第45話 急襲Ⅱ
ガキイイィィィィィン!!―
質のいい金属が強くぶつかり合いながら擦れていく甲高い音が響く度、肌を押しつぶすような風圧に襲われる。しかしそれに気取られれば次に来る圧に耐えられない。互角に競り合う二つの剣技を呆然と見つめていたアルスは、ただただ圧倒されるしかなかった。
彼岸桜・ウォルド―。魔王側近の四人である「四楼」の中で最も近接戦闘に優れており、それは既に「無の領域」に飲まれてしまってはいるが、先代勇者の死後、人間側の領地が著しく失われたのはこの男の活躍があったからと言って違いない。刀身が人の身の丈程はある宝剣「オブシディアン・クレイモア」を、まるで棒切れを振り回すかのように扱うその様で、人間側を戦々恐々させてきた。
しかし、怒涛の応酬が繰り広げられる中、その体に少しずつ傷をつけているのはウォルドの方だった。
キシィィィィィィン!!、と鋼の擦れ合う音がする。同時に着地して対峙した二つの影、しかし黒い鎧に身を包んだ男は踏ん張りきれず、右手に握られた剣の先と左膝を地に着けてしまう。
「……貴様、何者だ?」
ウォルドは対峙する女をむき出しの憎悪で睨むが、対して女の表情は冷ややかで、それに戦う事への興奮や迫る死への恐怖と言った、戦いの中でしか生まれない特有の感情というものが微塵も感じられない。
ただ、命を刈り取ろうというだけの目。
剣を握る手にも力が入る。これは優位とか実力差とか、そういったそもそもの力の差で決まる勝負ではない。これと鍔を競り合ったその瞬間から、相手を殺すその瞬間まで一切の気を抜いてはいけない、抜けば次の瞬間に撥ねられた自分の首を見下げることになる、そういう勝負だ。それに気づくのが少し遅い気もするが、ただの人間だと侮っていた自分にも落ち度がある。
認識を改める必要がある。これは、強者だ。
立ち上がり、構え直し、手に力を籠める。
風が吹いた。
瞬間、お互いの間合いは瞬きをする暇もなく、首を撥ねられる距離まで詰められる。双方、大剣が横薙ぎに振りかぶられた。
「【
「【
漆黒の雷と赤黒い炎がそれぞれの刀身に纏われ、ぶつかり合う。渦を巻き競り合う炎と雷、一歩も譲らずせめぎ合うそれは周囲に衝撃の残滓を撒き散らす。
混ざり合った塊が散った時、既に二人の影は無い。建物の隙間を縫うように黒い影が二つ、すれ違う時に甲高い音を弾かせながら凌ぎを削る。ぶつかり合っていた大剣同士はいつの間にか双剣と対峙し、目で追いきれない速さで飛ぶ斬撃の弾幕を黒い体験が薙ぎ払う。
建物を足場にして自由自在に繰り広げられる乱撃、しかしその最中、タマが着地した赤レンガが緩み、着地の衝撃に耐えきれずに崩れた。踏み外した足からバランスを崩し、タマの体が宙に放り出される。
見逃すはずもない、一瞬の油断。
「【
ウォルドの呼びかけに「オブシディアン・クレイモア」が応え、その刀身を黒い波紋が包み込む。難なく着地したウォルドの体が揺らぎ、隙間風が吹く一瞬のように漆黒がタマの目前に詰め寄った。
完全に捉えきった刹那。大きく見開かれたタマの瞳に、漆黒の刃が迫る。
「【―
小さな口元が僅かに動いた。
ウォルドの一撃は間違いなくタマを捉えていた。しかし振り抜かれたそれは肉を引き裂くことはなく、高速で回転する体にいともたやすくかわされてしまう。だがウォルドは歴戦の士、まるでそうなることを読んでいたかのように冷静に手首を切り返し、振り抜いた反動が残る体で強引に斬り上げた。
反撃に転じるための一手、しかしそれが攻勢に転じることはなかった。
音を置き去りにした高速で迫る斬撃の応酬。黒い波紋を纏った剣は、その本来の在り方を示せず迎え撃つ。空を裂き、風を縫う鋭い乱撃が黒い刀身を無数に攻めたてる。散り散りになっていく波紋、甲高い音が一つ跳ねる度に荒々しさが剥がれ落ちていく。
