第46話 急襲Ⅲ

 黒い装束に包まれた柔らかな鳩尾を、一筋の影が抉る。


「―げえあっ!?」


 途端に込み上げてきたのは猛烈な嘔吐欲求と押し上げられる肉。吹き飛ばされ宙に浮いた体が壁面にめり込んだ時に、堪えきれずに地面に撒き散らしてしまう。だがそれの反動で開いた口は、休み暇もなく繰り出されたアッパーカットに無理やり閉じられた。上下の歯がぶつかってカチンと鳴り、顎から伝わる衝撃で視界が揺れる。


「……サディス、油断大敵。」


 漆黒のライダースーツに身を包み、自らの首をギリギリと締め上げる華奢な体の少女はそう呟いた。タマによく似て無表情ではあるが、その周囲から漏れでる殺気を隠しきれていない。


「ば……かな…、杭の網は……確かに留めたはず……。」


 既に半分呼吸を奪われてしまっているサディスに、自分の思考を口に出さずに留めておける余裕などなかった。あのタマでさえ動きを封じた魔法が、そう簡単に抜けられるはずがない。


「なんや、サディスはん?まさかあの程度でうちら止められると思いはったん?」


 戦闘に特化しているネルはともかく、アリシュアにまで打ち破られるとは夢にも思わない。焦りで険しくなる表情のサディスを、ゆっくりと無様に打ちひしがれているサディスに歩み寄るアリシュアは愉悦に口角を緩ませていた。その姿からは先程までは無い、ネルのスーツの黒とはまた違う、邪悪な紫のにごりを纏った暗黒のオーラが噴き出している。


「えらい舐められたもんやなぁ。同じ四楼いうてはりますに、ネルはんと二人がかりで手も足も出んなんて、そないけったいな差がうちらにありますかいな?」


「……アリシュア、まだ、何もしてない。」


「……そないな冷たい事言わんでもええやん?ネルはん。」


 ネルの言う通り、この一連の動きを全てやってのけているのはネルだ。パイル・ネット・ゾーンを散々に打ち砕き、足音も無くサディスの懐に入り、鳩尾を抉って壁に叩きつけるまでに、アリシュアは何一つ手を貸してはいない。しかしそれでは、まるで自分がやられるだけの能無しだと言われている様で不本意なアリシュアは、掌に紅紫の焔を浮かべ空をなぞる。


 途端に、サディスの視界がぐにゃりと歪む。気がおかしくなりそうなほど猛烈な勢いで変遷する光景は、まるでおかしな薬でも服用したかのような錯覚に堕とされる。


「【ミステリック・ランタン】。……さて、形勢逆転やね?サディスはん。」


 視界も奪われ、しばらくすれば体の間隔までも奪われるアリシュアの得意技。肩を並べてきたサディスにはその脅威がよくわかる。アリシュアの魔法は直接的な攻撃力こそ持たないが、一度受ければ継続的に感覚を侵食される、いわば毒のようなもの。早期に解除しなければたちまち不利になる、それこそ放置すれば戦闘不能に陥ってしまう。


 幻惑し夢へ誘う世迷い袖、それがアリシュアが「蜃気楼」と呼ばれる所以。


 だがネルに動きを封じられたサディスには、その侵食に身を任せる以外に手立てがない。


「……遅い。」


 詠唱魔法を唱えようと口を動かせば、容赦なくネルの指が首筋に食い込んでくる。


「ぐあああああああっっ!!」


 堪らず声が出てしまう。どくん、どくんとせき止められた脈の鼓動が直に体に響いて、それが命の警鐘のようにも聞こえてくる。


 万事休す、今までのサディスならばそうなっただろう。だがカルマ達と行動を共にし、ヘラに技を教えながらその在り方に触れてきた今のサディスは違う。


 喰いしばられた瞼に僅かに開いた隙間から、自分の首を締め上げるネルを鋭く睨みつけるサディス。だがその目線の先はネルではなく、地面。


 ネルがその視線の意味に気づいた時には、手遅れな程の輝きを発する魔方陣が展開されていた。


「ッ!?魔力で魔方陣を書いとったんか!?」


 アリシュアが叫んだ刹那、サディスを中心として閃光が炸裂し、直後に耳を劈く爆発音が建物を削り倒していく。咄嗟に反応したアリシュアは微弱な水の盾を正面に展開して爆風を凌ぐが、爆発に紛れて襲ってくる見えない薄い円形の刃が薄い防御を容赦なく削り、貫いていく。


