第44話 急襲Ⅰ

 サディスには、この街に着いた当初から気にしている事がある。兵士を含め、異様に人が少ないのだ。シルエット城は堅牢で、四方向からの長期間に渡る挟撃にも耐えきって見せている。もちろん手を抜いている訳でもなく、タマに出会うまでは、少なくとも自分の担当する南門の防備はよくできていて、攻めあぐねていた。それは街の地力が高いがためだと思っていたが、この程度の住人の数しかいない街に、それだけの戦力が果たしてどこにあるだろうか。


 それをもしこの襲撃と関連付けるのなら、全ての辻褄が合うかもしれない。最初からウォルドが魔王様を裏切るつもりで戦力を蓄えていたのなら、ネルやアリシュアがそれに同調して私を欺いていたのなら。


 もし、既にシルエットは三人の手に落ちていて、人間側の戦力が南門に集中していたのならば。


(全部……仕組まれていたというの?)


 考え過ぎだと思いたい。しかし状況は最悪を一途をたどっている。既にウォルドとは対峙し、タマやヘラたち人間側と手を組んでいる事も露見してしまった。もしこの一連の流れを全て私になすりつけられたとしても、私には反論する余地がない。


 ……これは、魔王様に対する明確な反逆行為ではないか?


 あの三人も、私自身も、堂々とそれを否定することはできない。ヘラに情が湧いて指導を施したのも事実、最初は彼らを利用するつもりだったが、カルマはその程度の男ではなかった。最初は口車に乗せられた振りをしたつもりだが、いつの間にか彼らに協力するのが至極当然な物へと変わっていった。それが自分にも利があると、自ら自分を説き伏せていた。


 すべては、魔王様の為に。だがこれは、本当に魔王様のためとなるのか?ウォルド達と対峙し、カルマたちと行動を共にし続けることが、本当に魔王様の為になるのか?


(私は……私はどうすればいい?)


 それだけ迷いながらも、サディスはその足を止められずにいた。


 ウォルド達の、真意を汲まなければならない。


 それを確かめるには、もっとも丁度いいお喋りな相手がこの先にいるはずだ。


「なんや、そんなに急いでどこ行きはりますん?サ・ディ・ス・はん。」


 背後から、何度聞いても無理やりな癖のある喋り方をした、おっとりとした女の声がする。


「…………アリシュア、やはり城内にいたのね。その変な喋り方、いい加減に直さないのかしら?」


「上品、目指そうと思ったんやけど、やっぱ難しいわぁ。なんやろねこの違い?」


「……その土地の人に聞いてみるのが最もじゃないかしら?戦争が起こりそうだけど。」


「はっはっは!よう言うわ、サディスはん。……戦争ならもう起きてますやん?」


 その可愛げな顔から浮かび上がる可愛げのない笑みが生じた時、サディスの足元からぬらり、と黒い影が伸びた。咄嗟に後ろに飛んでそれを躱しながらウィッチスタイルに切り替える。プラズマアメジストに変わる、澄んだ深い青の親指大の魔石が埋め込まれた指輪を輝かせ、隠していた角を浮かび上がらせる。


「何それ?隠しとったん?」


「器用でしょ。あなたにできるかしら?」


「う~ん……かないまへんなぁ。せやから魔王様に放置されるんやで?そのボンキュッボン、もうしばらく魔王様に抱きしめてもらってへんのやろ?」


「【アイス・エッジ】」


 アリシュアの足元に、人一人を貫く太さの氷柱が立ち上る。前触れもなく現れたそれは容赦なくアリシュアの体を貫いた。


 が、何か傷がつく訳でもなく、アリシュアは氷柱の中でゆらゆらとしていた。


「余計なお世話よ、アリシュア。」


「お~怖い怖い。そんなに怒らんといてぇなぁ。悪気はないんやで?」


「最後まで嫌味たっぷりじゃない。犬も喰えない様な。」


「お犬様は舌がよう利きますようで。」


 深々と礼をするアリシュアは、やはりどこか遊んでいる気があるように見える。犬ならば利くのは鼻の方だろうと言い返したい所だが、油断していれば一息に意識を攫われる事はサディスもよく知っている。


 そして、それに気を取られていれば、また足元から影が伸びてくることもよく知っている。


「二度同じ手は食わないわよ、ネル。」


 サディスは足元を業火で焼いた。無詠唱の広範囲魔法は、熟練した戦士であっても容易に察知することはできない。自らの影法師すら焼き尽くす烈火は、まさしくサディスの怒りそのものを陽炎ともども立ち昇らせている。


