓迎するにはいささか不気味であった。それで魔物の一つでも飛び出してくれば面白いのだが、高望みしすぎていた。


 それで、いつになったら辿り着くのだろうか。朝出て行くと言ってもう昼だろうが、まだ半分も登り切れている気がしない。高いのではない、一段一段が広く低いのだ。そのせいで無駄に足を取られて思うように進めない。本当に無駄によくできている。時折吹き抜けの窓から外の様子がうかがえるが、西門側で土煙や瓦礫の崩れる騒音が響き、戦闘の激しさを物語っている。


 推測が正しければ、まずいかもしれない。


 カルマは、平たく伸びた低い階段を登る足を速めた。だがどれだけ急いでも、螺旋状に続く階段は下半身の体力を奪うばかりで思うように進めない。


「チッ……。」


 苛立ちは隠せなかった。シエンダが滅ぶまで、もう時間はない。しかし役者が揃わなければ事が進まない。


 カルマだけでは、この世界の危機は救えない。


 早まる足が、自分の無力さを跡につけていく。その最中だった。


 突然足元が白色に発光し、正円が出現した。正円は内側に魔方陣を形成すると、力強く輝いたのちカルマの体を包み込んだ。


 暗転、明滅。


 目の前に飛び込んできたのは、無機質な空の色が文明を見下ろす様。灰色の街並みに人の気配はほぼ失われていて、都市というよりは遺跡に近い。そんな絵画のような景色を取り込んだ窓辺に、佇んでいる者が一人。


 この荒廃した世界には似合わないほどに美しい、花や草木を模った白いドレス。大きく開いた背中と滑らかな曲線を描いた腰元は、程よく膨らんだ臀部は、その下を真っ直ぐに伸びる脚の艶やかさを強調させる。また、太ももの膝裏辺りから透けて見える白のレースは、その終着点であるつま先までをつつましやかに修飾する。


 ふわり、と風が空を一撫ですると、僅かに灰色を覗かせる純白に近い長い髪が揺れ、その大きな瞳と見つめ合った。


「……礼を言う。手間が省けた。」


「いいえ、あなたに会えるとは思っていませんでした。救世者さま。」


 靡いた白く長い髪をかきわけ耳に掛けると、彼女は柔らかな微笑みを浮かべ、綿が水玉を受け止めるような穏やかな声でそう言った。


「不憫なものだな。こんな無機質な場所に缶詰めとは……気でも狂いそうだ。」


「そうですか、それならお茶などいかがです?」


「ありもしないものを用意してくれんでも間に合っている。」


「あら、これでも私は女王で、ここは王室ですよ?」


「豚小屋の間違いじゃないのか?」


「あら、おわかりですか?想像以上のお方みたいですね。うふふ。」


 カルマは、気味が悪いと鳥肌を立てた。だが、それもそのはずだ。


 一見すると彼女は、とても気品溢れる淑女のように、つつましく淑やかに見えるだろう。その立ち振る舞いも、指先一つが描く流線でさえ、その育ちの良さを感じさせる。しかし、それ以上に内側が歪んでいるのだ。


「そう……わたくし、他者に虐げられたり酷な仕打ちを受けることが大好きですの。この明日すら輝かない絶望的な日々をただ眺める事さえも、全て私の心を満たすためにあるのだと思えるぐらいに、逃れようのない運命に押し潰されるその様に垂涎してしまう程に、ただ苦しみを与えられることに、この唇を濡らしてしまう女ですの。」


 そう言いながら指先を下腹部にあてなぞるその様は、到底淑女と呼ぶにはみすぼらしく、盛りのついた犬を連想させるようだった。


 彼女から溢れるのは、ただ己を満たす被虐欲求。それも、ただ切り付けられたり痛みを与えられたりするのではなく、心も体もズタズタに切り裂くような、それこそ人であることを否定されるような加虐を望む狂気だ。まともに生きているのでは行き着かないその在り方は、カルマにとっても受け入れがたい現実だった。


