第48話 戦う理由

 結末はあまりにも呆気ない。かつて魔王以外に彼らと渡り合えるのは勇者のみだと言われた魔王の側近たち、「四楼」。しかしそれは名も知らぬ少女の桁外れの一撃で幕を閉じようとしていた。圧倒的な力の差を見せつけた後に、その差を息を吸って吐くように塗り替えられてしまった。


「なんていうかさ、私ってこんなに強くなかったはずだよね。」


 自身の大技で吹き飛ばした街並み、残骸の墓場と化した繁華街はもの寂しく、それがついこの間カルマに首根っこ掴まれてバカだの何だのと言われていた場所だと思えば余計に込み上げる物がある。


 自分でも言うように、つい数時間前までのヘラにここまでの力はなかった。ウィッチスタイルを開眼し、アルスとの共闘である程度はものになってはいるが、攻撃を受けながら、それも前回は膨大な時間を要した【炎水雷風・狂鎖連撃エレメント・ディザスター】を仕掛けるなどという芸当は、修行を付けていたサディスでも考え付かないほどの成長だと言わざるを得なかった。


「……ヘラ、あなた何かあったわね?私と別れた後、ここに来る途中で。」


 ヘラの魔方陣が作ったドームに護られていた、まだ戦闘するには辛い深い傷が脚に残るサディスがそう言うと、ヘラは物憂げに空を見上げた。


「特に何かあった訳じゃないの。ただ東には敵が一人も居なくて、本当に兵隊の一人すらいなくて、サディスが危ないと思ってこっちに急いで走って来ただけ。」


 表情は見えないが、嘘を吐いているようには見えなかった。そもそも馬鹿正直に表情が顔に出るし、何よりも器用に嘘を吐けるような子じゃない。そんなことをしようものならことごとくカルマに指摘され、図星を突かれて膨れていたのをずっと見てきている。サディスはヘラの様子に安堵していた。なら、ただ強くなっただけなのだと。


 決して、魔に自分を捧げたりなどしていないのだと。


「……ただ、こっち来る時に凄く頭が痛くなって、それで色々思い出したの。カルマがさ、「俺の名前の意味に反応したのはお前とこいつだけだ」って、アルスに言ったの憶えてたの。転生者とか何の話って思ってたんだけど、カルマにはこの世界に来る前の記憶があるみたいで、私にはそれが無かった。ずっとどうしてなんだろうって思ってたんだけど、思い出して、なんとなくそれがわかったんだ。」


「……何が言いたいのかしら?」


 しかしヘラの変わりようは明らかに異常だった。不安定だったウィッチスタイルも、膨大な量の魔力も完璧に使いこなし、稽古を少し付けたとはいえ街一つ消し飛ばそうとする大技を潜ませたり、それをサディスを守る別の魔法も展開しながらというのは、サディスの目から見ても現実離れした実力だ。


 それが、何かに気づいたからできたというのか。たったそれだけでこの人間離れした芸当ができてしまうとは何事か。サディスには、もはや想像もつかない。


「ふざけんなや……。」


 サディスの口から出てもおかしくない文句だった。だがそれは、災害に飲まれた桜の嘆きだった。その形相は先程から更に黒く染まり、魔力はますます歪な雰囲気を纏って空間を歪めている。


「アリシュア!!」


「……へぇ、生きてたんだ。」


 驚愕するサディスと微動だにしないヘラ。直撃を受ければ間違いなく即死の一撃を不意に受けて、まだ立っていられるというのは流石だった。しかし増加する魔力の渦はもはや危険域を越えていた。それでもまだ戦意を失わない蜃気楼に、ヘラはそれぐらいやってくれなければ程度にしか思っていなかった。


「当たり前や……魔王も、サディスはんも、もう何考えとるかわからへん。だからウチらで終わらすんや、ウチらでここの王女をぶっ殺して、ヴォルドはんもぶっ殺して、静かに世界の終わりを見届けるんや。もうこんなこと、ウチらで終わりにするんや……。」


 静かに世界に響くそのかすれ声に、懐刀であるネルも寄り添いヘラと対峙する。既にサディストの戦闘で消耗し、更に即死級の一撃を防いだ代償を支払っている二人にとって、「悪魔降ろし」状態の二人をも凌駕する魔力のヘラとまた戦うのは無謀に等しい。


 それでも、この二人にも戦う理由はある。ここまで共に戦ってきた仲間たちの流した血が無意味だとしても、これ以上その血が流れないための戦いを続け、それがようやく終わろうとしている。