「……当然。」


 その無音にも近い呟きは、アリシュアの足元から浮かび上がった。全身を黒のライダースーツで包み、胸元だけを窮屈そうに開けているスラリと伸びたシルエット。


「サディスは、強い。」


「ネルはん?それだけじゃいろいろ伝わらんよ?」


「……ごめん。」


 アリシュアの背後に伸びる影に隠れた最後の一人・ネルは、その虚ろな出で立ちに更に深く影を落とす。それこそ、華やかな宴の影にひっそりと舞い落ちる桜の花びらのように。


 しかしその影がどれだけの脅威か、特にアリシュアと並んでいるその様がどれだけ脅威であるか、常に足並みを揃えてきたサディスには、容易に構えを解けないほどに危険であることは明白だった。自らの代名詞である「摩天楼」、そしてアリシュアの代名詞である「蜃気楼」は、この「夜桜」であるネルの存在によって完成する。ネルはウォルドに次ぐ近接戦闘を得意とするタイプでありながら、補助系の魔法を使いこなして戦うかく乱を専門にしている。ウォルドが大規模な戦闘で先陣を切るタイプならば、ネルは一対一に持ち込んで確実に仕留めるタイプ。敵の懐に入り込み、楔を打ちこみ動揺を誘い、それをアリシュアが惑わせ、サディスが仕留めるというのが魔王軍の必勝法でもある。


 ネルに気を取られればアリシュアに惑わされ、アリシュアに気を取られればネルに影から葬られる。どちらにしても、サディスには一方的に不利な状況だ。


「ネルはんとウチが並んどるんは誤算やったろ?サディスはんを一人でどうにかするにはちと無謀やし、サディスはんなら間違いなくウチを狙ってくる思って、ネルはんとここに居ってよかったわぁ。」


「……サディスが、最も脅威。」


 アリシュアが袖で口元を隠しながら愛想の良い笑みを振りまく背後で、ネルの鋭い眼光がサディスの首元を捉えている。冷たい気配が迫る中で、サディスは指輪を輝かせていた。


「……そう。なら、すぐに後悔する事になるわ。」


「……なんや、負け惜しみかいな?」


 絶対的に有利な状況にあるアリシュアには、サディスが笑っている理由がわからない。


 それが何よりも、サディスにとっては笑えてくる話であった。


「【プロテクト】。」


 第一声に、体中に纏われた魔力の鎧は、迫るネルの刃を弾き返した。しかしそれは読んでいたとすかさずネルが体を捻り蹴り上げる。


「【コール】。」


 蹴り上げられたサディスは、ほんの僅か宙に浮いた。発生とともに呼び寄せられた魔力は地面に溶けて消えていく。


「……油断?【列撃・八門破】。」


「【バブル・クリエイト】ッ!」


 刹那の間に繰り出されたネルの左肘打ち。腕全体に風魔法を纏って推進力を得た高速の一撃がサディスの脇腹を襲う。しかしサディスは自らの体を泡に変え、ネルの一撃を受け流した。サディスの体をすり抜け空振りした一撃は衝撃波を生み、直線状の石造りの建物を粉砕しながら貫通していく。


 一撃を躱され体勢が崩れたネル。


「遅いッ!!」


 すかさずサディスの回し蹴りが顔面に迫る。しかしその踵は頬肉を抉ることはなく、ネルの体をすり抜けるようにして空を切った。


「何を狙っとるん?」


 アリシュアの声が聞こえた時、サディスの視界がぐらりと揺れた。同時に目の前が霞み視界が悪くなる。そして視界に現れたアリシュアの姿がいくつにも分かれ、それが安愚にも視界の中でぐるぐると回る。


「【ミスティック・イリュージョン】。まさか忘れたわけやあらへんやろ?」


「……【コール】。」


 身動きができないととるや否や、サディスはまた足元に魔力を落とした。


「なんや!!戦う気も失せたか!?【アイス・ミスト・ブレス】!!」


 おぼつかない足元のサディスを真っ白な霧が包み込み、それが徐々にサディスの体に張り付いて凍り始める。凍てつく肌が焼けるような痛みを生み出し、体力を奪っていく。


「これでトドメや!【スパイラル・ストライク】!!」


「……【怨嗟の腕】!!」


 アリシュアの渦巻く水のドリルが垂直に、ネルの真下から突き上げられる黒い腕と共にサディスの急所を狙って突き進む一撃。サディスは視界を奪われふらつく足元を支えるのに精一杯に思われた。


 しかし、艶美な口元はその一撃を嘲笑う。


「【パイル・ネット・ゾーン】。」


 直後、無数の杭が空から降り注いだ。容赦なく地面に突き刺さる光の杭は、対峙する二人の自由を奪っていく。


「きゃあああああああっ!!」


「……ッ!?アリシュア!!」


ネルがアリシュアの悲鳴に駆けつけようとした時には遅かった。すでに光の杭に囲まれた自分たちは身動きが出来ず、器用に関節を絡め取られている。迂闊に動こうとすればいとも簡単に持っていかれてしまう。


「くっ……どういうつもりなん!?なんで殺さへんの!?」


 一撃を躱され体も絡め取られたアリシュアは激昂する。しかしそんな彼女はそ知らぬふりで、サディスは凍り付いた肌の氷を払っていた。


 そしてアリシュアに視線を向けると、自分を睨みつけるその瞳を見つめ返す。


「あなた達を殺したら、本当に裏切り者じゃない。」


 未だ覚悟の据わらぬサディスの曇った瞳、その迷いに満ちた戦いぶりにさえ苦悶するアリシュア達は、屈辱を舌で転がしていた。

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