 巻き上がる土煙、それが少し晴れ始めた頃に、中心に浮かぶ人影が右腕をだらしなくぶら下げて、弱々しく膝を震わせながら立っていた。


「……面白い子に会ったの。その子、魔力で魔方陣を書いて、自然の魔力を変換して魔法を使ってるのよ。あまりにもスラスラ書くものだから簡単なんだと思って真似してみたんだけど、馬鹿みたいに準備が必要ね。おかげで腕を持ってかれたわ。」


 サディスが使って見せたのは、火と風のどれも初歩的な魔法の組み合わせ。それを起動順に内側から組み立てて伏しておいたのだ。同じ地点に仕掛けたものでは無いが、魔力で描いた起動前の魔方陣なら移動させることができる。


「……予想外や。まさか陣魔法を使うなんて思ってもみんかったわ。」


「そうね。これは最後の切り札だったのだけど―」


 爪を噛むアリシュアに、意地の悪い笑みを返すサディス。確かに陣魔法はコストが安いが、使うには時間と手間がかかり過ぎるためよほど大規模な戦闘にでもならなければ使おうとも思わない。だがその概念を覆す、出来損ないの弟子の存在がサディスの窮地を救った。


 だが、そのために支払った代償は大きい。


「―慣れないことはするものじゃないわね。」


 鮮血に染められた右腕を手の腹でなぞり、命を削ぎ落す。地面に散った痕はじわりと吸い寄せられていく。痛々しい光景ではあるが、サディスにはまるでその様子がない。一足先に肉の塊となってしまったのだ。


 右手にはめられた指輪を奪い取る左手。付け替えられた直後に再び、サディスの魔力に呼応して深い青色の輝きを放つ。


「便利やなぁ、握らんと使えん杖と違って。」


 サディスの劣勢は変わらない。むしろ腕一本を失ってしまって更に状況は悪くなっている。このままやられていた方がむしろ、物わかりのいい選択だっただろう。アリシュアの嫌味にもとれる一言は、この状況に陥った無謀さを顕著にしていた。


 二人が醸し出す黒いオーラ。ここまで圧倒されるほどの強い力だが、サディスの目は、それを羨んだり妬んだりといったものでは無かった。


「……あなた達、悪魔を降ろしたわね?」


 まるで風船がしぼんでいく様を見届けるかのような、可哀想なものを見る目。サディスの目はまさにそれだった。


「どういうことかちゃんと理解してやってるのかしら?自分に見合わない力を無理に使おうとすればどうなるか、あなたたちが知らないはずはないでしょう?私達「四楼」は、全員が一度自分の魔力を暴走させて死にかけている。」


「……せやな。」


 アリシュアから、笑みが消えた。


「それを魔王様に救われて、なのに同じ過ちを繰り返そうとしている訳かしら?その様子だとウォルドもやっているのでしょうね。」


 サディスは、今アリシュアやネルがやっている事の危険性を熟知していた。


 悪魔降ろし、厳密に言えば魔力に自らの精神や肉体を喰わせている状態の事を指している。絶大な力を得ることはできるが、やがて自我が崩壊して、それこそ悪魔に体を乗っ取られたかのような状態に陥ることからこう呼ばれる。そもそもこれを行うこと自体に相当な実力が必要なのだが、更にこれを制御し、中断することは更に困難なため諸刃の剣でもある。


 サディス達「四楼」は、過去にこの悪魔降ろしに近い状態に陥り死にかけた経験を持つ。暴走した魔力を魔王が無理やり枯渇させ、残った僅かな自我を時間をかけて回復させてきたのだ。それを自ら捨てるその行為は、もはや魔王に対する明確な裏切りと言っても過言ではない。