 戦うための大義はある。戦えるだけの力もある。それなのに、彼女たちの行動は悲しいほどに、彼女たちの望む結果へは向かわない。


「……カルマ、今ならあなたの言いたい事がわかる気がするよ。」


 そうしていれば救えると思っていた。だがあの男の隣に居て、少しづつそうではないのだと感じはじめて、今、それを心から否定できる。


「ねぇ、この力で世界を救えると思う?」


 脈略のない問いをかけられ、アリシュアはその意味がわからず呆然とした。


「……はぁ?何言うてんの?ウチらは世界なんぞもうどうでもいい、ただこの失い続けるだけの戦いを終わらせたいだけや。」


「……そう、戦いを終わらせる、か。」


 ヘラにとっては残念な解答だった。アリシュア達が世界を救うだの、そういう大それたことを考えている訳ではないのはわかっていた。だが、それが大きな目的の下にあるのか、そうでないのかを知りたかった。そしてできれば、それが意味のある物であって欲しかった。


 それでは、ただ戦う事から逃げたいだけにしか聞こえない。それは結局、また新たな争いを引き起こすだけだ。どれだけ力で押さえつけても、また新たな力に押さえつけられる。そうやって同じことを何度も繰り返す。今この状況のように。


 そんなことを思いながら、オリジナルの形へと変形したプラズマアメジストの柄を撫でていた。もし本当に彼女たちが戦いを望んでいないのならばここで引き下がる事も出来た。だが彼女たちの目的を果たすためには、二つに一つしか無い。そして、どれも二人の願望とは程遠い結果を生み出すだろう。


 世界の残酷さに、思わずため息が出てしまう。


「……ねぇ、このまま魔王城に帰ってくれない?そしたらあなたたちの思う通りになるからさ。」


 わずかな希望をもってヘラは二人に呼び掛けた。だがそれは、既に劣勢に立たされてる二人の神経を逆なでするものに他ならない。


 綻びや破れが目立つ袖が、その細い腕を噛み抉っていく。


「……ぽっと出のくせに偉そうな事言うなや!!」


 アリシュアの禍々しい魔力が爆発する。振れる袖は優雅や艶美などとは程遠く、その舞は執念と憎悪の花弁を巻き上げ吹雪かせる。やがて暗黒に染まった周囲は、常人が見れば瞬く間に気が狂ってしまいそうなほどに吐き気を催し、どこからともなく伸びてきた影が生者の体を引きちぎろうと蠢いている。


「【暗黒よりの呻き声ダークネス・ボイス】!!……これがウチの今の全力や!!耐えられるもんなら耐えてみぃや!!」


 もはやこれはアリシュアを象徴する魔法ではない。崖際に追いつめられ、積もりに積もった感情が生み出した人格崩壊の残滓。ただ敵を惑わし魅了するだけだったはずの力が、確かな殺意を抱いた結果がこれだ。自分の身を犠牲にし、相手を飲みこもうとするその様はもう呪いに近い。


 足元に伸びてくる影の手に、サディスは奥歯を噛み締めた。アリシュアの全てが注ぎ込まれたそれは、まるで戦いの中ですり減ってきたアリシュアの心の様をそのまま映し出したようなものだった。力があるが故に弱者を殺し、今日までただそれを繰り返してきた。それを割りきれずにここまで来たアリシュアの傷は深い。