「ぐうぅぅっ!!」
一撃は決して重くはない。だがそれが無数に続けば状況は変わってくる。休む間もなく叩かれる刀身から伝わる衝撃波は、着実にウォルドの体に響き蝕んでいく。
「―うおおおおおおっっ!!」
「はぁ……はぁ……まさか、これほどとはな……。」
剣技に関して負ける自信などないウォルドであったが、今のこの状況は始めて現魔王と対峙した時とよく似ていた。圧倒的な力の差の前に屈する、辛酸を舐めさせられたあの屈辱感。決して遅れは取っていないはずだが、剣を構えた姿にはその差がしっかりと映されている。
「貴様ほどの実力者が……なぜこんなところでくすぶっている?」
しかし同時に疑問でもあった。端から勇者などは眼中に無かった。しかしこの街で最も実力があるのは勇者だ。ならば街の制圧など取るに足らない事だと思慮していた。だが今こうして目の前にいるのは、いつ魔王城に進攻してきてもおかしくない実力者。それが何も知らされぬまま、こんな街でただくすぶっているというのはあまりに不自然な話だ。
二刀を構えたタマは、そんな焦りと困惑に塗れたウォルドの思考など気にするそぶりもなく、表情一つも変えることなく淡々と答える。
「私は主に仕えるもの。その存在は主と共に、その在り方は主の望むままに。故に今あなたと対峙し、そして殲滅する。」
「……なるほど、大した忠義心だ。」
愛剣を支えにする身体がよろめくが、動けない程ではない。両者ともに決定的な一撃はもらっていなかった。
「だがわからんな、それが何になる?お前に意思はないのか?そんな無機質な刃が何になる?」
ウォルドは剣先をタマに向けて問う。その目に映るのは野心、世界を手にしようと暗躍する輝き。滅びゆく世界と言えど、やはりそれを掌握するのは簡単な事では無い。
しかし、ウォルドは戦い続ける中で確信していた。力こそが世界を纏めると、故にアリシュア、ネルの二人と結託して魔王の指示に背反し行動を起こした。力で世界を纏めるために。今まで数多く殺してきた生きる目を失った人間を纏め上げ、滅びに抗う為に。
それほどの熱い意志がある。勇者であるアルスは敵ながらも、その姿に畏怖していた。故に自分の剣が握れない。自分が何を守ろうとしているのか、これを前にしてはもうわからなくなってくる。
だが、タマは勇すら畏怖する意志を、ただ冷ややかな瞳で見下していた。
「―私はNST-001。主人の命令に従い行動するアンドロイド。それ以上もそれ以下も必要ありません。」
「自ら生きる意味を放棄するか!!」
腰を落としたウォルドが勢い良く踏み込み、オブシディアン・クレイモアの刀身を漆黒に研ぎ澄まし猛突する。瞬きをする間に懐まで迫ったウォルドの刀身が、タマの体を横薙ぎに分け隔てようと振りかぶられた。対してタマはそれを受け流そうともかわそうともせず、ただ瞼を閉じてその瞬間を待った。
オブシディアン・クレイモアが振り抜かれる。残像は黒霧を動線に残し、その威力の凄まじさを語るように建物一つが二つに割れる。
しかし、そこに人間の胴体の姿はない。
空へ高く飛翔したタマが二刀を十字に構え、無心極まる瞳が黒鎧を捉えていた。
「【
だがウォルドはそれを、タマと凌ぎを削り合った事で予測していた。振り抜いた剣をすぐさま低く構え、魔力を溜め込んだ刀身を全身を使って大きく振り上げる。
真っ直ぐ目の前に迫る黒い衝撃波。だがタマの瞳はその先を見ている。自分が何をするべきか、何をしなければならないのかを見失わない真っ直ぐさ。それこそがタマが無機質である由縁であり、カルマが最も信頼を寄せている部分。