「……まだ間に合うわ。今すぐやめなさい。その程度ならまだ止められるでしょう?」


 このまま二人を見殺しにすれば、それは魔王への裏切り行為になってしまう。たとえそれが自壊であっても、止められる自分が止めなければならない。


 だが、そんなサディスの思いがアリシュアの噛み締める力を強くする。


「……なんや、ほんま気に喰わんわ。」


 湧き上る黒。アリシュアの体から、更に黒いオーラが色濃く噴出した。ずっと笑いながら閉じられていた瞳がゆっくりとその姿を現すと、その周りを覆っていた穏やかな白が真紅に染まり、瞼に溜まった血だまりが白い頬に筋を入れる。


「アリシュア!!」


 一目で危険な状態に入ったと認識できた。だがそれも束の間、サディスの下腹に丸太を打ち付けられたような強烈な衝撃が響く。


「があっ!?」


 そのまま吹き飛んでしまってもおかしくはなかった。だがサディスはその場で床に叩き伏せられる。後ろから同程度の衝撃が背骨を襲い、前と後ろからの衝撃で潰れかけた肺が縮み、切れ切れになった息で喉を鳴らしながら抑え込む。


「……ほんま、反吐が出る程優しいなぁ。まだ人と魔族が共存できる世界なんて言ってはるん?人の心配してる暇があったら自分の心配をしたらどうや?そうせんといつの間にか、全部終わってしまいますえ?。」


「あ……アリシュア…。」


 吐く息で無理やり振り絞った声は飛ばず、魔力に体が飲みこまれていく仲間の姿ももやがかかって見えづらい。


「ええ加減にしとくれや。ウチらは今までどれだけの弱者を虐げてきた?この手でどれだけ葬ってきた?その誰か一人でもそんな世界を夢見たか?違うやろ!殺し、奪い、奪われ、泣き、喚き、その繰り返しや!時には自分が!そんな無情を与え、与えられ!そんで何かええもんもらったか!?無いやろ!失い続けただけや!この世界も!ウチらも!何一つ手に入れられへん!全部失くしただけや!違うか!?」


 吹き出た血の涙、だがアリシュアはその目を閉じない。その瞼から血が湧き出る度に、その瞳が渇いていくほどに、彼女の体から吹き出る黒い魔力は膨張していく。


「もう諦めや。もう充分頑張ったやろ。ウチらで終わりにするんや。魔王も勇者もいらへん。ウチらが最後になって、この世界の終わりまで見届けて消えるんや。ウォルドはんはなんか野心があってやっとる。けどな、ウチとネルはんはそんなんどうでもええねん。あとどんだけ進んだら終わる?あとどんだけ倒したら終わる?あとどんだけ戦ったら終わる?もうたくさんや。もうたくさんやろ?世界なんて救われんでええ。大人しく終わろうや。こんなん……こんなん勝ち目無いやん。何や「無の領域」って。飲まれたらそれで終わりやん。そんなんが壊しまくってる世界を一つにして何になるん?わからんわ。何でこんな必死になって戦っとるんかもわからんわ。」


 魔力に蝕まれていく体は、必然的に激痛を伴う。アリシュアは自身の苦悩とそれが混ざり合ったものに気を飲まれそうになりながらも、夢想めいた理想を掲げるサディスの浅はかさを睨む。


 魔王に従い戦い続けているだけでは救われない。魔物も、それの犠牲になった全ても、自分も、それがわかっていながら戦い続けた今までも。全て等しく「無の領域」に飲まれて消えていく。なら今自分がしていることは何になる?その答えが出ずに、アリシュアはずっとそれを噛み締めている。


 だからこそ、力は認めていながらも、魔王に従っていればそれでいいというサディスの態度は気に入らなかった。


 サディスは地に伏せながら、降ってくるアリシュアのやり場のない苦悩を拾い上げていた。それを一度体の中に取り込んで、目を閉じ、葛藤する。


「―それでも、私は目指すわ。人と魔族の共存を、魔王様と共に。」


 それでもサディスの意志は変わらない。


 アリシュアにはそれが許せなかった。瞬く間にサディスの懐に入り、緩やかなカーブを描いた長い髪を掴み上げ、地面に向かって叩き伏せる。


 悪魔降ろしの力は絶大だった。普段近接戦闘などしない非力なアリシュアでも、それだけで正円状の衝撃波が地面を抉る一撃を生み出せる。


 魔力に飲まれつつあるアリシュアの顔は頬や額が黒い紋様に覆われ、元の顔立ちが失われつつあった。それを腫れ上がった瞼や青痣の浮かぶ頬骨の痛々しい顔で、髪を引き上げられ無理やり見上げさせられるサディス。理想と現実、向かい合う力の差はあまりに顕著だった。