 これを見るだけで見抜けてしまう己の慧眼が、本当に恨めしい。この世界に来て多様な価値観を持つ者達に出会い、いつの間にか身についていたものだが、目に映る相手は選べない。


「随分と酔狂なものだ。こんなやつが一国の主とは……世も末だが程度というものがある。」


「ふふ。そういうあなたも、世界に執着するその姿は、わたくしと大して変わらない物と思いますが?」


「そう……いや、違うな。少なくともお前のそれは、ただの気狂いではない。」


 変わらず柔和な笑みを浮かべる王女に対し、カルマは背に携えた大剣に手を添えた。


 僅かに腰を落とし一切の予備動作を見せず、瞬き一つ許さぬ時間の間に距離を詰め、王女の懐まで迫ったところでその身を大きく振りかぶる。


 王女の左腕が、耳元へ寄り添った。


 直後、空間を押しつぶす、圧。


 カルマの渾身の一撃が純白の被虐心を捉える、はずだった。迷いなく振り下ろされた刀身は、紙一重で王女のすぐ側を横切り断裂する。


 もちろん当てるつもりでいた。しかし、斬撃は王女の左腕に擦り寄るようにいなされ、足元に右に移動した擦り跡が僅かに残っている。軌道を逸らされた剣はその左手を峯に添えられ、僅かにも持ち上がらない。


 王女の命をやり取りする眼光はまさしく、多くの者を殺してきたそれのする戦意のこもった鋭いもの。カルマはそれに、何よりも興奮を覚えた。


「それだけの強さを持ちながら、なぜ世界を諦める?」


 以前、この名もなき水晶の剣を巡って戦った、先代勇者の放つ雰囲気に近いそれは、紛れもない猛者の証であった。


 カルマが彼女の元を尋ねた理由はこれだった。もし彼女が、ウォルドたち四楼の動向に気づいた上で好き勝手をさせているのだとしたら、彼女の真意を問いただす必要があった。もし助けを求めて閉じこもっているだけならばすぐにでも手を貸して、世界の救済に協力してもらうつもりでいたが、外で起きている戦闘が、ほぼ間違いなく彼らだと察して、ならばなぜ彼らの存在を許しているのかを知る必要がある。


 今回の四楼たちの動きに、カルマは些細な疑問を抱き、それをずっと辻褄が合わせられずにいた。ならば彼女がその鍵であると、カルマは睨んだのだ。王女はサディス以外の三人を利用しようとしているのではないか、それを期待していたが、その瞳を覗き込んだ瞬間に泡沫となって潰えた。


 であれば、本当にこれは我欲を満たすためなのか。カルマは未だ、女王の真意を計りきれないままでいる。


「……そうですね。確かに、この世界は滅ぶでしょう。そして、それはもはや誰にも止められない。ならばせめて、この身を捧げる殿方ぐらいには巡り合おうと期待したまでです。特に他意はありません。」


 女王は、カルマの腹の中など気にも留めず、大剣の峰を指で優しく撫でながら歩み寄り、やがて柄から指先へ、肘から肩、首筋へとその指を這わせ、頬にきめの細かい指先をなぞらせて見せる。


「あなたは……わたくしを満たしてくれますか?」


 王女はその視線を、カルマの瞳の奥にある深淵へと潜り込ませた。


 王女自身も、カルマに興味はあった。内に秘める強さはこの王城に入り込んだ時から感じている。先代勇者とはまた違う、ただ蹂躙するだけではない、力に染まるだけでは身に着かない強さ。それが善人であれ悪であれ、人が生まれ持って備える強さを彼はまだ残している。そう感じた。