 この手に掴まれることは報いだ。まだ満身創痍で動けないサディスは静かに目を閉じた。


「……そっか。なら、仕方ないね。」


 ヘラの手に握られたプラズマアメジストの埋め込まれた銀杖が、しゃらんと玉鈴の揺れる音を響かせた。


 直後、浮かび上がるのは無数の魔方陣。大小さまざまなそれはアリシュアの生み出した影の手を照らし、指一つ余さず包み込んでいく。


「なんや……なんやこれは!!?こんなん……こんなん人間のできる芸当や無い!!」


 魔方陣に埋め尽くされた、邪悪で支配されたアリシュアの身体。


 数々の戦いを、大儀と悲しみで乗り越えてきたのが四楼の姿なら、そして、もうそれに飲まれてしまいそうなほど世界を諦めてしまっているのなら。


 カルマなら、迷わずこうしていただろう。


「【肉よ、血よ、魂よ。亡者となりてここに在る怨念よ。我が名のもとにおいてそれを赦す。故に―」


 魔方陣に刻まれた文字が何度も入れ替わり、ヘラの詠唱に合わせてその輝きを増していく。


 暗黒の中で輝く光の群れは、まさしく混沌と化した世界に差す光。


「やめろ!やめろやめろやめろ!!ウチを穢すな!ウチの思いを踏みにじるな!!」


 それは痛みでも苦しみでもない。恐怖。それがただアリシュアの黒く染まった体を照らし、その魂を包み込む。


「―故に、滅びゆく世界から救われ、安らかに眠れ。】」


 さらば、地獄を生き抜いた英傑よ。ヘラは掲げた銀杖の光の中で、微笑んだ。


「イヤダアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」


 叫喚するアリシュアを包み込む、閃光。


「【裁定を、ヘラの名の下においてジャッジメント・フロム・ヘラ】!!」


 膨大な量の光柱が西門区域全体を包み込んだ。だがそれは、かつてヘラがサディスに放った一撃や、【炎水雷風・狂鎖連撃エレメントディザスター】とも違う。その全てをただ包み込み、呑み込んでいく光の渦。


 アリシュアの【暗黒からの呻き声ダークネス・ボイス】は、その込められた悲しみや苦しみも容赦なく呑み込まれ、光の粒に溶かされ浄化されていく。だが影の手に込められた力などは、まるで安らぎや癒しを与えられたかのように解けていく。


 その画は、誰もが待ち望んだ「世界の救済」に近かった。


 やがてアリシュアの作った暗黒空間は晴れ、差し込んだ陽の光が蒼装束の体を壮麗に照らしている。それを見上げる彼女の姿は、まさに―。


「……女神。」


 サディスはぽつりと、その神々しい姿の例えを口に零した。


「……そう、私、元々別の世界で神だったみたい。記憶が封じ込められていたのも、名前だけは憶えていたのも、たぶんそういう理由。この桁外れの力も、そういう理由なら説明できるでしょ?」


 サディスに向けた達観する笑み。それは自分の存在が他人と同じであることを諦めた瞬間だった。そして、もう一人の同じ境遇の彼に寄り添う決意にもなる。


 彼も、自分と同じかそれ以上の力を持っている。そして私よりも前に、その苦痛に満ちた使命を背負っている。彼の側で彼の使命を果たせるのは、恐らく自分以外にいないだろう。


「なんていうか、この世界を救うのも、これぐらい呆気ないといいなぁ。」


 自分という存在に気づけたヘラの気分は晴れやかだった。この先も、まだまだ続くであろう困難の、その果てに救済があるのなら……。


 だが世界の闇の根は深く、この世界にはびこる絶望はそんな生易しいものではないと、ヘラの背後に迫る刺客の刃がその脇腹を抉り刺した。


「……油断、大敵。」


「……あっちゃあ、見落としてた?」


 アリシュアの最期を堪え、己の果たすべき使命のために身を潜ませていたネルが、ヘラの影から浮かび上がり、その愛刀で華奢な体を貫いた。しかしヘラの大魔法により受けたダメージは深刻で、魔力の贄になったその体はボロボロと崩れ始めている。


「あなたは、ここで殺す。私たちの役目、果たす。」


 今にも消えそうなかすれ声に覚悟を見せ、ネルは刃を握る手に力を込めた。


「ッ!?―ネル、お願いやめて!」


 その行動にサディスが叫んだ。だが既に時は遅く、ネルの体から大量の魔力が吹き出て、ヘラの体へと流れ込んでいく。


「ぐっ、あああああっ!!」


 変換されていない異質の魔力は、強力な負荷をヘラの体にかけていく。


「私の……魔力で、お前を……爆破させる。その体の魔力……私の全部が、流れ込めば……体が耐えきれずに爆発する。」


 もはやヘラの体に確実なダメージを与える方法は皆無だった。なら己の全身全霊を流し込んで共倒れに持ち込もうと、アリシュアとネルは爆風の中で最後の策を企てていた。


「世界は……滅ぶ。何をしても、何もしなくても。……大人しく、私達とくたばれ。」


 ネルは握る小太刀に更に強い力を込める。ヘラの体から漏れでる鮮血と流れ込んでいく自分の魔力に、この戦いの終わりを思い浮かべて狂気的な笑みを浮かべていた。


 自らの体を貫いた刃を見つめるヘラ。激痛に悶えながら映るその輝きに、また一つ思い浮かべて白い歯を浮かべ、その刀身を握った。


「……何を、している?」


 様子がおかしいことを悟ったネルは更に力を込めた。だがヘラは振り返りもせず、握った手から血を垂れ流しながら唇を動かし始めた。


「あのさ、あなた達の気持ち、わからなくもないよ。もうこの世界は救わずに終わらせた方がいいのかもしれない。誰も世界を救う事なんて求めてないかもしれない。」


 ヘラのそれは、言ってしまえば同情であり同調だった。


「なら……どうして無駄な事をする?」


 ネルのそれは、滅多に表には出ない感情、怒りであった。なぜそれがわかっていながらなぜ自分たちを苦しめるのか、ヘラの笑みがどこまでも気に入らない。それは余計に小太刀に込められる力を強くしていた。