命令は、どんな手を使っても必ず成し遂げる。
「―【
全身に風の魔力を纏い、周囲の空気を巻き上げる。銀に輝く刀身は魔力の影響で澄み渡り、やがてその姿を景色の中へと暗ませた。風になびき逆立つ黒髪、それが醸し出す圧と二刀から放たれる魔力の波が、交差する。
その瞬間はまさに時間を飛び越えたようだった。放たれた黒い衝撃波はいつの間にかタマの体の後ろへと過ぎ去り、しかしタマの体には傷一つ付いた気配もない。それどころか地上の礫を巻き上げる程の強い突風が、その華奢な体にまとわりつくように渦を巻く。それはまるで自身を銃弾と化したタマの一撃は、迷うことなくウォルドに向かって落下していく。
「――ッ!」
気合を叫び踏み止まろうとしたウォルド。だが避けきれず、大剣の腹で受け止めた一撃は容赦なく体を押し込み、果ては勢いそのままに体を宙に浮かされてしまう。すると竜巻のような一撃は更に回転速度を上げ、重厚な鎧をまとった大男の体を軽々と打ち上げ空へ運ぶ。
身動きのできない世界に放り出されたウォルド。それを捉える二つの刃。
四方八方から自由自在に繰り出される剣撃が容赦なく鎧を砕いていく。それは、まさに宙に浮かされた獲物が竜に狩られるその様と同じ。美しくも圧倒的な強さが微塵の出し惜しみも無く獲物を捉える。
とどめの一撃。それと共に着地したタマの背に、無残にも落下する魔族最強の戦士の体。
「……状況終了。」
小さく呟いたタマの瞳には、ただ己の使命とそれを成す術以外に映っていない。
「……マジかよ。」
恐らく自分では手も足も出なかった相手、それを凌ぎこそ息一つ乱さず倒した名もなき少女に、アルスはただ愕然とする他なかった。残酷にも磔にされ、無惨な姿を晒されている仲間達に、これ以上ない手向けになった。
だがしかし、それを素直には喜べない。勇者だというのに、自分は何もできなかった。ただ二人の戦いを愕然として見守るしかなかった。それを果たして勇者と呼んでも良いのか。それが勇者である者の姿なのか。
世界は滅びつつある。それなのに、自分はまるで何もできていないではないか。
自分は何を救ったのか。自問自答を試みても、出てくる答えは見当たらなかった。
「…………俺が、負けるだと?」
打ち倒され転がったウォルド。全身に走る痛みのせいで体を起こすこともできない。自慢の鎧は粉々に打ち砕かれ、その原型をとどめていない。自身の剣舞を手の平を返すかの如く躱され、圧倒的な力の差を見せつけられ地に打ち上げられる。戦士として、これ以上ない滑稽な姿だった。
「……認めん、……認めるわけにはいかん……ッ!」
憎しみ、怒り、湧き上る感情は全て黒い。自らの求める物の為に、こんな場所で寝ている暇などない。
「……ゥウォォォォオオオオオオオオオオオオッッ!!!」
爆発する感情。打ち上げられた号砲はタマとアルスの足をすくませる。押し寄せる波動は黒く、それは間違いなく、先程打ち倒されたはずの戦士から放たれている。
ぐらりと、その身体が起き上がった。事態の変化に気づき、再び二刀を構えるタマはその姿を凝視する。
肌を焼き尽くすような、憤怒。
目で追う暇もなかった。既に両腕で振りかぶられた漆黒の大剣が目の前に迫っている。急ぎ反応し、その一撃を刀身で受け止められたのは、タマの類い稀なる戦闘センスに違いない。
「ガァアアアアアアアアアッッ!!!」
それでも反応できない速度で放たれた一撃。
「――ぐぅっ!?」
剣から離れた右拳が怒りで隆起するほどに強く握られ、空を巻き上げながらタマの鳩尾を深く抉る。
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