 しかし、深淵を覗くとき、また自分も深淵に覗かれている。


 その目に捉えられた王女の体は、酷く縮こまったどうこうと共にのけ反ってしまった。


「あなたは!……あなたは何を見てきたのですか!?」


 いわれのない恐怖に苛まれてしまった。身震いの止まらない体に、僅かに鳥肌が浮かんでいる。ひんやりと冷たい感覚が顔を支配するのは、恐らく冷や汗がぽつぽつと吹き出しているからだろう。


 王女の見せる意外な反応に、カルマは不躾ながらも笑みを浮かべた。


「なんだ?お前とてそう変わらんだろう?戦士なら誰でもわかる、その手にこべりついた血の痕は、お前が今お前であるためにしてきたことだろう?それとそう大して変わらん。」


「いいえ、あなたのそれは、ただ醜い我欲に溺れ存在意義を失った、わたくしの家族の血とはわけが違います!!」


 二人が争っているのは全く違うベクトルでの強さだ。戦闘力としての強さ、意志の強さ、覚悟の強さ、勇む足の力強さ、大なり小なり、それが見かけに出れば出るほど人は間違えがちだが、「強さ」に人は畏怖し、己の弱さを自覚する。その絹のように透き通った白い肌に見え隠れする血の痕も、その瞳の奥深くに隠された暗黒も、それが人にあって自分に無いもので、簡単に飲み込まれてしまうと錯覚すれば、いくら魔力に底の見えないカルマや、不利な間合いに顔色一つ変えず技をいなしてしまう王女だとしても、相手の持つ「強さ」に本能的な恐怖を抱いてしまうのだ。


 そして、同時に「なぜそれだけの強さを持ちながら」という疑問に捉われる。


「わたくしはただ、王としてあるべき姿であろうとしただけです!我欲に溺れ、立場に依存し、仮初の時代に囚われた権力などにしがみつく哀れな肉親を、生きる苦しみから解放しただけです!わたしくはなるべくしてここに居る!例え心が歪もうとも、その苦しみから逃れようと画策しても、わたくしはただ王としてあり続ければそれでいいのです!それが世界の望んだ姿!父も、母も、兄も姉も妹も、死に際こそ呪えど、今となってはわたくしに感謝の念を送り続けている事でしょう!終わりゆく世界との心中など、この世の誰が望むのです!?」


 王女は、カルマがこの世界に来てようやくたどり着いた、本質的な死のあるべき姿を理解しているようだった。だが、同じ答えにたどり着いておきながら、頷いてやることができずに黙していた。


「それはわたくしとて同じ!死なせてくれるのならば喜んでこの身を捧げましょう!しかしそうはいかないのです!世界は残酷で悪趣味、例え魔王軍幹部の手に落ち、毎夜豚になり椅子になったりとしても、「無の領域」に飲まれ苦しみすら与えられず消えていく民をただ呆然と見つめ悶えても、まだ世界はわたくしを殺そうとは思わないのです!それはひとえにわたくしが、「生きる意味」を果たしていないからでしょう!わたくしが生きる意味とは即ち、王であること!この国が露と消え、また新たな王に成り代わるまで、わたくしはこの世界から消える事すら許されないのです!ならば一時の苦しみ死する期待をするぐらい、赦されてもいいとは思いませんか!?」


 カルマは、これは恐らく今まで誰にも打ち明けられてこなかったのだろうと察した。彼女は今、自分を対等な立場の者として、己の内に秘めた黒い感情を曝け出しているのだ。


 王女の唇は噛み締められていた。それは戦う強さは備えれど、戦えない場所にいる者の苦しみだった。王女は自分の立場を嘆いているのだ。救えるだけの力を持ちながら、救わず嘆く声に耳を塞ぎ、救わぬことが救いなのだと自分に錯覚させる日々を、それを全て成し得るカルマに嘆いているのだ。