「ええ加減にせえや。例えこの先それができたとして、それに何の意味があるん?みんな消えてなくなってしまう、それならそんなもの無意味やろ。生い先短い時間の為に、くだらない理想ごっこすんのが何の慰めになるんや!」


「消えてなくなるから何もしないより、消えてなくなる前にできることがある!それが例え何の意味もないものだとしても、何もしないまま消えるよりははるかにマシよ!」


「それが意味ないと言うてますの!苦しみが増えるだけ、争いが広がるだけ、それが世界が消えることに対しての大義なんか!?わざわざ世界諸々巻き込んでやるほどのことなんか!?もう全部諦めて静かに消えていきたい奴らはどうなるんや!?ウチらはどうなるんや!?苦しみ抜いて死ね言うんか!?」


「ただ立ち止まって傍観しているだけなら、それは辛いだけでしょうね。でもどのみち死ぬわ!消えてなくなるわ!私たちがどれだけあがこうと、この状況を私たちは変えられない!でもそれが何もしなくていい理由にはならないわ!こんな絶望的な世界でも、それでも救おうと足掻き続けている者もいる!一日でも明日を生み出そうと足掻いている者たちがいる!例えそれがどれだけ悲しく醜いものだとしても、私たちは信じて進むわ!砂漠から一滴の水を探し出すほどの気の遠くなるような事でも、それが希望だと言うならば信じて進むだけよ!」


「その水一滴が何万と葬ってきた命の代償だとしてもか!?」


「それなら尚更よ!殺し、奪い、失くした物のためにも、私たちは立ち止まれない!」


 サディスも、アリシュアも、己の在り方を譲ろうとはしない。滅びを受け入れようとすることも、それに抗い続けようとすることも、等しく愚かで無意味な事を二人は知っている。せめぎ合うのは慈愛と覇道、どちらも人を正しく導くものでありながら、相容れないという悲しい宿命を背負っている。


 そのどちらもが、誰かを思っているというのが余計に、滅びゆく時代への皮肉になっている。


「アリシュア!あなたの言いたいことはよくわかったわ!なら今ここで私に引導を渡しなさい!それができないのなら今すぐ魔王軍から消えなさい!あなたの選んだ選択がどんな運命を辿るのか、それをその目で見届けなさい!」


「……ッ、わからんやっちゃなぁ!!」


 サディスの志は同胞の慈愛の心を笑わない。それは優しさゆえに、今まで犠牲になってきたものを見届け続けたからこその感情であり、もしこれが生まれていなければ魔王軍はただの侵略者になってしまっていただろう。アリシュアの慈愛があればこそ、魔王軍は軍としてまとまっている。


 アリシュアの慈愛もサディスの覇道を疎ましいとは思わない。高い決断力と統率力、そして生まれる犠牲に敬意を払うその姿勢が不可欠な事を、共に戦ってきた仲ならばよくわかっている事だ。だからこそサディスと敵対するのは最後まで反対した。その存在を失うのはあまりに大きすぎる。そしてそれは、最後まで皆を希望のある明日に導こうとしている。そんな姿に尊敬してきた。だからこそ殺したくはない。まだ髪を掴んだ腕は震えている。この腕を地に叩きつけるべきではないと体が叫んでいる。


 互いに覚悟を決めなければいけなかった。アリシュアは運命を受け入れることに命を懸けた。サディスは運命に抗うことに人生を捧げた。この瞬間は、この世界がこの先にどんな運命を辿るかを象徴している。故にここで力尽きた方が己の生き様を諦めることになる。


 さらば友よ。アリシュアは慈愛の涙を鬼に染め、サディスは覇道の瞳に束の間の安らぎを浮かべる。


「【咎人よ、楽園に眠れヘブンズ・ナイトメア】!!」


 技名発声と共に、アリシュアがサディスの額を地面に打ち付ける。轟音と土煙を上げたその場は深く沈みこみ、ゆらゆらと波紋を浮かべてサディスの体を飲みこんでいく。


 【咎人よ、楽園に眠れヘブンズ・ナイトメア】はアリシュアの持つ魔法の中で、最も致死率の高い幻惑魔法。肉体と精神を切り離し、魔力が底を尽きるまでアリシュアの作り出した幻覚空間の中で彷徨い続ける、対象に死を自覚させない快楽的な幻覚は、アリシュアの思想や概念に深く影響されている。