 だが、その程度で止まるほど、この決意は安くはない。


「でもそれが、この世界を諦めていい理由にはならない。何もかも投げ出していい理由にはならない。私たちがここで生きている限り、その恐怖や苦しみや、絶望と向かい合わなければいけない。逃げ場所なんてない。死に場所だってないんだから。例え髪の毛一本が塵になるまで、私たちは「生まれたという呪い」を背負って立ち向かいつづけなきゃいけない。それが世界を救うという事ならば、私たちが今ここに居る意味はちゃんとあると思う。なら、そうでなくちゃ。例え世界を救えなくても。」


 ヘラは握った刀身に力を籠め、自身の魔力を逆流させる。魔力の負荷に耐えきれず、刀身はみるみるうちに変形していく。


「ぐっ―あああああああああああああああっ!!」


 予想外の激痛にネルが悲鳴を上げた。刀身はひび割れ綻んでいく。


 その様子にすら、今のヘラは微笑みかけて見せた。


「だから、もういいよ。あなたたちは充分頑張ったから、あとは私が背負っていくから、いつか世界が蘇るその日まで、おやすみなさい。」


 その言葉を最後に、ネルの小太刀が砕けて、溢れ出た魔力が空へと還っていく。その様はまるで、星屑があるべき場所に還っていくかのように。


「……ごめん、アリシュア。」


 影はその指先をほころばせ、ゆっくりと空に溶けていく。しかしその表情は、ようやく安らぎの場所を得たかのように穏やかだった。


「……なんや、ウチら悪者みたいやん……。」


 辛うじて体の残っていたアリシュアも、ネルの最期を見届け、その瞼を静かに下ろした。身体の感覚が消えていくとはどんなものだろうか。サディスは言葉にできない自分の感情と隣り合わせになりながら、時間を共にした仲間が還っていく様を見届けた。


 脇腹の傷跡を魔方陣が埋め、みるみるうちに再生していく。まさしく二人の最期の抵抗であったが、決意を固めたヘラの前には及ばなかった。だが、それは間違いなくヘラの心に突き刺さっていた。救いを求めて散っていった者達、アリシュアもネルも、彼らの無念を背負って今日この日まで戦い続けてきた。それはあまりに重く、胸を締め付けていたに違いない。塞がった傷口に浮かぶ痣のような切れ痕が、まだ体の芯に突き刺さったまま痛みを発している。


 この痛みを、自分は生きている限り背負うのだと実感した。


「……あーあ、なんかカルマみたいなこと言っちゃったなぁ。」


 世界を救う、サディスにはあんなことを言ってしまったが、それがどういう結果に繋がるのかはわからない。アリシュアの言うように、悲しみを生み続けるだけかもしれない。


 でも、今自分たちができることは、それぐらいしかないのだろう。


「……これでいいんだよね。きっと……。」


 晴れていく真っ暗な世界に差し込む光に照らされながら、ヘラは流れていく時間の重さを感じていた。


【いえ、その必要はありません―。】


 その直後だった。頭の中に響いた声は、女性にしては低くも凛とした気品のあるものだ。どこから聞こえたものかと周囲を見渡しても、その姿は捉えられない。


「……誰?」


 ヘラの眉間が緊張で張りつめる。既に場の空気は異常なまでの凝固感に支配されつつあった。鉛のように重たくのしかかる、仕組まれた罠の中にいるような焦燥感。


 やがて天から差し込んだ光が一際強さを増して近づいてくる。直視するには危険な程で、サディスもヘラも目を腕で覆い隠す。


 浮かび上がったシルエットは修道女のそれ、逆光でも華やかさのわかる首飾りが存在感を増している。


「……何者?」


 それは自分に向かってきているのだと察したヘラは、光の存在に問いかけた。修道女のシルエットは、真っ直ぐにヘラに向いて告げる。


【女神ヘラ、あなたを迎えにきました。―この世界を終わらせる為に。】

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