 そして、ただ日々を嘆き塞ぎこんだ自分とあなたは違うのだと、叫んでいるのだ。


「……笑えんな。これが「滅びゆく世界」の姿なのか。」


 カルマにしては珍しく、他者の話を受け止めていた。ヘラのような浅はかさを嘲笑し、サディスのような固定観を忌み嫌い、タマのような虚無感すらも有益だと渇望した彼は、一度も他者の考えを取り込もうとはしなかった。ただ一人、刃を交え世界を託された彼からは、その意志に触れ価値観を改めているが、それは根本的な観念を曲げるようなものではなく、ただ表面的に薄く伸びていたものを厚くしただけに過ぎない。


 カルマにとっても、王女は初めての「対等な立場の存在」と言えた。


 それが余計に、この世界はカルマに落胆させる。


「尋ねるが、あの「アルス」はお前の弟か?」


 唐突な問いに、王女は豆鉄砲でも喰らった鳩のような表情をしていた。


「……確かに、私の名は「アリア」。アルスは血を分けた弟ですが、それが何か?」


「お前の動きがアルスに似ていた。実力ははるかにお前の方が上だがな。そしてお前の動きは……先代勇者のものだ。顔は似つかなくても、戦闘センスや戦士の波長は血の色が出る。俺の一撃を避けたのは先代勇者しかいない。……お前に出会うまではな。」


 カルマは剣尖を、膝を折ったままの王女に突きつける。王女はその突きつけられた先端よりも、その先にあるカルマの目に引き付けられていた。


 決別、その二文字が脳裏に浮かんだ。彼の中で何か、恐れていたものを受け入れる覚悟ができたのだ。この剣尖は、それを自分にも背負えと告げる、そういうものなのだ。


「俺は、ただ世界を救う事だけを考えて生きてきた。だが確かに、俺が世界を救った所で、この世界に残された絶望までは救えない。それで世界を救う意味がない無いなどと言われれば、それは肯定するしかない。そんなもの、世界を救った俺には微塵も関りが無いからな。それを無責任だと何だと言うのならば、ならばお前が俺に代わってみろと言いたくもなるがな。」


 カルマの脳裏には彼女が浮かんでいた。彼女は浅はかではあるが、決して的は外れていなかった。しかしそれ以外に何もできないカルマにとって、そんなものは考えても仕方のない事だった。だが歩みを進めるにつれ、彼らが感じる絶望に触れる度に、世界の終わりとともに死を迎える方が幸せだと思い込むことも、また一つの救いなのだと。


 だが、人は苦しみもがき続けなければ死ぬことすら赦されない。誰もがそれに気づけぬまま、今を苦しみ生きている。それはカルマも同じだった。


「お前はこれからも苦しみ続けるのだろう?その運命を受け入れる諦めもついているのだろう?ならば俺が言えることは何もない。俺にできる事と言えば、この世界を救う事だけだ。お前を救ってやることはできない。お前の言う、「お前を虐げ支配する者」にでも救ってもらうがいい。どのみち、お前は役目を果たせなければ死ぬことはできん。」


 カルマは大剣を背に携え、王女の横を抜けて窓の向こうを眺めた。そこから見える景色に唇を噛み締め、もう一度自分の使命を見つめ直す。


「ただ、お前の絶望はお前次第で希望になる。……役者は揃った。俺は自分の使命を果たす。」


 突風が吹き抜けた。巨大な閃光や爆発を繰り返したそれは、瞼を閉じたカルマの出立をゆっくりと後押しする。


 そして、彼は雄大な景色の向こうに消えていった。


「……わかりました。ならばその背を見届けましょう。救われた世界に残るものとして。」


 先がどうなるかなど誰にも分からない。しかし、それでも人は望み願う。得体の知れない輝いた未来を、その光がどれだけの闇を作り出そうと、その闇がどれだけの人を飲みこもうと。


 それがどんな運命を導こうと、私たちは生きて、死ぬのだと。


「どうか、世に救いのあらんことを。」


 アリアは運命すら飲み込もうとする彼の背に、両手を組んで祈りを捧げた。

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