 もし抜け出せなければ、それはそのまま死を意味する。ネル共々まともに相手取り、慣れない陣魔法まで使って戦ったサディスに、悪魔降ろしでさらに強化されたアリシュアの幻覚魔法を打ち破る力など残っていない。


 文字通り、アリシュアの全力を込めた一撃だった。


 水の底に沈んでいくような感覚がサディスの体を支配する。それが死ぬという感覚ならば、なんと心地の良いものだろうか。


(魔王様…………………。)


 ふと瞼の裏に浮かんだのは、どんな絶望でも忘れなかったその人の顔。その人も決して、この救いのない世界を諦めていなかった。


 最後まで添い遂げられなかったことを許してほしい。サディスはそう願いながら、遠ざかっていく意識が沈んでいく感覚に身を預けた。


【…………ふざけんじゃないわよ。】


 直後の事だった。生意気な娘の声が脳内に響く。


 刹那、全身を包んでいた水がじわじわと熱を帯び、やがて肌を焼き尽くそうと赤々と燃え上がる。身を焦がさんとする灼熱が激しさを増し、やがて痛みへと変わっていく。


 はっと目が開き、意識が覚醒した。ひび割れた地面の上で無様に転がった体は、激しい痛みを伴って叫喚している。


「なんや!?【咎人よ、楽園に眠れヘブンズ・ナイトメア】が解けた!?」


 既にトドメは刺したと、ウォルドと合流しようとしていたアリシュア達が足を止め動揺する。


「……おかしい。サディスには、そんな力はもうない。」


 ネルの言う通り、サディスにそのような力は残っていないはずだった。だが思っていることはサディスも同じ。確実に死ぬ状況へ陥ったはずの自分が、意識をはっきりと持っていることが不思議でならない。


 だがその疑問はすぐに解決する。痛む体を無理やり起こしてみれば、サディスを中心とした巨大な魔方陣が展開され、おびただしい量の魔力を変換しながらサディスに注いでいる。


「なんやあれは……まだそんな隠しダネがあるんか!?」


 アリシュアとネルは、サディスがまだ何かを隠しているのだと身構える。しかし、この事象の犯人に気づいたサディスには、その様子がおかしく見えて笑いを堪えきれない。


「なんや……何がおかしい!?」


「……はぁ、馬鹿ね。まさか引き返してくるなんて。」


「……引き、返す?」


 ネルが小さく呟いた。そしてサディスが何かを見上げているのに気が付くと、その視線の先を追おうと振り返る、その瞬間だった。


 一本の光の筋が真っ直ぐネルに向かって飛来した。頬を掠めたそれは僅かな切り込みを刻んですり抜け建物に突き刺さると、閃光の後に爆発し見る影もない瓦礫の屑と化す。


「……何者?」


「それはこっちのセリフだってば!」


 声がしたのは錆びた廃屋の屋根の上。銀杖に輝く赤紫の魔石は脈を打つように点滅し、その持ち主は鮮やかな蒼色の、スレンダーな体つきに纏われたレオタードの腰元に、フリルがなびく愛嬌のあるデザインが特徴のウィッチ・スタイル。


 本来黒や紫が主の魔力だが、アリシュアが目を奪われるほどその鮮やかな蒼は稀少な質の魔力だった。しかしそれ以上に、銀杖に輝く魔石に注目がいく。


「なんで……なんで「プラズマ・アメジスト」が……なんであんな人間の娘が、サディスはんの魔石を持っとるんや!?」


 誰もが知っているサディス愛用の魔石、宝珠「プラズマ・アメジスト」。そもそもサディスがなぜそれを持ってきていないのか、一番最初に気づくべきだったのだ。


 予想もしない展開に、アリシュアとネルの二人の間に動揺が広がる。そんな二人を見下ろしながら、突如として現れた少女は銀杖を向ける。


「……それで、これはつまりどういうこと?」


 二人の様子に苦笑していたサディスは、少女の一言を聞いて更に苦笑を深めるのだった。

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