第51話 世界の分岐点
突如として舞い降りたそれは、瞬く間にヘラ達から世界を奪った。ヘラを小脇に抱える彼女は顔面蒼白で、そこいらにいる死人と何ら変わりはない。疲れ切った表情で、しかし有り余る存在が主張し漏れ出る力の残滓が眩しいほどに、力強い。
全ては、世界を終わらせるために。
そう言い聞かせる度に、胸の奥が引き裂かれるように痛む。
「……これが、運命の選択ですか。」
修道服を身に纏いながら、色とりどりの宝石が嵌め込まれた首飾りを輝かせる彼女は、弱々しい声で呟いた。
抵抗にはあったものの、巨大な力を持つ神の生まれ変わりである彼女とその付き人を相手に、その技の多様性や潜在能力には驚かされたものの、滞りなくことを成すことはできた。
だが、自分がそれをしているのがどこまでも情けない。
世界は限りなく終わりに近づいてしまった。もう彼らが彼らとして生ける土地は僅かしか残されていない。迫りくる時間の中、神の転生体である彼女が世界と共に消えてしまう前に、どうしても回収する必要があった。彼女は世界に悪影響を及ぼしかねないのだ。
まぁ、これから滅ぶ世界に良いも悪いもないとは思うが。
それでも、この世界を救って欲しいという自分勝手な願いを押し付けて、死にゆく運命だった彼らを転生させて、それを自分の手で終わらせなければならないとは、これ以上の皮肉は無いだろう。彼らのうちの一人たりとも、合わせる顔は無い。全ては自分の力不足だ。
「さようなら、私の大事な子供たち……。」
張り裂けそうな胸の奥から、ろくに唇も動かない嘘を吐く。
ただ、これから始まる真実だけを受け止めて。
「――ほう、顔も見せずにさよなら、か。随分と良いご身分だな。」
咄嗟に襟首を捕まれたような感覚に陥った。ぞっと跳ね上がる背が震えるのを堪えながら振り返ると、大剣を背に携えた男が一人、立っていた。
「どうした?目の前に獣の顎でも現れたかのような顔だな。」
男はこれっぽちも笑っていない顔で笑みを浮かべた。それが余計に、彼にだけは会いたくなかったという気持ちを溢れさせる。
「ヘラをどこへ連れていく気だ?サムス。」
カルマは背に携えた剣を抜き、剣先をサムスに向けた。鋭く研ぎ澄まされた眼光は、視界に映る敵を捉えて逃がさない。
「……それを知って、どうするというのですか?」
「質問に答えろ。」
サムスにその気は毛頭ない。だが、カルマにもその選択を受け入れる気は微塵もない。無い者同士のせめぎあい。飛び交うのは火花や感情ではなく、煙たくむせかえるような何か。
わかっているのは、避けては通れないという事。
ゆっくりと、弱々しく突き立てられた人差し指が、カルマの瞳に向けられる。
「勇者カルマ、このシエンダを創造し守護してきた「サムス」の名において、あなたの役目を赦し、解放します。故に、この世界の終わりを共に見届けなさい。」
「断る。」
即断。それが意味するのは見解の相違。サムスはカルマの反応に唇を噛み締めた。
「何故です?あなたはただ「死ぬこと」に執着していたはず。それを今ようやく迎えられるというのに、私の身勝手で縛り付けてしまったあなたの命を解放するというのに、なぜそれを拒むのです?あなたには願ってもないことのはずでは?」
淡々としたサムスの言葉に、カルマは深い溜め息を吐いた。
「お前には感謝している。俺はただ、人の生き死にの終着点が死だと勘違いしていた。その本当の意味を、俺はこの剣に教えてもらった。俺は危うく、自分という存在の生の意味をはき違えたまま、愚かな命を埋葬するところだった。そして今、そのお前が愚かな命の埋葬を試みている。」
「……それは、この世界がまだ救えるとでも言いたいのですか?」
カルマはそれを鼻で笑いながら、意地汚い笑みを浮かべる。
呆れると同時に、首を振る他なかった。
「……愚かな命よ。これは私の責任でもあります。」
ふわりと、ヘラの体がサムスから離れ宙に浮いた刹那、光の粒が集ったと思いきや、はじけた光が水晶のような形となってヘラを閉じ込める。そして波紋を漂わせながら地の底に沈み込むと、複雑な幾何学模様の魔方陣が点滅した。
そして、無数に浮かぶ刻印が、世界の息吹を飲み込んでいく。
「我が命に縛られた愛しき哀の使徒よ。その業を、この手を穢すことで濯ぎましょう。」
サムスがその掌を切り返すと、光が瞬いた。
瞬きすらも許さぬ僅かな間に飛び込んだのは翼、綻びひび割れていく空間を断ちながら真っ直ぐにカルマ目がけて切り裂いていく。
深呼吸、一つ。
瞼を閉じたカルマの右手が翻り、横なぎの構えを取る。
「【
翼が間合いに入った瞬間に、押し上げられた突風がカルマを襲う。
その一つ一つを、瞳に浮かぶ黒い意志が捉えた。
「―
吐き出された息とともに繰り出された一閃は、飛び込んできた翼を打ち払うと、押し寄せる突風すらも安々と真っ二つに切り裂いて、サムスの修道帽を吹き飛ばした。
均整に纏められた蒼く煌びやかな長い髪がはらはらと宙を舞い、意表を突かれたその表情に、トドメと言わんばかりに切り傷を頬に植えつける。
「【ブラック・ミスト・インフェルノ】。」
はっきりと呟かれたそれは、周囲にある景色を黒く染め上げ、瞬く間に熱風を巻き上げながら焦土と化していく。
そこに悲鳴を上げるものはいない。いや、いなくなってしまった。世界は着々と終わりへ近づいている。
それでも彼の瞳には、黒々と燃え行く世界が輝いている。
「……お前が何を思い、この世界の終わりを受け入れようとしているのかは知らん。だが―」
真っ直ぐ向けられたその眼差しに、サムスは出会った頃の違和感を思い出した。
しかしそれは、ただ狂っていただけのあの頃とは違う。
狂気とも言える程の、信念。
「―できるものならやってみろ。世界も、俺も、まだ生きているぞ。」
彼は最後の壁として、世界の終焉に立ちはだかっているのだと。
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